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帯の雰囲気が本書の「推奨する読み方」を物語っていると思います。一言でいえば、「週刊誌を読むように読む」です。
 
電車の中吊り広告は『週刊現代』も『週刊ポスト』も『週刊新潮』も『週刊文春』も『週刊朝日』も『サンデー毎日』も、皆このデザインです。表紙に関しては、写真かイラストをメインビジュアルにするパターンと、目次ページをそのままに近い形で再現するパターンの2種類がありますが、中吊りになるときはみんなこれ。「吊り見出し」のデザインです。
 
評者は電車で中吊り広告を見るたびに、「無数の、無名の職人たちの経験則とノウハウの積み重ねが、“これ以外にない”最終完全形態に辿り着いた一つの幸福な文化の例」を感じますが、その文化的高みとは裏腹に、あれに載せて発信される内容の、なんと卑近で、俗で、生活の些事にまみれていることか。これは週刊誌をおとしめて言うのではなく、あれこそが週刊誌の本分であり、あの落差にこそ生の豊穣が宿っていると思うのですが、本書にも似た印象を感じました。
 
本書の場合何が落差の元になっているのか。おそらく、マクロ経済を語るのと同じ文体・口調で、生活の些事から発する着想や見立てを語っているからです。例えば109ページの次のような箇所。
 
「ペットボトルのフタを開けるのは、けっこうな力を必要とする。飲料メーカーは、高齢者の好む味や健康にいい成分を含む新製品の開発に躍起だが、力が弱っている高齢者にはフタが開けられない。自ずと、中身よりも開封しやすい容器の製品に手が伸びる。調味料やシャンプーの容器、紙パック、袋詰めの商品にも、同じことが言える。」(第2章 日本企業は「高品質・低価格」を捨てよう より)
 
著者の河合雅司氏は人口が減った近未来の日本を予見してベストセラーになった『未来の年表』シリーズの著者。本書の狙いについて、「あとがき」は次のように言います。
 
「私は、拙著『未来の年表』において、こうした「戦略的に縮む」という考え方を提唱したが、考え方を示すにとどまり具体策を紹介するまでには至らなかった。そこで、本書にその補完役を担ってもらうこととした。つまり、実践書としての位置づけである。」(p225)
 
人口減少(少子・高齢化)と、一例でGDPとの関係を論じるマクロ経済的な視点から、一気にペットボトルのフタをめぐる諸製品についての考察に降りてくる。また、単身高齢者世帯の増加という大テーマから、買い物難民を行政が補助金を使って支えているという問題を瞥見しつつ、「突飛に思われるかもしれないが」と前置きして「日本が目指すべき方向は冷蔵庫の改良ではないのか」と大真面目に冷蔵庫論を展開する。そしてそのまま、「葉物野菜などの鮮度が2週間ぐらい落ちずに保存できれば」(p106)、「品種改良も、美味しさを求めたり病害虫に強くするだけでなく、日持ちする改良を」(同)といった着眼に展開していく。まるで『ゆほびか』あたりにありそうなライフハック。これが本書の真骨頂ではないでしょうか。(評者は『未来の年表』シリーズは未読ですが、これは著者の書き手としての真骨頂でもあるだろうと推測します)。
 
こういう視点を持っているからこそ、例えば第1章の第4、「労働力もインバウンドも、もう外国人には頼れない」の節において、2019年改正の新たな在留資格「特定技能」は事実上外国人の労働移民を受け入れる目的の政策だったと指摘したうえで、「そもそも、東京オリンピックで使う新施設の建設作業員が足りなかったため、彼らの在留資格を特別扱いして延長することから始まった話だ」(p39)と立ち返れるわけです。その後なし崩し的にほとんど全産業分野で外国人単純労働者が増え、もはや彼らなしでは経済が成り立たなくなった現状で、「でもさ、そもそもはオリンピックだったよね」と初っ端の議論を蒸し返せるKYな感覚は希少だと思います。これだけでもジャーナリズムとして貴重です。
 
そのジャーナリズムの観点が前面に出た最初の箇所が、18、19ページ。第1章第1節の見出しで「行政手続きのオンライン利用率は先進国で最低レベル」とした後に、こうあります。
 
「新型コロナウイルス感染症への対策をめぐる国の対応の遅さや、目も当てられないようなチグハグさを見て、日本の「国としての答え」を感じ取った人も、少なくないのではないか。/コロナ禍で露呈した日本の惨状のひとつに、政治と行政システムの劣化がある。」(第1章 コロナ禍で露呈した現実、もはや日本は先進国ではない より)
 
著者の言う「目も当てられないようなチグハグさ」は、直近でオリンピック開会式の顛末をめぐっても露呈しました*1。女性タレントの容姿を揶揄した企画が批判され辞任した総合演出責任者に始まる、複数の関係者の辞任・解任の連鎖と、それらへのオリンピック組織委員会の対応。23日の開会式が本来のプランからは程遠い姿で、無理くりのグダグダで催行されるにいたった経緯は、『週刊文春』が式の台本を入手して世間に知らしめました*2。演出の実質的責任者だったMIKIKO氏が組織委員会から連絡もなしに一方的に外され、やむにやまれず告発した「このやり方を繰り返す怖さ」*3は、上記引用で本書の著者が指摘する「政治と行政システムの劣化」そのものだと感じさせます。またしても文春、またしても週刊誌です。
 
この「週刊誌ジャーナリズム」に通じる感覚を、本書の著者も持っているのではないか――。そのように理解を定めれば、後は著者の語りに乗って、未来の日本のさまざまなトピックへの基礎知識をどんどん吸収していけばいいと思います。大づかみにではありますが、「人口減少」問題にからむテーマの大半はカバーしていますから。
 
最後に評者の個人的な読み方としては、開会式の顛末を知るにつけ、副読本として河出書房新社発行の『1990年代論』*4を思い出しました。序文の書き出しが今回の件をあまりに的確に解説していたからです。下記引用します。
 
「九〇年代の亡霊たちが日本社会を徘徊している。/・・・・・・どころの話ではない。あの時代に背負わされた社会的なトラウマなり負債なり宿題なりのリストを私たちはいまだに大量にひきずったままだし、なにより当時のキーパーソンのかなりの部分は変わらず現役であり続けている。他方では、あの時代の貯蓄を食いつぶすことでどうにかこうにか延命できているジャンルもあるわけだから、“九〇年代的なもの”は私たちの社会や生活のいたるところに塗り込められ、インフラと化したと見るべきなのだろう。」(死なない九〇年代の歴史化へ――序文に変えて p3)
 
この本が出たのは4年前の夏。2017年8月20日です。開会式の演出チームが発足するジャスト4ヶ月前だったことを思うと、本書を含め、「書籍というものは怖いなぁ」と感じました。
 
 
 
*1 本稿の執筆は8月頭
*2 台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊”全内幕 計1199ページにすべての変遷が(週刊文春電子版 2021/7/28)
*3 〈東京五輪開会式の闇〉「このやり方を繰り返す怖さ」「日本は終わってしまう…」 女性演出家MIKIKO氏を“排除” した「電通五輪」(文春オンライン 2021/7/24)
*4 『1990年代論』(大澤聡編著・2017年・河出書房新社)
 
 
(ライター 筒井秀礼)
『コロナ後を生きる逆転戦略 縮小ニッポンで勝つための30カ条』
著者 河合雅司
株式会社文藝春秋
2021年6月20日 第1刷発行
ISBN 9784166613076
価格 本体840円
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(2021.8.18)
 
 
 

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