40年着続けたユニフォームを脱ぎ
野球との新たな関わり方を探す旅に
野球評論家 平石洋介
昨年末、3年間コーチを勤めた埼玉西武ライオンズを退団した平石洋介さん。「プロ野球選手としては実績を残せなかった」と語る平石さんは2011年に現役を引退し、翌年から東北楽天ゴールデンイーグルスの育成コーチに就任した。当時のことをお聞きすると「コーチになる考えはなく、現役選手を続けられるようチャレンジするつもりだった」と話してくれた。そんな平石さんが指導者に転身したきっかけは何だったのか。これまでの野球人生をたっぷりと振り返っていただくとともに、今後進んでいく道についてもお聞きした。
怪我との付き合い方を学んだ
小学生の頃から、プロ野球選手になるのが夢でした。小中学校のときは周囲と比べて野球が上手でしたからね。当然プロ野球選手になる、くらいに思っていたんですよ(笑)。ただ、高校生のときに肩を故障し、大きな手術をしました。それ以来、「プロ野球選手になる」とは恥ずかしくて言えないようになってしまったんです。以前と同じように球を投げられなくなりましたし、決して元通りの肩には戻らないとわかっていましたから。
お医者さんには、野球をやめた方が良いのではないかと言われたこともあります。今ふり返ると、どん底まで行ったなと思いますね。ただ、その中でも野球を続けて、大学時代は1年生の頃から試合で結果が出せるようになりました。肩の怪我との付き合い方もわかってきて、不安がありながらも「もしかしたらプロに行けるのではないか」と感じるようになったんです。
怪我との付き合い方がわかったのは、大学の同級生に紹介してもらった治療家さんやトレーナーさんのおかげです。それまで、体のメンテナンスについて勉強したことはほぼありませんでした。体の使い方なども意識するようになったことは、僕にとって大きな財産となっています。
大学卒業後はトヨタ自動車に入社し、硬式野球部に所属しました。社会人として給料をいただきながら野球をするようになって、責任の重みを感じるようになりましたね。一緒に働く会社の方にも応援してもらえる人間でなければいけないですし、もちろんお客さんにも喜んでもらえる選手でなければいけません。僕の行動には「トヨタ自動車の社員」という責任があることを常に意識するようにしていました。