最初読み始める前は、「本書が描く5Gによる薔薇色の未来は、どれもすべて、この件が問題にならない前提での話である。評者はそのつもりで読んだ」というような書き出しで、スタンスで、評することになるのかなと予想していました。“この件”とは5Gが人体に与える影響の問題です。
よく知られているように、ベルギーのブリュッセル市は5Gの導入を禁止しています。アメリカ・サンフランシスコ近郊の小都市ミル・バレーでも新たな5G基地局の設置が禁止されたそう。真偽のほどはともかく、ネット上では、今回の新型ウイルスの感染者が多い地域と5Gが普及している地域が地図上できれいに重なるという指摘も見つかります。評者が住む賃貸マンションの屋上には携帯電話基地局のアンテナがあり、最上階角部屋の評者の部屋からはほぼ真上に位置しているので、送電塔の下に来ると気分が悪くなる人ほどは敏感でないにせよ、5Gの基地局が追加されたら嫌だなぁ、と考えていました。それくらい我が事として読んだわけです。
結果、その件についての言及はありませんでした。調べてみると、5Gが使うミリ波帯――ハイバンドとも呼ばれる28~47GHzの周波数帯域――の電磁波も、ミッドバンドと呼ばれる2.5~4.2GHzの中周波数帯域の電磁波も、人体に与える影響はない、というのが専門家の結論のようで、本書もそれは済んだ話としているようです。
それよりはるかに重く扱われ、実際にページも割かれているのが、5Gが可能にする監視社会化の問題と、技術覇権=ビジネス覇権を争う米中の5G戦争の内幕です。帯のコピーに「超入門!」とあるとおり、5G が社会にもたらすメリットやどの産業分野からそれが始まるかについては前半の1、2章でコンパクトにわかりやすくまとめ、120ページからの後半、3章と4章は丸々その話――監視社会化と米中5G戦争の話――になっています。
特に後者、米中の覇権争いの話に関しては、著者は事実を述べているだけでしょうが俗に言う陰謀論の領域までカバーされており、そうだよなこれでこそ宝島社テイストだよなと、妙なところで感心しました。とはつまり、読者の期待を心得てそれに沿おうとする版元の姿勢に、明確な意志を感じました。著者の選定すなわちキャスティングもあったでしょうが、それだけでなく内容面でも、この本は編集サイドで舵取りがなされているのではないでしょうか。編集者がきちんと仕事をしているという意味で、本書は今風に言えば「尊い」一冊だと思います。前回vol.69で苦い思いをした――どう考えても編集者が全く何の仕事もしておらず内容的にも駄本で誰の益にもならない書評になったので一度入稿したが本を変えて書き直した――直後なだけに、特にそう感じます。
そして再び書評者から一市民へもどり、5Gのミリ波帯が人体に与える影響を懸念するとき、関連しそうな箇所の一つを64、65ページに見つけました。下記抜粋して引用します。
「第5世代(5G)、特にハイバンドでは、もっと小型の無線ユニットが基地局として使われます。これを約200~300メートルごとに稠密に配置していく必要があります。‥略‥これらを全米に配置するには、各地で頻繁に道路工事を行う必要があります。/それらの工事では、基地局からキャリアのコア・ネットワーク、さらにインターネットへと回線を展開するために、基地局の周辺道路を掘り返して、そこに光ファイバー網を接続します。‥略‥本来、超高速の無線コミュニケーションを促すはずの5Gですが、皮肉なことに、それを地中で支えているのは光ファイバー網という有線ネットワークなのです。」(Chapter1「5Gとは何か? それは私達にとって何を意味するのか?」 p64、65より)
専門家からすれば当たり前のことでしょうが、5Gが実現する未来が輝かしく革新的であればあるほど、この種の実務的な話は一般に流布する話からは削られます。結果、「部屋の上にできたら嫌だなぁ」みたいな、大衆らしいといえば大衆らしい的外れの杞憂から、進めるべき施策も進まなくなります。全部をちゃんと見ると妥当なのに科学コミュニケーションを欠く国民性のせいで自治体の首長の要請さえ正しく受けとめられない問題も、同じ構図だと思います。少なくとも評者は、5Gを知るうえで、本書を読んで良かったと思いました。益されました。
もうひとつ、これも宝島社テイストだと感じる箇所を挙げてみます。2009年にリリースされて2014年にサービス終了になった、日本のITベンチャーが開発したAR製品「セカイカメラ」のエピソードです。この製品が注目された2008年当時、筆者は定期寄稿していた某新聞のITコラム欄に「このやり方では原理的にコンセプト実現は不可能」という趣旨の原稿を送ったところ、担当編集者から書き直し依頼が来たそうです。「これから世界に羽ばたこうとする日本企業の足を引っ張るようなことは良くありません」と。84、85ページです。
「筆者は何も、この会社の足を引っ張ろうとしたわけではありません。ただ原理的に無理なことは分かっているのに、それをきちんと書かなければ、投資家など関係者の中には後々困る人も出てくるのではないでしょうか。もちろん、投資は自己責任と言ってしまえばそれまでですが、その判断材料になることを考慮すれば、きちんと事実を伝えるのがメディアの一義的な使命でしょう。/この一件で筆者は「社会は合理性よりも、単なる勢いや人気で動いている」と感じました。」(Chapter2「ポスト・スマホは何か? 5G端末と次世代ビジネスの行方」p85)
5Gの基礎を勉強しつつ、地下(じげ)の喧嘩も買う気満々のジャーナリズムを味わえる一冊。版元の顔が見える良書でした。お勧めします。