第一章の北見昌朗氏(北見式賃金研究所所長)への取材が8月20日、第二章の城繁幸氏(人事コンサルタント)の取材が8月5日、第三章脇田成氏(東京都立大学教授)が8月17日、以下、第四章野口悠紀雄氏8月19日、五章浜矩子氏9月2日、六章神津里季生氏8月23日、七章江田憲司氏9月14日。おそらく企画も坂田氏が版元に持ち込んだのではないでしょうか。同じフリーのライターとして、今後はこういうこともやっていかないとなぁ、と省みさせられました。
――と、のんきな個人的述懐はここまでで、本書はひたすらやばい、ヤバイ内容の書籍です。テーマは日本人の給料。これがここ20年の間下がり続けている問題を7人の識者が解説・検証していくわけですが、同じ一つの問題を複数の識者が分析するときによくある、「これが言えるということはこっちの分析は違うんじゃない?」という事態が生じないのです。7通りの見方が全部説得力を持って成立している。「これは幾重にもからまった難問だな」という認識が、レトリックでなく――最低でも七重あるわけなので――のしかかってくるところに本書のヤバさを感じます。
そう総括したら、後はもう読者がそれぞれの知識と経験で、各氏の分析を読んでいけばいいと思います。雇用とか賃金とか経済成長とかの問題に少しでも関心があれば一度は聞いたことのあるトピックがバンバン出てきます。そしてそれなりに深掘りされます(されないものもあります)。実際評者も、後で数えたら平均で見開き3つごとに、メモや連想を赤ペンで書き込みながら読んでいました。以下、主なものを列挙します(矢印以降が書き込み)。
「終身雇用制が日本経済の成長に寄与したのは、せいぜい1980年代まででしょう。経済環境が変わり、その後は負の側面ばかり出てきたのです。」(第二章 p89)
⇒ メンバーシップ型雇用は80年代にオワコンになっていた。戦後1950年代から80年代までということは、つまり一世代だ。そもそも一世代限りの夢だったのだ*1。
「将来の問題として技術革新があげられます。世界的にデジタル化が進み、AIが進展すれば、企業はより自動的に利益を上げられるようになります。その結果、労働の寄与分は減少して給料は減っていくでしょう。私たちは市場競争を前提とした資本主義の下で、労働がどの程度生産に寄与したかで賃金を決めてきました。‥略‥しかし、この仕組みのままでは、技術革新で企業の生産性が向上しても労働者にはその果実が分配されなくなってしまうのです。‥略‥何らかの仕組みを考えなくてはいけません。」(第三章 p122、123)
⇒ ベーシックインカムの祖とも言われるイギリスの経済思想家C.H.ダグラスの論を想起。テクノロジーの進歩で生産性が向上すると供給に対し消費(需要)が追いつけなくなる。なので原理的かつ単純に、需要不足を埋めるための、例えば「国民配当」がないと社会が回らない。
「日本はそもそも債権大国です。通常、債権国の通貨の価値は上がり、借金国の通貨の価値は下がります。‥略‥1ドル=150円の方向に向かうのと1ドル=50円の方向に行くのと、どちらが理に適っているかといえば、それは50円のほうだと考えられます。‥略‥/ここで、日本はいまや輸入大国なのだということを確認しておく必要があります。近年、日本の消費はあまり伸びていないとはいえ、その規模は大きく、‥略‥その多くは輸入に頼っています。日本の製造業も輸入依存度は高まっています。‥略‥/輸入大国は自国通貨の価値が上がれば、生活コストも生産コストも下がるわけです。その意味で、今の日本では企業も家計も円高によって恩恵を得る。いまや、そういう時代なのです。」(第五章 p166、167)
⇒ 「いまや、そうなるはずの時代なのです。なのに・・・」ということ。
⇒ 野口悠紀雄氏の別記事の分析――「日本を貧しくした基本原因は円安政策を採ったこと」――を想起*2。あわせて氏の著『円安待望論の罠』への荒井俊行氏の「リサーチ・メモ」も参照*3。
「連合に加盟している労働組合の多くは‥略‥物価上昇、経済成長といった要素以前の問題として「賃金カーブの維持」を所与のものとしてきました。30代、40代と年を経れば結婚して子どもが生まれ、住宅を購入してというように年齢とともに必要な生活費が増えていきます。‥略‥労働者の生活を守るためには、それらを反映した賃金カーブの維持が必要です。」(第六章 p190)
⇒ これは共産主義の発想。そのこと自体はよいが、これをそのまま企業活動に組み入れることは資本主義経済下では論理矛盾。なので、憲法が定める基本的生存権に照らすべし。
「親会社はコストを削減するために子会社や下請け先に対する発注費を下げたりしています。」(同 p195)
⇒ E.トッドが言う「長子総取り型の権威主義家族構造」を産業構造にも持ち込んでやってきたが、もはや川上の企業がそれ(=他の兄弟の面倒をみる)をしなくなったということか。藤原書店刊『世界の多様性』p117のL9~12、p132のL2~5を想起*4。
「――江田さんが考える具体的な成長戦略を教えてください。
江田 ‥前略‥「地域分散・分権型国家」へ移行することです。‥略‥地域のニーズに応じた、地産地消の地場産業をつくっていけばいいのです。」(第七章 p226)
⇒ これをやるためには地域差を設けない「全国一律最低賃金」が不可欠。いつまでも「自国内で、地方や隣県の安い人件費で、東京の企業の経営を回す」時代ではないだろうに。
「中央と地方を主従関係に置く機関委任事務の廃止はしたものの、ほとんど有意な分権が進みませんでした。中央省庁の役人にとっても、自民党の族議員にとっても権限を手放す話であり、徹底的に抵抗するからです。/‥略‥大蔵省(現・財務省)の総理秘書官に「江田君さ、地方の役人なんかに任せて大丈夫か? 我々中央省庁の官僚がやっているから、まだマシなんだよ」と言われたこともありました。」(同 p230、231)
⇒ 実際、今の地方の役人に任せてもその能力はないかもしれない。それでもやらせていかないと彼らも育たない。彼らと一緒に地方をつくっていく民も育たない。地域シンクタンクが育っていないのも、やらせていくことで変えるしかない*5。財務省は「そんな歩留まりの悪いことできるか。もったいない」と言うだろうが、そもそもあなた方の金じゃないぞ。
まだまだありますが、とりあえず以上。総じて言えそうなのは「政治を変えないと無理」ということです。今年の衆院選は前座で、来年の参議院選挙が本番だというのはちらちら聞こえてくる各党の本音。有権者市民は今から勉強して備えないとですね。
*1 これについては2017年3月の小欄「働き方改革でいかに働くか」の中段を参照されたい。
*2 アベノミクスの7年半で日本は「米国並み」から「韓国並み」になった(ダイヤモンドオンライン2021.11.18)
*3 野口悠紀雄氏著「円安待望論の罠」を読む(一般社団法人土地総合研究所 2016年5月31日)
*4 p117のL9~12――「人間関係における不平等の原理を受け入れたこの家族モデルは、その原理をイデオロギーの領野に置き換えることで、人間や民族、そして人種の不平等の原理を創りだすのである。だが経済的論理はこのイデオロギーの夢を倒錯させる。奇妙な転倒によって、権威主義家族の国々の経済構造はほとんど常に比較的平等主義なのである。」/p132のL2~5――「この党(評者注;自民党)は、国家と同様、もしくはそれ以上に日本の社会生活の中心に位置する産業グループである複数の大財閥に様々なかたちで繋がった派閥の集合なのである。‥略‥したがって最も根本的な権威の構造は政治の領域を離れ、経済的な分野に置き替えられた。」
*5 地域シンクタンクについては2018年2月の小欄「これからの地域シンクタンク」を参照されたい。