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コラム 京大教授が“切る”現代経済 vol.11 消費者に優しい行動経済学のすすめ 京大教授が“切る”現代経済 京都大学大学院経済学研究科教授/経済学博士 依田高典

コラム
読者の皆さん、こんにちは。京都大学大学院経済学研究科教授の依田高典です。このコラムでは私の専門とする行動経済学—ココロの経済学—の知見をもとに、現代経済の中のちょっぴり気になる話題を取り上げて、その背後に潜む経済メカニズムを、読者の皆さんと一緒に考えてきました。連載も残すところあと2回。第11回目は、行動経済学の知見をどのように消費者保護の政策に活かしていくかについて考えてみたいと思います。
 
 

両刃の剣となる行動経済学

 
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昨年9月の「消費者行政新未来創造オフィス設立記念シンポジウム」
で公演する著者(右端檀上)。画像出典:消費者庁ウェブサイト
人のココロのクセを研究する行動経済学。その使い方を間違えると、欲しくもない商品を、消費者の気の迷いにつけ込んで売りつける押し売り商法に悪用されるかもしれません。行動経済学は、消費者の深層心理につけ込む「ステルス・マーケティング」のツールともなり得るのです。
 
ノーベル経済学賞受賞者でもあるジョージ・A・アカロフとロバート・シラーは、市場経済の不道徳性を糾弾し、「アボカド(腐った商品)」に騙されないようにと警鐘を鳴らしました。規制なき自由市場では、悪徳商人である「釣り師」は巧妙に情報を操作して、限定合理的な消費者の判断を誤らせようとします。対して、消費者は、行動経済学を自衛手段として活用すべきなのです。
 
ジョージ・A. アカロフ、ロバート・J. シラー、山形浩生(訳) (2017) 『不道徳な見えざる手』(東洋経済新報社)
http://amzn.asia/9uRb0t5
 
消費者は、完全な情報に基づき、正しい判断ができる「合理的なタイプ」、不完全な情報しか利用できず、しかも認知バイアスに左右されがちな「限定合理的なタイプ」に分かれます。行動経済学の考え方によれば、人間は、多かれ少なかれ、限定合理的な存在です。
 
重要なのはそこではありません。大切なのは、自分の限定合理性を自覚している「ソフィストケートなタイプ」か、無自覚である「ナイーブなタイプ」かどうかの部分です。自分の弱点をよくわきまえて、アボカドを売りつけようとするステルス・マーケティングに対する抵抗力を持つこと、これが消費者の現実的な生活の知恵なのです。
 
 

消費者政策にナッジを使い始めた政府

 
もちろん、釣り師のアボカドをつかまされない対策を、消費者の自衛に委ねるだけでは心もとありません。消費者政策の観点から、行動経済学の知見を活かす動きが世界中に広がりつつあります。
 
先駆けとなったのがイギリス。2008年7月、イギリスの野党第一党である保守党のデーヴィッド・キャメロンとその協力者は、行動経済学を経済政策に活用することに興味を持って、アメリカの行動経済学者のリチャード・セイラーに協力を求めたのです。2010年5月の総選挙で保守党が勝つと、キャメロンは首相となり、イギリスの内閣府の下に、「行動洞察チーム(ナッジ・ユニット)」を組織しました。
 
日本も負けていません。最初に動いたのは、消費者保護、安全の確保、消費者啓発を目的として、消費者行政に関する施策情報発信を行う使命を持った消費者庁。消費者庁は、2017年夏、消費者行政の発展・創造の場の拠点となる「消費者行政新未来創造オフィス」を徳島県徳島市に設置し、行動経済学の知見に基づいた理論的・先進的な調査研究や全国展開を見据えたモデル・プロジェクトを集中的に実施していきます。
 
私はそのオフィスの研究主幹を任せられ、大規模なフィールド実験を実施する準備を進めています。例えば、食、運動、睡眠など健康全般に関わる消費者知識を提供し、機能の証明された関連商品をお薦めすることによって、住民の消費者知識の向上、ひいては生活の質の改善を狙うプロジェクトです。また、健常者だけではなく、障がい者に対しても、早い段階で、消費者教育を実施する予定です。こうした地味でも確実な取り組みを通じて、消費者リテラシーの向上を図ることが大切なのです。
 
行動経済学、フィールド実験、消費者政策−消費者行政新未来創造オフィスに期待すること
http://www.caa.go.jp/future/topics/photo/pdf/topics_photo_170913_0001.pdf
 
時期を同じくして、環境省も、低炭素型社会への行動変容を促し、ライフスタイルの自発的な変革を創出する政策手法を検証する取り組みを始めました。また、ナッジによる取り組みが早期に社会実装されることを目標に、プロジェクト・チームとして産学官連携による日本版ナッジ・ユニットを発足させました。こうした官民が足並みを揃えた動きに期待したいものです。
 
 

プレシジョン・ナッジの時代が来る

 
今、医学の世界で、「プレシジョン・メディシン」と呼ばれる技術革新がガン治療に起きています。ガンは遺伝子の傷に基づくコピー・エラーの暴走から発症しますが、従来は遺伝子情報を無視して、臓器タイプごとにガン細胞を攻撃する薬を開発してきました。その結果、薬の効果はガン細胞に利くのみならず、正常細胞も殺してしまうので、その副作用も大きいものでした。近年、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤の発見と遺伝子解析技術の発展によって、遺伝子変異別の抗がん剤が開発され、標的となるガン細胞をピンポイントで攻撃するようになり、まだ対象者は限られるものの、あるタイプのガンに対しては、根治すら可能になっています。
 
NHKスペシャル取材班 (2017) 『がん治療革命の衝撃―プレシジョン・メディシンとは何か』NHK出版新書
http://amzn.asia/iqfX58o
 
私は、同じような技術革新が行動経済学の分野でも起きるのではないかと期待しています。消費者のパーソナル・データを精細に分析して、適切な行動変容のためのアドバイスをフィードバックしてあげる。例えば、30分毎の電気消費量を測るスマートメーターを使えば、どの家庭がどの時間帯に電気をたくさん消費し、近隣の家庭に比べて、節電の余地があるのかを知ることができます。そうした時に、家庭毎にパーソナライズ化された情報を提供し、消費者の気付きを引き出し、家庭にも社会にも優しい節電を促すのです。
 
こうした気付きの新しい仕組みを、「プレシジョン・ナッジ」と呼ぶことにしましょう。そんな時でも、主役は一人ひとりの消費者です。スマートな社会の実現は、今、私たちの手に委ねられているのです。
 
京大教授が“切る”現代経済
vol.11 消費者に優しい行動経済学のすすめ

 

 著者プロフィール  

依田 高典 Takanori Ida

京都大学大学院経済学研究科教授/経済学博士

 経 歴  

1965年、新潟県生まれ。1989年、京都大学経済学部卒業。1995年、同大学院経済学研究科を修了。経済学博士。イリノイ大学、ケンブリッジ大学、カリフォルニア大学客員研究員を歴任し、京都大学大学院経済学研究科教授。専門の応用経済学の他、情報通信経済学、行動健康経済学も研究。現在はフィールド実験経済学とビッグデータ経済学の融合に取り組む。著書に『ネットワーク・エコノミクス』(日本評論社)、『ブロードバンド・エコノミクス』(日本経済新聞出版社。日本応用経済学会学会賞、大川財団出版賞、ドコモモバイルサイエンス奨励賞受賞)、『次世代インターネットの経済学』(岩波書店)、『行動経済学 ―感情に揺れる経済心理』(中央公論新社)、『「ココロ」の経済学 ―行動経済学から読み解く人間のふしぎ』(筑摩書房)などがある。

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(2018.01.10)
 

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