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労働、仕事、活動

 
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TAKA / PIXTA
6月29日、長らく議論が続いてきた働き方改革関連法が成立した。労働基準法、労働契約法など8本を改正する「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」(以下「働き方改革法」)である。安倍晋三首相は同日、「70年ぶりの大改革であります。長時間労働を是正していく。そして、非正規という言葉を一掃していく。‥略‥多様な働き方を可能にする法制度が制定されたと、こう思っています」と語った(官邸ホームページより)。
 
70年ぶりというのは労働基準法の制定が1947年だったからだ。労働者の保護を目的とする同法の規定は使用者に向けたもので、その点では“働かせ方”基準法と呼ぶこともできた。しかし今回の法を“働かせ方”改革法と呼ぶのは実感にそぐわない。この70年のあいだに労使関係の在り方や社会における“働くこと”の位置づけが変わったからである。
 
筆者は昨年3月にも働き方改革関連の記事を本誌に寄稿したが、その際、「労働者」とか「労働条件」とかの複合語以外はできるだけ“労働”という語を使わず、“働くこと”とした。そのうえで、働く人はそれ――働くこと――が“資産”であることをもっと自覚すべきであり、また使用者側はそれが人間の営みとしての“資産”であることへのリスペクトを持ってほしいと書いた。
 
哲学者のハンナ・アレントは著書『人間の条件』において人間の営みを“労働”“仕事”“活動”の3つに分け、「労働<仕事<活動」の順により人間的な営みであるとした。これらのうち“労働”のニュアンスはこの70年で相対的に薄らいだうえに、今後はAIと産業ロボットとRPA(Robotics Process Automation.ロボットによる定型業務の自動化)がまかなうようになり、働くことはアレントがいう“仕事”“活動”のほうに寄っていく。今はまだ感覚がついてこなくても、かつては一次・二次産業と三次産業の割合が大差で逆転することなど思いつかなかったのと同じぐらいにはリアルに、そうなるだろう。今回成立した「働き方改革法」の各トピックも、長時間労働の是正など定量的でわかりやすいものだけでとらえず、私たちの“働くこと”が“資産”として最大限活かされる社会にするための基礎づくりという文脈において理解したい。
 
 

「同一労働同一賃金」とジョブディスクリプション

 
最も重要と思われるトピックは「同一労働同一賃金」。首相が「非正規という言葉を一掃していく」と語った部分だ。実際、もともと働き方改革実現会議が検討項目の一番目に挙げたのは長時間労働の是正ではなくこちらだった。法案では「雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保」として、以下3つの具体策が挙げられている。
 
1. 不合理な待遇差を解消するための規定の整備
2. 労働者に対する待遇に関する説明義務の強化
3. 行政による履行確保措置及び裁判外紛争解決手続(行政ADR)の整備

2と3は実質的に1の脇を固める策なので1について見ると、要点は2つ。均衡待遇(不合理な待遇差の禁止)と均等待遇(差別的取扱いの禁止)だ。厚生労働省の「同一労働同一賃金ガイドライン案」が詳細に記すとおり、企業は今後、給与、手当、福利厚生、教育訓練にいたるまですべて、従業員個々の“実態に即した”待遇が求められる。
 
“実態に即した”――ここがポイントだ。そもそも実態を客観的に、正しく厳密に、評価・査定することほど難しいことはない。そのためのアセスメントツールだけで市場が一つ成り立つくらい、決定的な手段がない作業なのである。そこで労使ともにこれからはジョブディスクリプション(職務記述書)が必要になると思われる。
 
内閣府の2011年末の推計によると、日本にはいわゆる社内失業者が465万人いる。彼らの人件費負担が特に大きいとされる銀行業界で昨年から早期退職勧奨が相次いでいる現状を見ても、総合職採用と終身雇用を柱とした日本式メンバーシップ型雇用はこれから急速になくなっていく。代わってジョブ型雇用社会になれば――同一労働同一賃金にするとはそういうことだ――ジョブディスクリプションによって職務内容や責任範囲などを明確にする文化が根付かないと、労使双方にとって好ましくない。
 
 

働き方改革を労働市場改革へ

 
ジョブディスクリプション普及の意義は、まず使用者側からすれば、仮に実態を客観的に、正しく厳密に、評価・査定するのが難しい場合――労使紛争の火種は常にこれだ――にも、「これをこれくらいやる」との取り決めをもってそれが実態であると“見なす”ことができるようになる点がある。下記に引用した「同一労働同一賃金ガイドライン案」の念押しの一文からも、この点は重要ではないか。
 
『なお、基本給や各種手当といった賃金に差がある場合において、その要因として賃金の決定基準・ルールの違いがあるときは、「無期雇用フルタイム労働者と有期雇用労働者又はパートタイム労働者は将来の役割期待が異なるため、賃金の決定基準・ルールが異なる」という主観的・抽象的説明に終始しがちであるが、これでは足りず、職務内容、職務内容・配置の変更範囲、その他の事情の客観的・具体的な実態に照らして、不合理なものであってはならない』。
 
また働く人にとっては、勤労観などのメンタルがメンバーシップ型なのに雇用形態だけジョブ型に切り替わると不利益を被るもとになるのはすぐわかるとして、ジョブディスクリプションのように外部労働市場に照らしてもある程度普遍性のある客観資料を得られることは、“働くこと”の“資産”としての価値を経営感覚で活かしていくうえで決定的に重要である。
 
メンバーシップ型雇用のもとでは評価・査定はどこまでいっても社内労働市場から出ることはない。外部労働市場の基準を導入した社内労働市場が生き続けるだけだからだ。結果、組織全体としての生産性は逸失利益のように阻害され、働く人の“資産”は塩漬けされる。なにも企業の内部留保だけが塩漬けされているのではないのである。これを壊すには雇用の流動化が不可欠であり、「働き方改革法」が成立した今、議論は解雇規制に移るものと思われる。
 
使用者側からは解雇が、被雇用者側からは転職が、双方の不利益にならないような労働市場にしていくためには、例えば産業分野ごとにジョブディスクリプションの書式を公式に統一して医療カルテのように使うのも一つの案だろう。今から欧米のような産業別労働組合を組織するのは無理だとしても、これならできるのではないか。“労働”から仕事へ。“仕事”から“活動”へ。労働市場の再構築から始めたい。
 
(ライター 筒井秀礼)
 
(2018.8.8)
 
 

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