私も何人もの親友に裏切られてきた
その経験から話させてもらおう
自慢じゃないが、私もこれまで、何人もの親友に裏切られてきた。今回思い出して数えたら、少なく見積もっても4人。大谷選手とは被害額の桁は違うけど――別にお金のことはどうでもいいけどね――、今回の件について、経験者として見解を述べさせてもらう資格はあると思う。
私の場合、最初は20歳のときだった。学生時代からの親友が、今となっては何をやらかしたのかまでは覚えていないが、「30万円要る。貸してくれ」と泣きついて頼んで来た。私は家業に入ったばかりで、月の給料がまだ10万程度の頃。私も金なんてない。でも、友だちに助けてくれと言われたら、助けなくちゃならない。子どもの頃から、友だちを大切にしなさい、お金では変えられない存在だから、と教わったからね。
だから当時はサラ金に行って30万借りてきて、彼に貸したよ。案の定そのまま音沙汰なしだけどね。
私はその借金返済をきっかけに、朝と夜にバイトを始めた。新聞配達、卸市場、ファストフード、代行車・・・、今で言うクラブのウェイターもやった。今思えばいろいろな職種の経験ができて楽しみながら働いていた。全部返し終わったのが、20何歳のときだったかなあ。――途中でもう一人、建設会社に勤めていた学生時代の親友が、会社のノルマがキツくて売り上げを前倒ししたらしく、「助けてくれ」って言うんで貸したけど、それも結局そのまま音沙汰なしだった。
下請け業者に不払いにされていた
しかも、逆に訴えられた!
――でも、私は敢えて見ぬふりをしていた。「だって昔からの親友だし。良き理解者だし。仕事の取り組み方はいたって真面目だし。みんなからも信頼されているし。彼に関しては変なことしないだろう」と思ってね。
そして3年後、ついに発覚したときには、彼が支払うべき下請け業者への不払いが、積もり積もって数千万円にまで膨れ上がっていた。彼は下請け業者に「佐藤さんが払っていない」と嘘の情報を流していたらしかった。私は関係先の皆さんに集まっていただいて、彼と一緒に皆さんの前で頭を下げ、これから少しずつ返済していくよう彼に促し、心を入れ替えて皆さんと一緒にやっていきたいことなどを約束して、最後にケジメの意味合いで、アントニオ猪木の闘魂注入のように彼の背中を、「これからはちゃんとしろよ!」とバシッと叩き、その場を収めたはずなのだが・・・。
彼がそれを訴えたのだ。
警察の人に言われたのはこうだ。――「佐藤さん、気を付けなさいね。今度やったら書類の上では累犯だから新聞に載っちゃうよ。同じようなことしてお金を取ろうとする奴がこれから必ず出てくるから。気を付けなよ。」
ちなみに、裁判法廷で私が「裁判はどうして正義が負けて、悪が勝つのか?」と意見したら、裁判長は私に一言、「そういうお考えなんですね」と言った。私は「あ、マズい」と思って引き下がった。裁判はあくまで私が背中を叩いた事実を審理するものだったから、私の意見はその裁判においては法廷を侮辱するものでしかなかったわけだ。
私はこの件があって以来、「腕力には何の意味もない。無力だ」と悟った。そして、人の体を叩いたりするのはこの件から一切止めた。一切だ。こっちがいくら正しくても、私は少林寺拳法をやっていたから、裁判になったら負けるのは私だ。
そのとき私は、「大事なのは頭だ」と思い、それから貪るように本を読み始めた。私に勉強することを覚えさせてくれた彼には今も感謝しかない。
親友の新事業立ち上げで保証人になったら
債権者は私のところばかりに取り立てに来た
その後、残念ながらその会社は潰れて、債権者は目の前に彼がいるんだから取り立てればいいのに、私のほうに取り立てに来た。最終的には破産したから、残債は私が返済することになった。
私がセミナーや講演活動を頑張ったのも、本を書いたりするようになったのも、親友の債務の弁済を抱えていたからだ。当時から一回講演①に行くと20万円は貰えたから、メチャ助かった。全部返済し終わったのはいつだろう・・・、確か、2010年代だったと思う。長かったなぁ。
その4人の親友とはその件以来一度も会っていない。彼らが会えないんだろうなあ・・・、とは思う。もちろん私は1mmも恨んでいない。ただ、私が4人の親友を失ったのはビジネスの面で「自分だったら絶対そんなことはしない」という自分基準で相手を測っていた甘さのせいだったと勉強になったので、そういう意味で感謝しかない。
親友たちをそうさせたものは
近い人の“嫉妬”という感情だ
関係が浅ければそんな僻みも持たなかっただろうけど、何せ学生時代からの親友だからね。「なんであいつはああなって俺はこうなんだ」って嫉妬が芽生えても仕方がない。――しかも、私は昔っから平等主義だから、変わらず友だち同士として接していた。それがかえって向こうからしたら嫉妬を生んだのだと思う。私が親友扱いせず取引先としてドライに扱う人間だったら、むしろそのほうが彼も普通に付き合えたんじゃないかな。変な考えを起こさなかったんじゃないかな。
「これからの大谷選手にとっては良い影響しかない」
それが私の総括だ
むしろ今回の件は、今後の彼のことを考えたら良い影響しかないと私は思う。今回初めて、野球以外のことは他人に丸投げして甘えていた自分を反省しただろうし、チームメイトや記者さんとも、もっと直接、通訳なしで付き合うようになるだろう。嫉妬という人間らしい感情も理解しただろう。
スポーツ新聞で見たけど、ドジャースのロバーツ監督が言ったってね。「緩衝材がなくなり、やっとショーヘイがチームの一員になった」って。あのコメントが全てを物語っていると思うよ。
大谷選手の人としてのステージアップと、選手としてのさらなる飛躍を確信しつつ。今季も応援しています! 頑張ってください!
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vol.90「大谷翔平選手が遭遇した災難は今後、彼の飛躍を約束するものになる」と、私が考える理由(2024.4.17)
著者プロフィール
佐藤 勝人 Katsuhito Sato
サトーカメラ代表取締役副社長/日本販売促進研究所.商業経営コンサルタント/想道美留(上海)有限公司チーフコンサルタント/作新学院大学客員教授/宇都宮メディア.アーツ専門学校特別講師/商業経営者育成「勝人塾」塾長
経 歴
栃木県宇都宮市生まれ。1988年、23歳で家業のカメラ店を地域密着型のカメラ写真専門店に業態転換し社員ゼロから兄弟でスタート。「想い出をキレイに一生残すために」という企業理念のもと、栃木県エリアに絞り込み専門分野に集中特化することで独自の経営スタイルを確立しながら自身4度目となるビジネスモデルの変革に挑戦中。栃木県民のカメラ・レンズ年間消費量を全国平均の3倍以上に押し上げ圧倒的1位を獲得(総務省調べ)。2015年キヤノン中国と業務提携しサトーカメラ宇都宮本店をモデルにしたアジア№1の上海ショールームを開設。中国のカメラ業界のコンサルティングにも携わっている。また商業経営コンサルタントとしても全国15ヶ所で経営者育成塾「勝人塾」を主宰。実務家歴39年目にして商業経営コンサルタント歴22年目と二足の草鞋を履き続ける実践的育成法で唯一無二の指導者となる。年商1000万〜1兆円企業と支援先は広がり、規模・業態・業種・業界を問わず、あらゆる企業から評価を得ている。最新刊に「地域密着店がリアル×ネットで全国繁盛店になる方法」(同文館出版)がある。Youtube公式チャンネル「サトーカメラch」「佐藤勝人」でも情報発信中。
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