こんにちは、佐藤勝人です。「夏が来ぅ~れば思い出すぅ~ はるかな尾瀬 とおい空ぁ~」。小学校の時に習った歌だけど、日本の場合、この季節になるとこの関連のことを思い出すというのが多い季節は、やっぱり夏だと思う。
私の世代は『トップガン』が話題だけど
いやいや、こっちも見といたほうが
それは多分、終戦記念日が夏だからだ。1945年8月15日に戦争が終わった。また8月15日はお盆でもあるから、何やかんやでご先祖さまのことも考える。「ご先祖さま×終戦=あの時代に生きた人たち」という連想で、なんとなく自分のことも時系列で捉え直す気持ちになる季節。――それが夏だ。
私は出張先でスキマ時間を利用して、本屋さんか映画館を活用することが多い。1時間足らずくらいなら大体は本屋さんに入る。2時間くらい空いたときは、スマホで上映時間を調べてちょうど時間が合えば、映画館で映画を見ることが多い。空調が効いた室内でゆったり椅子に座って、刺激を受けたり感動したりと、短時間で脳がリフレッシュできるからね。そんなわけで映画『教育と愛国』も、特に深い狙いもなく観たわけだけど・・・。
いやー、すごかった。個人的にマジでお勧めする。映画自体は思想的に偏った映画ではなくて、教育の現場で今何が起きているかを、教科書という切り口で追いかけたドキュメンタリーだ。元になったテレビ番組はその年の優れたテレビ番組に贈られる放送批評懇談会主催の「ギャラクシー大賞」を2017年に受賞していて、その後追加で取材したことも加えて今回の映画版が出た。興味があったら観るといいよ。
ものすごく単純化して説明すると、要は政治家が教育の現場に介入することをどう考えるかを問いかける映画だ。「それはちょっとマズいでしょ」という考え方と、「政治が介入して何が悪いんだ」という考え方の両方があって、後者は「次世代の子どもたちに愛国心というものを持たせるためにむしろ積極的に介入するべき」という立場に立っている。政治が教科書をコントロールするのが正義だ、そのほうが子どもたちのためにも国のためにもなるんだ、という立場だ。
そのこと自体に何か言うつもりはない。お互いの考え方の違いだからね。ただ、介入擁護派の問題意識であるところの「自国と自分に自信を持てない子どもたちの増加」と、そうなる原因が「日本を嫌いになるようなことが書かれている教科書で学んでいるから」だという理解は、ちょっと違うんじゃないかなぁ。
子どもたちはそんなことで自分に自信をなくしたりするだろうか。それよりも、実際何があったかを教えてもらえないことのほうが、事実を知らされないことのほうが、よっぽど自信をなくさせると思うよ。
そこでいくとドイツは偉い。「自分たちはある時期にこんなひどいこと(ホロコースト)をやった、うわ~恥ずかしい、ご先祖さまマジでイケてない、でも事実だ、だったら受け入れて、今後はどうすべきかを全員がそれぞれに考えよう」――こういう歴史教育をしている。このほうが、実際あったことを隠して嘘で美しくして教えるより断然いい。断然自信を持てる。だって、どこにもゴマカシがないんだからね。
自分は何と闘ってきたのか
正体は「排除の論理」だった
この映画で思ったことはもう一つあって、自分がこれまでずっと何と闘ってきたかがわかった気がしたんだよね。
というのは、要は「愛国」も「日本人」も、ヤマト民族がどうたらという話なんだよ。でも、今時、SDGsだジェンダーレスだと言って国に関係なく性別の垣根すらなくして個を尊重しようとしている時代に、まだ民族の話をしているのって、どうなの?
ヤマト民族とはこうあるべき、という鋳型が頭の中にある人たちにとって、例えば「会社員」は、黒髪で七三に分けて背広にネクタイで・・・という姿だろう。社会に出て正社員になって働くということはこの「会社員」という型に自ら嵌まることであり、型に嵌まれない人や嵌まろうとしない人は社会不適合者だ、というくらいの見方が、極端に言えば社会全体にあった。
教育の現場もそうだ。「美しい日本の正しい生徒はかくあるべし」という無言の圧力があって、そこから外れた生徒たちは不良のレッテルを貼られ、別に法を犯しているわけでもないのに吊るしあげられた。私はその風潮というか全体的なシステムというかが嫌で、自分から学校に見切りをつけたほうだ。籍は置いていたけどそれだけで、絶対に学校や教師の期待通りになんかなってやるもんか、と思って一人で闘っていた。
今私がサトーカメラで「服装や髪型が自由」「個々のスタッフの良さを活かした接客」を社是に決めて個を尊重しているのは、中学時代に始めた私の個人的な闘いを、今も続けているのかもしれない。あの当時はわからなかったけど、だから「学校」とか「教師」とかと闘っているつもりだったけど、そうじゃなくて“かくあるべき”という考え方が、そこにある「排除の論理」が、私が闘っている相手だったんだ。この映画を見てやっとそれがわかったよ。
店長クラスを集めて教えたこと
自分を美化して部下を教えるな!
「排除の論理」は不適合者を生み出す。社会不適合者、学校不適合者、会社不適合者、等々という具合に。例えば夏休みに宿題を全然計画的にできなくて8月31日にやっつけで終わらす子どもは、「正しい夏休みの過ごし方不適合者」だろうか。その基準で行けば私なんか万年不適合者だ。未だかつて適合者であったためしがない(笑)。――そして、それでいいのだと思う。つい先日も、私はサトーカメラの店長クラスを集めて同じことを言ったばかりだ。
「いいか、夏休みの宿題をちゃんと計画的に進めていたような人は今頃ここにはいないからな。キチンと計画通りにできた人はもっといい会社に行ってるから(笑)。部下に教えるときも一緒だぞ。計画的に取り組まなくてどうする! とか言って部下を責める上司に限って、自分がぺーぺーだった頃は無計画でテキトーだったんだ。そのこと自体はいい。事実である以上は仕方ないからな。問題は、今の自分のレベルから部下のレベルに降りていって指導しようとしないことなんだ。できなかった頃に君たちが何に悩み、どう解決を図ったかを部下は知りたいのに、まるで『できなかった』という事実がなかったみたいに自分を美化して教えようとする。それじゃ駄目だ」
この「自分を美化する」という自己欺瞞も、自分で自分に「排除の論理」を行使した結果だと思う。そうやって事実をなかったことにして紡ぐ歴史に何の意味があるだろう。どうしてそれで自分に自信が持てるだろう。――そんなことを考えさせられる映画でした。
最後に、政治家としての信条や活動に関係なく、あってはならない最期を遂げた安倍晋三元首相に対し、ご冥福をお祈りします。合掌。
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繁盛請負人・佐藤勝人の時事国々リポート
vol.69 終戦記念日とお盆が重なる夏に、日本の歴史教育のあり方を考える