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建設的な床屋政談を

 
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首相官邸内閣議室(首相官邸ホームページ)
先月16日、政府が「経済財政運営と改革の基本方針2023」――通称「骨太の方針2023」――を公表した。サブタイトルは「加速する新しい資本主義~未来への投資の拡大と構造的賃上げの実現~」だ。このサブタイトルだけでもツッコミどころ満載だが、各誌のアナリストや政治系YouTubeチャンネルがさっそく解説を試み、さまざまな意見・批判が飛び交っている。
 
この百家争鳴の状況に、おこがましながら筆者も加わってみようというのが本稿の趣旨である。
 
とはいえ筆者は、経済が先か財政規律が先かの問題(「財務省は敵だ!」論)とか、防衛財源はどうするどうなる問題(「どうせ日米合同委員会の範疇だろうからどうにもできんだろうに」論)とかについては素人なので、取り上げない。取り上げるのは、これまでも折に触れ小欄で考えてきた「雇用・労働・働き方」に関する箇所である。「骨太の方針」ではページ1から6までがこれに該当する*1
 
なお、冒頭に言った「ツッコミどころ満載」とは、議論のとっかかりになるポイントがたくさんあるという意味の肯定的な評価である。以降本文も、一見意地悪に見えてよく読むと建設的な議論に展開しそうなツッコミを心がけた。
 
 

社会課題、物価、賃金

 
手法としては語義への注釈で行こう。まず1ページ目中段、第1章-1「基本方針の考え方」から下記の箇所。下線は筆者。
岸田政権が進める「新しい資本主義」は、こうした変化に対応した経済社会の変革を進め、社会課題の解決に向けた取組それ自体を成長のエンジンに変えることで、持続可能で包摂的な社会を構築し、裾野の広い成長と適切な分配が相互に好循環をもたらす「成長と分配の好循環」を目指すものである。
 
「それ自体を何々とし」という言い方は、職業柄からの経験上、レトリックなのか、ちゃんと中身が想定できているかがとりわけわかりにくい表現である。仮に中身が想定できているとすれば、近年言われる「社会課題解決型ビジネス」こそが今後の資本主義経済諸国では成長産業になり得る(と政府は考えている)、という意味だろうか。ということは「社会課題解決型ビジネス」について調べねばならない*2。そのうえで政府の見立てを論じたい箇所だ。
 
どんどん行こう。次は同ページ下段の下記の箇所。
まず、コストの適切な転嫁を通じたマークアップの確保を行うとともに、高い賃金上昇を持続的なものとするべく、リ・スキリングによる能力向上の支援など三位一体の労働市場改革を実行し、構造的賃上げの実現を通じた賃金と物価の好循環へとつなげる。
 
渡辺努著『物価とは何か』を読む限り、本邦の物価は賃金即ち所得が少々増えたところで動かない。物価をどうするか、どうしたいかは所得と別立てで考えるべきかもしれず、その際は一般に信じられている「物価はマイルドなインフレが一番いい」という共通認識についても果たしてどこまでそうなのか、どのような意味においてそうなのかが、掘り下げて理解される必要がある*3
 
 

家計所得増大、労働市場改革、ジョブからタスクへ

 
次いで第2章の1、「三位一体の労働市場改革による構造的賃上げの実現と「人への投資」の強化、分厚い中間層の形成」の冒頭から。
あわせて、賃金の底上げや金融資産所得の拡大等により家計所得の増大を図ると共に、云々。
 
「家計所得の増大」は市民の側からは「可処分所得の増大」と読み換えたい。それも社会保険料や被徴税額まで計算に入れた最終的な可処分所得だ。国や政府がそんな親切な言い換えをしてくれるはずはないので、市民は自主的に脳内変換すべし。
 
続いて同じ項の第1節(三位一体の労働市場改革)から次の箇所。
一人一人が自らのキャリアを選択する時代となってきた中、職務ごとに要求されるスキルを明らかにすることで、労働者が自らの意思でリ・スキリングを行い、職務を選択できる制度に移行していくことが重要であり、内部労働市場と外部労働市場をシームレスにつなげ、労働者が自らの選択によって労働移動できるようにすることが急務である。
 
職務ごとに要求されるスキルは誰が明らかにするの? 誰を主体に想定している? 何によって明らかにできると考えている? 内部労働市場と外部労働市場がシームレスな状態を想定するということは、業界標準のジョブディスクリプション(職務記述書)のようなものの普及を考えているのだろうか*4
 
労働移動について。この「労働移動」は「~シームレスにつなげ」の文脈からして、労働市場を内部と外部に分けることにそもそも意味がなくなるような労働移動のことを言っているはずだ。それこそ、労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎氏が6月24日のブログで語った「ジョブからタスクへ」の動きがその究極であるような*5
 
この形態においては現在注目――場合によっては称揚――されているジョブ型すら少なくなり、タスクベースでスポット的に人を使って経済を回す社会が立ち現れる。そうなれば濱口氏がまだ穏当に「ジョブ型雇用」と表現している状態から「雇用」の要素が抜け落ち、ジョブがむき出しの概念で残るだろう。
 
ただ、むき出しの概念としての「ジョブ」は人が自らの活動を言い表すものとしては露わすぎ、孤独すぎる。この現代的孤独によく耐えるにはある種の素養が必要だ。ちなみに筆者は過去小欄で、主に需要サイドから切り込んでこの世界観を提示しておいた*6。「労働移動」は政府が進める三位一体の労働市場改革の中心になる用語だ。繰り返し吟味されていい。
 
なお、方針が謳う「三位一体」の三位とは、普通に想像される「政・財・労(労働者)」のことではない。「リ・スキリングによる能力向上支援」「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」「成長分野への労働移動の本格化」の三つのことだ。メディアの切り抜きに鈍感になっている人は注意されたい。
 
 

生産性向上、価格転嫁、退職金制度、賃金

 
次に4ページ目中段の下記の箇所。
地方、中小・小規模企業について、三位一体の労働市場改革と並行して、生産性向上を図るとともに、価格転嫁対策を徹底し、賃上げの原資の確保につなげる。
 
生産性向上をめぐっては技能実習制度の是非がやはり問われる。方針には「構造的な人手不足」という語が繰り返し出てくる。人手不足は生産性向上の発動因であることは労働経済学の基本だが、本邦はこの原理を1993年創設の技能実習制度によって一定程度放棄した。別な言い方をすれば問題を先送りした。2018年には特定技能制度の創設により公式に外国人を国内の労働人材構成に組み込むことでさらに先送りした*7。あれから5年、さすがに先送る余地がなくなった今回は本気で生産性向上を図れるだろうか*8
 
「価格転嫁対策」について。これを正しく「価格転嫁促進対策」と読む人は案外少ないのではないか。正しい理解を広めるためにはちゃんと「促進」と書かねばならないが、それをすると「政府は物価高を助長する気か!」と有権者に怒られる(選挙で落とされる)と考えたか、それとも、川下の取引先企業から価格転嫁された請求書が上がってくることを嫌う経済界の上部団体が二字トルツメを迫ったか。――いかにも床屋政談らしい妄想だが、一事が万事だ。これくらいの牽制は入れておいていいだろう。
 
該当ページの終盤、5ページ目上段からは次の箇所を。
「成長分野への労働移動の円滑化」については、‥略‥自己都合による離職の場合に失業給付を受給できない期間に関し、‥略‥会社都合の離職の場合と同じ扱いにするなど、‥略‥要件を緩和する方向で具体的設計を行う。また、自己都合退職の場合の退職金の減額といった労働慣行の見直しに向けた「モデル就業規則」の改正や退職所得課税制度の見直しを行う。
 
自己都合か会社都合かの前に、退職金制度はもう辞めてはどうか。日本的メンバーシップ型雇用において退職金は、労働者に長期在職を求めるための、文字通り人質と化している。経営者は「最初はそうでなかった」「うちは今もそうでない」と言うかもしれないが、それならちゃんと二文字入れて「退職見舞金」と呼ばないと、後払い型給与の性格が一掃されない。
 
退職所得課税制度の見直し、即ち退職所得控除額の見直しが必要なことも論をまたない*9。現状で後払い給与を会社に積み立てている世代への補償をどうするかはまた別の話だ。
 
続いて同ページ中段、下記の箇所。
最低賃金の引上げや同一労働・同一賃金制の施行の徹底と必要な制度見直しの検討等を通じて非正規雇用労働者の処遇改善を促し、我が国全体の賃金の底上げ等による家計所得の増大に取り組む。
 
読点でつなげてこの二つを言われると、「賃金の底上げ」が、現状の正社員への(退職所得控除等を含む)相対的に不当な優遇を非正規労働者に配分し直して全体で均すニュアンスになりかねない。本来の趣旨はそうではなく――それは当然やったうえで――、労働者総体の処遇改善、つまり労働分配率の向上を促したいということか*10
 
そうであることを願いつつ筆を擱く。読者諸兄におかれても、ぜひ床屋政談に励まれたし。
 
 
 
*1 経済財政運営と改革の基本方針2023(内閣府)
*2 「失敗するビジネス」に共通する残念な3大典型例(東洋経済オンライン2023/04/04)
*3 講談社・2022年1月発行『物価とは何か』――なお、本書の内容に関しては拙評も参照されたい
*4ジョブディスクリプションと労働移動に関しては2018年8月の小欄も参照されたい
*5 ジョブなきワークの時代(hamachanブログ2023年6月24日)
*6 「おひとりさま」は何するものぞ ~時代に適応するための感性とは~(2018.3.7)
*7 技能実習および特定技能制度については2019年1月の小欄も参照されたい
*8 地方や中小・小規模企業における人手不足をめぐっては2020年10月の小欄も参照されたい
*9 ブロガーの山本一郎氏は「終身雇用はすでに労働者人口全体の6%程度」と指摘するが、それならなおのこと、退職金そのものの廃止が説得力を持つだろう。繰り返すが、退職見舞金は歓迎だ
*10 労働分配率をめぐっては、外国人株主保有比率が高いほど配当への分配が促進され、人件費への分配が抑制されることが確認されている。参照:「株主構成が付加価値の分配に与える影響」(2015年1月 早稲田大学商学部広田真一ゼミ)
 
(ライター 筒井秀礼)
(2023.7.5)
 
 

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