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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

俳優・監督・アーティスト
異才の履歴から学ぶ可能性の泉

 
 
いわゆる演劇青年だった竹中氏は、演劇青年がたどるセオリー通りの貧乏生活だった。その当時の目標は「風呂付きの家に住むこと」 だった。人間、何ごとも続けていれば結果はついてくるもので、間もなく竹中氏にもターニングポイントが訪れる。竹中直人、27歳のときだった。
 
 

まずは根城のステップアップ

 
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 このままじゃダメだなって思って、自分で売り込み活動を始めました。学生時代に、友人が応募した素人の勝ち抜きコメディアン番組によく出ていたんですが、そのときにお世話になった方々を訪ね歩いて 「仕事を下さい!」 ってね。国分寺 (東京都国分寺市) の古着屋さんから衣装を借りて、松田優作さんやブルース・リーのマネしながら。すると芸能プロダクション 「人力舎」 の設立者・玉川さんという方の目に止まって、テレビ朝日の 『ザ・テレビ演芸』 に出演させていただきました。横山やすしさんが司会をしていた番組です。その番組で3週勝ち抜いてデビューにつながりました。
 それからですね、1万2000円のアパートから5万円の貸家に引っ越すことができました。その貸家は猫がダメで、ぼくは当時猫を飼っていて、すぐに引っ越すことになってしまったんです。当時ありがたいことに仕事がどんどん来ていたので、思いきって憧れのマンションって奴に住むことになりました。それも猫を飼ってOKの9万円の新築マンション、それも真っ白なね。「このおれが真っ白なマンションに住めるなんてな」 ってしみじみ思いました。
 多くの不安の中でずっとやってきましたが、人との出会いが自分を支えてきた。その出会いの中から何かが生まれるという流れはずっと変わっていないと思います。
 
 
芸能界という浮き沈みの激しい世界で、竹中氏は順当にジャンプアップしてきた。現在までの活躍ぶりを見ると、向かうところ敵なしのようにも見えるが、実は不安でたまらなかったという。「いつ消えてもおかしくない」――驚くことに、ステータスを築き上げた今でも、根底には必ず不安感があるという。では、不安にもがく竹中氏を支えてきたのは何なのだろうか?
 
 

彼女の胸と横山やすしと

 
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 ぼくは意外に控えめな性格なんですがね(笑)。 そしてすぐに落ち込む性格。デビューした時も、あまりにみんなが面白いと言うので、一年で消えてしまうと思っていた。デビュー当時はそれが不安で不安で仕方がなくて、その頃に付き合っていた彼女の前でよく泣いていました。でも、自分が本当に面白いと思うものを作りたいという気持ちは心の深いところにはありました。そこに周囲の人がどう応えてくれるかが心配でしたが、やはり多くの人との出会いが自分を支えてくれたんだと思います。
 たとえば、テレビ演芸で司会をしていた横山やすしさん。若手芸人には厳しかったんですが、どういうわけかぼくにはすごく優しくて。わざわざ楽屋に来てくださったり、時には日本酒持ってきて 「一杯やろうや」 なんて言ってくださったりしました。「お前おもろいなぁ、おもろいんやから、自信持ってやれよ」 といつも言ってくださいました。最終的には自分の力で弾き返さなくてはいけないんですが、人の支えは本当に大きかった。今でもそうです。いろんな方の一つひとつの言葉だったり、表情だったり、そういうものが積み重なって今の自分を支えてくれているんだなァと思いますよね。
 
 
 
周囲の期待と人との関係性の中で、竹中氏は次々と結果を残してきた。初めは芸人として、やがてクリエイターとして、ジャンルの垣根を飛び越えて、新たな挑戦をし続けてきた。その代表が映画監督への挑戦だろう。1991年の 『無能の人』 に始まり、2009年の 『山形スクリーム』 まで、現在までに6作品のメガホンをとっている。竹中氏はこうした作品の中に、どんなメッセージを込めているのだろうか。
 
 

テーマなし、メッセージなし?

 
 映画を撮るときにはテーマとかメッセージという次元のものはぼくにはないです。何かを伝えようと思うことはぼくには欺瞞に思えてならない。「好きだ」 という気持ちだけです。その 「好き」 を積み重ねてゆく作業が楽しい。『無能の人』 を撮ったときも、つげ義春さんが大好きだったので 「『無能の人』が監督デビュー作だったら、おれ最高だなぁ・・・・・・このタイトル、ヤバいよなぁ・・・・・・」 と思っていただけだった。そして 「風吹ジュンさんに奥さん役やってもらえないかなあ・・・・・・ええっ、オッケーかよ! じゃ音楽はゴンチチで・・・・・・マジ!? オッケーかよっ!!」 というようなノリで(笑)。 自分の中で組み合わせを考えていくのは本当に楽しい作業ですね。スタッフでもカメラマンはこの人がいいなとか、この役はこの人がいいなとか、この役にはこんな服を着せたいからその色合いを分かってくれるのはこのスタイリストがいいなあとかね。それが、いざ現場で結集したときに理想を超えていたりなんかしたら、最高ですね。
 
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 テーマやメッセージもそうですが、ぼくは自分が時代に何か仕掛けていこうとするタイプではないと思います。周りの状況を常に感じながら、自分がどういうバランスで関わっていくのかを探っています。しばらくは虎視眈々と我慢しながらバランスを見て、「今は抑えておこう」 とか、「ちょっとハジけてみよう」 とか、そういうのは動物的な感覚によるもののような気がしますね。でも、あまりに臆病になりすぎるのも緊張が増すだけなので、最初から壊してしまうこともよくあります。
 逆に俳優として作品に関わるときは監督の指示に従います。 監督の期待にどれだけ応えられるか、それだけを考えています。井筒和幸監督は、最初からどんどん行くと喜んでくれて。「タケさん、いいわ~! 最初から飛ばすわ!」って(笑)。 周囲には 「竹中、うるせえ芝居しやがって、コノヤロー」 と思っていた人もいるかもしれませんが、監督が喜んでくれたら俳優冥利に尽きますから、まずは。監督が嬉しそうな顔をすると、こっちまで嬉しくなりますからね。
 
 
 
 

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