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コラム もういっぺん、作ってみようや! vol.9 岡野流世渡り力 もういっぺん、作ってみようや! 岡野工業株式会社

コラム
 
 

技術や腕と同じくらい大事な「世渡り力」

 
 おれが 「世界一の職人」 と言ってもらえるようになったのは、携帯電話のバッテリー用のリチウムイオン電池ケースや、蚊の口みたいに細い 「痛くない注射針」 を作ったあたりからだ。蚊の口と同じくらい細い針を作ったってなると、小難しい技術論をひけらかしそうな気がするだろう。たしかに技術や腕は大事だよ。でも、それと同じくらい大事なものがある。「世渡り力」 だ。どんなにいい腕があっても、世渡り力がなきゃ、仕事も人生もうまくいかないよ。こいつはおれが保障するね。
 おれが勧めるのは、ヘラヘラおべっかをつかったり、人をだましたり陥れたりして自分だけ得をするような、そんな薄っぺらい世渡りじゃない。おれの世渡り力はヤクザの兄さんや玉ノ井のお姐さんたち、軍需産業で儲けた大金持ちとの付き合いで鍛えられた筋金入りだ。
 
 おれの両親はおれをいい学校に行かせたがった。「勉強しろ」 とよく言われたなあ。だけど、おれは学校の勉強はおもしろくないから行かなかった。「先生が教えるのは表向きの話ばっかりだ。本音の部分は教われない」 と子供ながらに感じてたからね。
 おれが生まれ育った墨田区東向島は、いまで言えば新宿歌舞伎町か六本木さ。少し歩きゃ、レビューや演劇、映画、ファッションのメッカ浅草がある。そこにはいろんな職業や個性の人が集まって、人間の魅力や、いやらしさや、何なかやが泥臭いままで充満してた。
 教科書みたいにやろうったって無理な世界の中で、おれは特に、人と人がつながる 「掛け合い」 に引き寄せられた。夜店、映画館、演芸場、喫茶店・・・ そこに生きてる人たちの雰囲気やエネルギーを吸って、理屈抜きのパワーにあてられて、人生の機微ってやつを学んでいったわけだ。そこで見聞きしたことが、技術や人付き合いのセンスを磨くうえでどれだけ役に立ったか、わからないぐらいだよ。
 
 

おれの世渡り力は玉ノ井仕込み

 
 世の中の仕組みを教えるのは、ヤクザのお兄さんのほうが学校の先生よりうまくて、おもしろかった(笑)。 玉ノ井のお姐さんたちにも可愛がってもらったなあ。玉ノ井てのは、向島の隣町にあった遊郭のことだ。そこがおれたち子供の遊び場だった。おれたちは金魚のフンみたいにお姐さんたちにくっついて、一緒に町のほうぼうを歩いてた。姐さんたちも、ガキを連れてると細々したことの役に立つし、おもしろいから、こっちがルールを守ってるぶんには楽しそうに連れ回ってくれた。
 この 「ルール」 が、今日話したいことだ。姐さんたちは町に出ると旦那衆やあちこちの店主と会って、やり取りする。お願いごととか、ことづけとか、頼まれごとみたいなことだ。おれたちはそのやり取りを見て、「人の使い方」 とか、「ものの頼み方」 とか、「人のあしらい方」 とか、要するに世渡りのルールを知らないうちに教わってたんだ。
 たとえば、「人に何かしてもらったら、4回はお礼を言うんだよ」 「食べものをおごってもらったら、すぐに 『ごちそうさま』、次の日も 『ごちそうさま』、次の週も、次の月あたりまでは、会ったら 『こないだはごちそうさま』 と言うんだよ」 と教わった。おれは今でもおごるのが好きだからいろんなやつを連れて行くけど、翌朝一番で電話をかけてきて 「昨日はどうもごちそうさまでした」 って言ってくるのもいれば、顔を合わせたって一言もないやつもいる。そんなやつに二度とおごる気はしない。何かしてもらってお礼の一つも言えないようじゃ駄目だ。
 玉ノ井は雑多な人間たちのるつぼでね。中じゃ、世間のいろんなことが見えた。おれは今でも人を見抜く眼に自信があるんだが、それだって、子供の時分から玉ノ井に入り浸ってたおかげだと思うよ。
 
 

太鼓持ちになってでも一流を知れ

 
 オヤジの工場の手伝いを始めた16ぐらいの頃、仲のいい友だちの父親で、軍需産業で大儲けした金持ちの親父さんがいた。おめかけさんを3人も持ってね。おれの友だちはおめかけさんの子供だった。
 親父さんは寂しがり屋でさ、何かといえばおれたちを遊びに誘ってくれた。その遊び方がえらく豪勢なんだ。総勢20人くらいで冬はスキー、夏は海水浴だ。高級自家用車で銀座や浅草にも連れて行ってもらった。そこで、すき焼きやステーキ、食ったこともない高級なパンも食べさせてもらった。戦後の貧しい時期にだぜ。どれも新しい体験の連続だった。おれはその親父さんの太鼓持ちみたいなことをしながら、「最高・最良のものとはどういうものか」 「成功するとはどういうことか」 を、10代のうちに、体で学んだんだ。
 その親父さんみたいに、本物を、しかも最高のものを知っているのが一番強いね。だからみんなも、一流を見せてくれる人に出会ったらチャンスを逃がしちゃいけないぞ。恥ずかしいなんてのは二の次よ。太鼓持ちに徹してくっついていけ。
 おれは若いときに太鼓持ちをして、自分の力ではとても体験できない世界をこれでもかというくらい見せてもらった。いまおれが人を連れて行く遊びは、昔自分が大金持ちの親父さんに遊ばせてもらったぶんを人に返してるわけなんだよ。
 
 世渡りで大事なことは教科書にも参考書にも書いてない。だから、勉強ばかりしてたって世渡り力は身につかないぞ。人間には “頭のいい” 人間と ”利口な” 人間の二種類がいて、頭のいいやつは学校が教える勉強はできるけど世渡りはヘタだ。“利口”を教えてくれるのは世の中だよ。利口になるには、人に揉まれて、人の中で遊んで、いろんな経験をすることだ。
 
 
今回は、大人と付き合う中で商売の肝を学んだってことを話したが、「時代が違う」 とか 「昔の話だ」 なんて言っちゃいけないよ。世渡りの基本は人との基本。人間が変わらない以上、世渡りの基本はいつまでたっても変わらない。さっそくいまから、人を誘って、外へ出てさ。人と交わって、揉まれて、世渡り力を身につけてくれ。
 
 
 次回は 「仕事がおもしろくなる発想法」 ってことで話してみよう。待っててくれ。
 
 
 
 もういっぺん、作ってみようや! ~町工場最強オヤジ!岡野雅行の直言~第9回 

 執筆者プロフィール  

岡野雅行 Masayuki Okano

岡野工業株式会社 代表社員

 経 歴  

岡野工業株式会社代表社員。十代初めから、実父が営んでいた岡野金型製作所で職人修業を開始。勤勉に仕事にいそしむかたわら遊び仲間も多く、仕事と遊びの双方で「向島の岡野雅行」の名を上げ始める。1972年、製作所を引き継ぐと 「岡野工業」 と社名を変更。金型だけでなくプレスも導入し、高い技術力を持って大手との取引が増え始める。インシュリン用の注射針で主流になっている「ナノパス33」をはじめ、ソニー製ウォークマンのガム型電池ケース、携帯電話のリチウムバッテリーケース、トヨタプリウスのバッテリーケースなど、世界的な躍進を遂げた製品はどれも岡野工業製作の部品が支えているとすら言われている。

 
 
 
 

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