マックの原点は何か
私らの世代はマックといえば“おしゃれなデートスポット”“おいしいハンバーガーの店”だったんだ。今から何十年か前、まだ学生だった頃、私も彼女を連れて渋谷のマックにデートで行ったもんね。初めて見た実際の店は明るくて、キレイで、華やかでカッコよくてね。「アメリカってスゲーな!」って、マックでアメリカを感じたものでした。それでドキドキしながら注文して、出てきたハンバーガーを食べたら、おいっしいのなんのって。感動したよね。「うっわ~、これがアメリカだ~」ってね(笑)。
どうしてこんな昔話から始めるかっていうと、長らくどん底だったマックの業績が、今年2016年に入ってグッと上向いたというニュースを見たからです。1月の既存店売上高が、前年比35%増。客数と客単価もそれぞれ17%、15%の増。マスコミはずっと「マックはもう終わり」みたいに言ってきたが、なかなかどうして、やるじゃないか。
持ち直しの要因について諸説があるけど、私はマックが原点に戻ろうとしていることも理由の一つじゃないかと思う。象徴的なのが、2月後半に正式名称が決まった「北のいいとこ牛っとバーガー」だ。これは最初、「北海道産ほくほくポテトとチェダーチーズに焦がし醤油風味の特製オニオンソースが効いたジューシービーフバーガー」の仮称で販売したメニューだった。長すぎるから正式なメニュー名は懸賞付きで公募することにしたんだけど、長すぎるのも公募にしたのも、もちろん意図的だ。「話題性で客を釣ろうとした」――? 違うな。“ワクワク感”“ドキドキ感”でエンターテインメント性を演出したんだ。マックがマックらしさを思い出したんだ。
日本に来た頃のマックは「楽しい」「カッコいい」「華やかな」お店だった。もちろん食べてもおいしかった。それがコモディティ化を目指していたら、いつしか「安かろう、悪かろう、普通、汚い、ダサい」のイメージになっていったのは、コンビニの影響が大きかった。
銀座に最初のマックがオープンした3年後の1974年、鈴木敏文氏がセブン‐イレブンを日本に持ってきた。80年前後には専用の包装フィルムが開発されて、おにぎりがコンビニで売られるようになった。この頃から藤田田氏はコンビニのおにぎりをライバルと位置づけるようになり、90年代にはハンバーガーの値段をおにぎりと同じ1個130円にした。コンビニに対抗して自分たちも24時間営業にした。要は、意識が競争相手のほうに向かってしまったんだ。ファンのお客さんは置き去りにしながらね。
「何のために事業をしているかを忘れるな」。私が常に言っていることです。マックは寄り道したかもしれないけど、長い寄り道だったけど、原点は見失っていなかったんじゃないか。一気に35%増という数字からそんなふうに思いました。
変わらないディズニー
次にディズニーだ。サービス産業生産性協議会という団体が小売サービス業32業種、上位400企業を対象に行う顧客満足度調査があって、2015年度の結果が先々月発表された。そうしたら、トップ争いの常連で前回も2位だった東京ディズニーリゾートが、今年は一気に順位が落ちてトップテンからも外れていた。
ディズニーが始まったのは、えーと、1983年だ。そうすると、32年か33年前か。行ったねぇ、行きましたよ、私も。10代の頃、彼女と(笑)。行って驚いたのは“ディズニーマジック”だ。当時あったアトラクションの名前じゃないよ。「きゃー! 見てみてあれ! 次あれ行こう!」とか、「なんか可愛いの来た! あ、手振った!」とか、要は行列に並ぶ時間も周りのアトラクションやキャラクターで楽しめるっていうのは、日本人は初の体験だったんです。それがディズニーマジック。
でも、そういう楽しみ方は最初の驚きがなくなったら終わりでしょう。特に今の日本人はエンターテイメントの感覚も肥えちゃってるから、少々のことでは新鮮と感じません。
実は私、去年の冬、嫁さんの誕生日で久しぶりにディズニーでデートしたの。そしたら、何にも変わってなかった。昔のまま。乗り物の列に何時間も並ぶのも、レストランが外で食べる店ばっかりで寒いのも、値段ほどおいしくないのも、あの頃のまま。
でもこっちは、2人とも大人だから“マジック”はもう解けちゃってるわけよ。昔より体力も落ちたし、余分にお金出してでもVIPパスが欲しいのよ。しかし、この夢の国にはその魔法が無いんだなぁ。だからイイ大人が10代の子どもたちと一緒になって走り回ってファストパスを奪い合って行くんだけど、体力が持たないし足腰は痛いしマジ疲れるわ、しかも時間指定がされてて不便だし、だからゆっくりのんびりできないし、だんだん腹が立ってきてね。「二度と来るか!」とキレ――そうになったのを、グッとこらえて、商業者として考えてみた。
ディズニーはぶれていない。オープン当時のままだ。30年以上経ってもあの頃の「夢の国」のままだ。これは生半可じゃできない、立派なことだ。素晴らしい。・・・でも、あれから30年、10代の子どもだった私たちは大人になっちゃったんだ。そんな大人になってから再来場する客が圧倒的に多いんじゃないのかなぁ。
ディズニー転落の原因についてもいろんな説が示されている。ぽんぽん値上げし過ぎただとか、利益のためにギリギリのスタッフで回し過ぎただとか。どれも正解でその通りだろう。だが、本質論で指摘すべきなのは、「変わっていない」ということそのものではないか。
あれから30年、日本が変わった。人口比で大人が増えたし、日本人のエンターテイメントのレベルも上がった。海外旅行だって身近になった。世界中の料理を味わう舌も肥えた。そんな中で、企業としてお客さんに約束するものがいつまでも「子どもの夢の具現化」のままでは、大人になっちゃった私たちはとにかく辛い、嫁と2人で長時間並ばされることがツライ(笑)。人気のアトラクションはせいぜい1つ乗れれば御の字で、不人気アトラクションを2つ3つ乗れた程度。これじゃ、子どもは騙せても大人は騙せないわな。
ディズニーはあえて自分を変えない道を選んだんだと思う。変えたマックと違ってね。それぞれの道について、皆さんはどう思いますか。
vol.11 変えるべきか、変えざるべきか
著者プロフィール
佐藤 勝人 Katsuhito Sato
サトーカメラ代表取締役副社長/日本販売促進研究所.商業経営コンサルタント/想道美留(上海)有限公司チーフコンサルタント/作新学院大学客員教授/宇都宮メディア.アーツ専門学校特別講師/商業経営者育成「勝人塾」塾長
経 歴
栃木県宇都宮市生まれ。1988年、23歳で家業のカメラ店を地域密着型のカメラ写真専門店に業態転換し社員ゼロから兄弟でスタート。「想い出をキレイに一生残すために」という企業理念のもと、栃木県エリアに絞り込み専門分野に集中特化することで独自の経営スタイルを確立しながら自身4度目となるビジネスモデルの変革に挑戦中。栃木県民のカメラ・レンズ年間消費量を全国平均の3倍以上に押し上げ圧倒的1位を獲得(総務省調べ)。2015年キヤノン中国と業務提携しサトーカメラ宇都宮本店をモデルにしたアジア№1の上海ショールームを開設。中国のカメラ業界のコンサルティングにも携わっている。また商業経営コンサルタントとしても全国15ヶ所で経営者育成塾「勝人塾」を主宰。実務家歴39年目にして商業経営コンサルタント歴22年目と二足の草鞋を履き続ける実践的育成法で唯一無二の指導者となる。年商1000万?1兆円企業と支援先は広がり、規模・業態・業種・業界を問わず、あらゆる企業から評価を得ている。最新刊に「地域密着店がリアル×ネットで全国繁盛店になる方法」(同文館出版)がある。Youtube公式チャンネル「サトーカメラch」「佐藤勝人」でも情報発信中。
オフィシャルサイト
オフィシャルフェイスブック
https://www.facebook.com/katsuhito.sato.3?fref=ts
サトーカメラオフィシャルサイト
YouTube公式チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCIQ9ZqkdLveVDy9I91cDSZA (サトーカメラch)
https://www.youtube.com/channel/UC4IpsvZJ6UlNcTRHPgjellw (佐藤勝人)