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――今、さまざまな業種において、イノベーション(技術革新)がかつてないほど必要とされている。衣料クリーニングの業界も例外ではない。そんな中、(株)ハッピーの橋本英夫氏は「スーツを水で洗っても生地を傷めずシルエットも崩さないという」洗浄理論を発明してインダストリアル化に成功、技術革新を遂げた。その先輩イノベーターと共に、「求められるべき企業の在り方」について考える。

 

楽は苦の種、苦は楽の種

 アメリカに端を発した金融システムの崩壊が2008年末に起きたことで、一挙に世界同時不況に陥った。その昔から、行き過ぎたアメリカの絶対的資本主義の金融市場に警鐘を鳴らす専門家もいたが、経済の循環が順調なときは誰も耳を傾けることはなかった。
 もちろん、いつの時代も順風満帆な有頂天の状態が長く続くものでないことを、誰もが知っている。
 「栄枯盛衰」世の倣いを知識レベルで分かっていても、人間の欲・得にブレーキをかけたり、我がままなココロをセーブしてコントロールすることは、知恵や英知で固められた実学の勇気がなければできないことである。「過ぎたるは及ばざるが如し」の譬えのとおり、何ごとによらず腹八分目がちょうど良い。
 つまり、静かで目に捉えられない社会動向に対して、人の心理が「どう、働くか」という視点から考えなければならない。目に見えることもなく、耳に聞こえることもない、五官に感じられない人々のココロの底流にある想念や心理が、社会の潮流・トレンドを作っていく。
 
 そういう人々の想いを自然界の水の性質に譬えてみる。
 水は、高いところから低いところへ流れ、水は、石や流木など、周囲を巻き込む。また、水は、方円の器に従うと言い、いかなるカタチをしていようが隅々にまで浸透していく。
 このように、水は、モノゴトを動かす大きな力を持っているが、反面に、水は止まると腐るというデメリットもある。「水五訓」という中国の故事は、人の生き方を水に譬えて説いている。
 また、山に登らなければ天の高さに気づくこともない。深海に潜らなければ大地の厚さを知ることもない。考えてみると日常生活というのは、自然の営みの中で暮らしていると考えるのが普通だ。
 しかし、ときとして、「自然を動かしているのは自分だ」という錯覚に陥るのも人間だ。冷静になると、そのような大それたことを誰も考えることはないけれど、冷静沈着になって考えられないのが人間でもある。
 驕り昂りである増上慢というココロが古今東西の人間をそうさせてきた。エゴで塊った人たちは、人を人と思わず人間社会を堕落の道に誘い込み秩序を乱し、栄耀栄華を貪り続ける。度が過ぎてくると、人間の五官には感じられない何かが自然浄化の準備を始める。
 利己主義の潮流が社会に蔓延し、一定のキャパシティをオーバーすると、陰に、陽にかかわらず浄化のカタチを変えた崩壊が始まる。自然界の浄化作用は、生きている我々にとって、途方もないほどの苦しみを時として与える。つまり、未だ得ざるを得たりと思うココロの蔓延が、社会が崩壊していく道をたどらせるようになる。人間は、自然界の一部であり、人間が自然界を創造したわけではない。人間に植物の種一つが作れないことは誰もが知っている。
 日々の仕事において私欲の貪りが極端なほどに顕在・露骨化してくると、「自分にできないことは何もない」という利己主義の思考回路がつくられるようになる。
 つまり、蒔いた種の実しかできないということである。ここを心得ていないと、イノベーションを起こすことは不可能だということを自覚しなければならない。これが、「楽は苦の種、苦は楽の種」という、いたって単純な自然界の摂理である。

 

日本の八百万の神思想がイノベーションを起こす

 さらに視点を変えて考察すると、欧米社会の君と民は、君が民を支配するという関係にあり、日本のような君民一体という考え方がない。欧米人の思想には、自然をも征服しようとするDNAの奥深くに刻み込まれた支配欲が昇華されている。
 しかし、一方では、DNAの奥深くに刻み込まれた支配欲思想の行き過ぎや過ちを、宗教や信仰によって自己制御・コントロールしているともいえる。欧米社会の宗教は、一神教であり、絶対的な神を崇拝し、日本人のように八百万の神の信仰があるわけではない。また、死んでしまうと神・仏になるという、自然に融合し、自然と一体化した日本人の宗教観や思想は、欧米社会には存在しない。

 

 橋本英夫 イノベーション基礎学 ハッピー

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