現代のビジネスパーソンを取り巻く現象を社会学の視点から読み解く連載企画。前回 (09年10月号) はクリント・イーストウッド作品を参照しつつ、「勘違いしない理解力」 というテーマでお届けした。今回は政権交代から一定期間が経過した状況も受け、「お任せする政治から引き受ける政治へ」 の流れを軸に、現代のビジネスが置かれている社会的文脈を解説していただく。
ビジネスを取り巻く社会的文脈
アメリカ発の概念に、いわゆるSRIすなわち 「社会的責任投資」 というものがあります。それに関連するCSRすなわち 「企業の社会的責任」 という概念もかなり人口に膾炙しました。実は、これらの概念のルーツを辿ろうとすると、意外かもしれませんが、マルクスの 『資本論』 に行き着くのです。
『資本論』 を 「悪い奴 = 搾取する資本家がいるから社会が滅びる」 という理解で読むのは間違いです。正しくは 「資本主義経済で人々が合理的にふるまえば、必ず大恐慌や窮乏化が引き起こされる」 です。『資本論』 から、経済的には一見すると合理的に見えないような社会的営み (労使協調路線や、再配分や、経済への政府の介入) の必要性が理解できます。
その意味で、『資本論』 は長らくエリートによって読まれてきたのです。『資本論』 なくして、19世紀末からの制度派経済学も、20世紀のケインズ派経済学も、あり得ませんでした。あるいは大恐慌以降のニューディール政策も、ニューディールの延長戦上に展開するフォード主義的な労使協調路線もあり得なかったでしょう。
たとえば、産業が重化学工業段階 = 独占資本段階になると、企業は大規模設備投資をして、大量生産によって労賃を切り詰め、製品単価を安くすることで競争に勝とうとしがちです。結果、労働分配率が下がり、消費者の購買力が落ち、製品が余り生産設備が余り、企業が設備を購入する際に金融機関から借りたお金を返せなくなって金融恐慌が起こります。
このメカニズムはどこかに悪い奴がいるという話ではありません。その意味で、SRIやCSRも、「資本主義が存続するための必要条件を、資本主義の内部で生み出すことができないだろうか」 という問題設定が出発点です。そこから、資本主義社会の存続のために必要な 「品位」 を保つことが、企業に求められる社会的責任だという考え方が出てきます。
僕はよく、「経済を回す観点からは、社会を回そうという観点は自明には出てこない」 ということを言います。「経済を回すと同時に、社会も回す」 には、商品を買ったり投資したりすることが、企業への一種の投票行為になりうることを、市民がちゃんと意識する必要があります。こうした投票によって、責任を果たさない企業を退場させるのです。
世界には今後も資本主義しかあり得ません。これは東側社会が崩壊して以降の大前提です。しかし、ヒト・モノ・カネの資本移動が自由なグローバル化状況の中では、国が強権的に命令して企業活動を制御するのは難しい。法人税を上げたり、自由な起債を禁じたりすれば、投資係数が上がる = 投資効率が落ちるとして、企業が国外に逃げるからです。
資本主義社会を存続させたいなら、社会にとって有益な 「良きサービス・良き商品」 を売る企業に、地球上の人々が連携して投票 (消費や投資) するように変わるしかありません。今後ビジネスがこうした文脈の中に置かれていくことが確実です。さもないと資本主義社会は存続できないからです。人々が責任を果たさないと社会が存続しないのと同じです。
付加価値は「幸せ」がキーワード
学生の就職にも同じ力学が働かねばなりません。企業経営者がどんな社会的ビジョンを持つか ――例えば環境問題にどんなコミットメントをしているのか―― を徹底して探索した上、社会的責任を果たしている企業に就職しようと思わねばなりません。企業が社員を選ぶように、社員も企業を選ぶべきです。ここにも投票メカニズムが機能する必要があるのです。
企業側も、社員を今までとは違った物差しで選ぶ必要があります。従来は事業を成長させるために、あるいは株主を満足させるために、金を稼ぐ社員が偉かった。これからは、そんな短期的な話にコミットしていては企業は生き残れません。社会的期待に応えて企業を生き残らせることに貢献できる社員が、求められるようになります。それしかないのです。
蛇足ですが、実践的には企業が求める社員像は昔も今も同じです。「何でもやります。何でもできます。その証拠に学生時代の実績はこうです」 と言える人材が欲しい。「自分に向いているので御社に入りたい」 などと典型的な自己実現幻想を抱く “お門違い” な学生は、クズと同じ。そうした当たり前のことを企業目線で理解できないクズ学生が増えました。
実際、内定を取りまくる学生と全く取れない学生に二極化します。ただし、これからは 「何でもやります、できます」 といって入社してくる人たちに何をさせたがっているのかで、企業の存続可能性が決まります。就職したい学生はそこを見極めるべきです。企業が何をさせようとしているのかを見極めた上、「何でもやります、できます」 と宣言するしかない。
社員に何をさせる企業なのかを見極めるにはどうするべきか。その企業や商品がどんな社会的文脈で必要とされているかを観察することです。観察すれば、その企業が商品やサービスの販売を通じてどんな社会的責任を果たすことを付加価値としているのか分かります。つまり、製品やサービスを購入することがどんな 「社会的善」 につながるかです。
まとめます。第一に、これからは、企業に社会的責任を果たさせようとする消費者や投資家が広範に拡がらない限り、社会は存続できません。第二に、こうした消費者や投資家の要求に応えて付加価値を生み出す企業が拡がらない限り、社会は存続できません。第三に、その意味で企業の社会的活動に貢献できるような人材こそが求められています。
このことを、僕は 「幸せ」 というキーワードで表します。これからの社会で、社会成員が負う責任は、消費や投資や就職を通じて 「人を幸せにする会社」 を生き残らせることです。さもないと社会は続かない。そうした社会では 「人を幸せにする会社」 だけが生き残ります。そんな会社にふさわしいビジネスマンが必要とされています。これはハッキリしています。
引き受ける力 今、かっこいいビジネスパーソンとは