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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.22 反対概念を検討する 品格をもたらすもの(前編) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 
この連載は、とある版元から「知の品格」というタイトルの新書を出す予定で、そのペースメークになれば、と手弁当同然でしたが、担当の筒井君に口説き落とされて始めたものですが、かれこれ1年、その時々の話題で入稿したため、結局本の下書きという意味あいはまったくないものになってしまいました(笑)。
 
あまりに人気がないということで打ち切りになるそうですので(再び苦笑)、最後は元来の動機に戻り、「知の品格」そのものについて考えてみたいと思います。
 
 

下品とはなにか?

 
さて、あらためて「品格」とは何か、ちょっと考えてみましょう。<品格>とはこれだ! ときちんと定義するのは難しそうですが、こういうときは反対概念を検討してみればよろしい。
 
つまり品格、品位の逆、「下品」とは何かを考えてみます。
 
例えば食事のとき作法が悪かったり、食べ物を口の中でくちゃくちゃ言わせたりする人は下品ですね。シャツのすそが出てたり身なりがだらしないのも品がいいとは言えません。
 
話し方や態度、物腰、礼儀を弁えていない人も下品です。場所柄を弁えず大声で喋ったり、鼻をほじったり、大音量で放屁したりすれば品がいいとは言えない。
 
こういう品位は<動物>の行動に近いものと言えるように思います。犬や猫は音を立ててモノを食べますし、突然吠え出したり、所かまわず用を足してしまったりもする。品格と似た言葉に「人格」がありますが、生き物としての格式があまり人っぽくなく、むしろ動物に近い振る舞いをするなら、やや下品と言ってよさそうです。
 
では「人間らしい下品さ」というのがあるとしたら、どんなものでしょう?
 
・・・例えば、お金に汚い人、物欲に意地汚い人というのは、およそ上品とは言えないでしょう。また、人の不幸を喜んだり、噂話やゴシップをほじくりたがったり、誰かの悪口を言うのが大好きだったり・・・要するに俗物ですね。
 
犬や猫は人前で用などは足しますが、こういう卑しさは一切ない。きれいな心をしています。銭ゲバの猫とか、ゴシップ好きの犬というのは存在しない。
 
さらにその先で「卑劣なまねをする奴」というのが、私は非常に下品と思います。自分の利害のためにはどんな嘘でもその場で平気でつくという人、上品とは言いかねるでしょう。
 
自分の仕事ではインチキなど平気でする。人との関わりの中では嘘も平気、人を貶めて自分が得したりするのが普通と思っている・・・大変残念なことですが、人間社会のいたるところでこういう人を見かけます。お金があろうとなかろうと、社会的に地位があろうとなかろうと関係ない。企業でも、大学でも、NPOや市民団体でも、どこにでも品位の高い人と低い人がいる。
 
 

「知の品格」から「知」という品格へ

 
いまざっくりと見た様に、人類社会にはいろんな下品があり、それと正反対の「品格」も同じだけ沢山ある、ということができそうです。
 
しかし、ちょっと考えると、あることに気が付きます。動物のような振る舞いをする人というのは、つまり人間らしいレベルの行動が取れないわけですね。何かの水準が低い。
 
また、人間固有の行動でも、ゴシップとか人の足引張りとか卑しい振る舞いというのは、人としての高さに欠ける、つまり、やっぱり何かが低い。
 
格という言葉は、そうした「等級」を示すわけです。「あの人は、ちょっと格が違う」なんていうとき、「格が低い」という意味でその言葉は使わないでしょう。
 
そこで問われるのは、つまるところ「人間力としての知」ではないか、と思うのです。動物的でない品位というのは、つまるところ人間らしい知性がきちんと働くことだし、人を貶めたり卑しい行動をとらないというのは徳性の問題ともいえるでしょう。
 
なにも「知・徳・体」などと古臭いことをいいたいわけではありませんが、何か特定の能力がずば抜けていても、他の部分で極めて卑しい振る舞いなどする人がいれば、品格がどうこうというレベルのお話にはならないでしょう。
 
何か暗記していたらテストの点が良かった、みたいな詰まらない下らない話ではなく、人として本質的な「地アタマ」の知が優れていること。名古屋大学の1年生が犯した、信じ難い老婆殺人事件などを想起すれば、品位といったレベル以前に、「地アタマ」が狂っているといわねばなりません。知と徳のバランスが取れた人間力が決定的に欠けている。
 
バランスの取れた人間力としての知、あるいは徳。それを「品格」というのではないか? 知の品格というより、品格をもたらすもの、それ自体が「知」の大切な核なのではないか?
 
(中編に続く)
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.22 反対概念を検討する 品格をもたらすもの(前編) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.3.25)
 
 
 

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