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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.21 常に本質をクリアにすること 言葉の手触りから(5) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

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オスマン・トルコ分割

 
古くから東西文化と物流の潮目として栄えたヨルダンの地は、やはりかつてはオスマン帝国の支配下にありました。第一次大戦後の「オスマントルコ分割」で、まずイギリスの統治領に組み込まれ、1923年にはイスラムの名門、メッカの大首長家の次男アブドゥッラーが王として招かれ「トランスヨルダン王国」がイギリスの保護領として成立します。
 
アブドゥッラーは第四代正統カリフ・アリーの子孫で、血族的にはまさに「ムハンマドの後継者」というべき「ハーシム家」に生まれました。父であるフサイン・イブン・アリーはトルコ支配のオスマン朝からのアラブの独立を指導した中心人物で、ここにイスラム内での<アラブ対非アラブ(この場合はトルコ)>という対立構図が浮かび上がります。
 
「ハーシム家」とはムハンマドの曽祖父ハーシムに因む名で、アッバース朝の王家もハーシム家から出たというイスラームの超名門「クライシュ族」の旧家です。元来はアラブに生まれたイスラームにとっては外来部族であるトルコ人の支配、オスマン帝国を覆し分断するのにムハンマドの子孫の正統性を用いられた背景には、実は第一次世界大戦期の欧州列強の後押しがありました。
 
1915年、ハーシム家の当主でメッカの太守であったフサイン・イブン・アリーは、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間で秘密協定を交わします。アラブ人がオスマン・トルコに対して反乱を起こしたら、パレスチナの地にアラブ人国家を建設する後押しをイギリスがするという「フサイン=マクマホン秘密協定」です。今年はフサイン=マクマホン協定から100年目に当たります。事実フサインはこの約束に添って、先祖ムハンマド同様「アラブ反乱」を指導し「ヒジャーズ王国」を建設しますが、武器などを供与したのはイギリスでした。
 
しかし、したたかなイギリスは同時に列強間での「オスマン・トルコ」分割も秘密裏に進めていました。同じ1916年、イギリスの中東外交専門家マーク・サイクスはフランスの外交官ジョルジュ・ピコと第一次世界大戦後、列強間での分捕りの権益線を約束しています(サイクス=ピコ秘密協定)。さらにその翌年の1917年、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアは、銀行家としてイギリスのユダヤ人社会を牽引していたロスチャイルド男爵にあて、パレスチナにユダヤ人居留地を建設する後押しをイギリスがすると約束していました(「バルフォア宣言」)。背景には、第一次世界大戦の戦費なども念頭に、欧州やアメリカで主として金融業で成功していたユダヤ人の協力を取り付ける思惑があったと考えられます。
 
これが悪名高いイギリスの三枚舌外交と呼ばれるものの大枠です。
 
 

紛争は背景に遡って本質をクリアに

 
この結果、第一次世界大戦後にエジプトに接した「南メソポタミア」のエリアはイギリスの委任統治領となり、その西端、地中海側に聖地イェルサレムがあることから、あいまいな表現がとられていましたが、結局バルフォア宣言を背景に現在の「イスラエル」が建国され、パレスチナ紛争の火種を作ったわけです。
 
南西メソポタミアを流れるヨルダン川(真ん中にある「死海」が有名です)より内陸側のエリアは現在の「ヨルダン」そして南東メソポタミアが「イラク南部」に大まかに相当します。「ヨルダン」はこれは「フサイン・マクマホン協定」によって建設されたわけです。
 
またサイクス=ピコ協定で北部メソポタミアとアナトリア半島南部はフランスの権益とされ、黒海沿岸は当時のロシア帝国の勢力範囲と決められましたが1917年にロシア革命が起きると秘密外交が暴露され、当然ながらアラブ側は猛反発します。革命直後の混乱期、欧米の後押しでこのロシア勢力圏に「トルコ共和国」が建設されます。
 
また、このフランス権益圏のうち地中海に面する北西メソポタミア南端でキリスト教徒の多い地域が「レバノン」、これに接する北西地域が「シリア、」北メソポタミア東部がイラク北部にあたります。元来この地域に住んでいたクルド人の領域はトルコ、シリア、イラク、イランなどに分割され、現在も紛争の火種となり続けているのは周知の通りです。
 
現在の「イスラム国」ISは、この「旧フランス圏メソポタミア」シリアとイラク北部を地盤に、境を接する南部の「旧イギリス圏メソポタミア」のヨルダンや、黒海側北西部「旧ロシア帝国側アナトリア半島」つまり現在のトルコと対立する武装勢力であることがわかります。
 
「日本人人質とIS死刑囚の交換」で名の挙がった「トルコ国境」アクチャカレ近郊とはIS支配地域シリア最北端に接するエリアに相当します。これに対してヨルダンはアサド政権が支配するシリア西南部を挟んでさらに南に当たり、「イスラム国」は3方を敵に囲まれた形になっています。
 
そんなイスラム国が、制圧した油田の原油を外貨に変える主要ルートが、北東部のクルド人勢力圏と言われるわけですが、クルドの分断もまた100年前に欧州が恣意的線を引いたために起きた悲劇に他なりません。
 
紛争は出来事の表層のみならず、その背景を遡ることで本質的な問題がクリアに見えてくる。中東の紛争はその基本を如実に示すものの一つになっています。
 
 
(この項了) 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.21 常に本質をクリアにすること 言葉の手触りから(5) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.3.4)
 
 
 

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