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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.20 背景にキーワードを見つける 言葉の手触りから(4) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
(前回からの続き)
 

「第三帝国の野望」

 
武装勢力「イスラム国」(略称IS)による日本人の誘拐と身代金要求などの人質事件は最悪の展開となってしまいました。最初の犠牲者が出てからは、交渉はむしろヨルダンとの間で進められ、日本人は巻き込まれ、交換条件に使われるだけであった感が否めません。が、例えば人質交換の場所とされた「トルコ国境」と「ヨルダン」とが地理的にどのような関係にあるか、パッとイメージできるでしょうか?
 
日本人の命が奪われたことは、イスラム国殲滅への国際協調に日本が合流する下地の一つとなりうるものでしょう。またそれを指して「日本は十字軍に合流した」といった判断が下され、更なる武力構想に巻き込まれるリスクも残念ながら否定できません。しかしそうした情勢以前に、そもそも「ヨルダン」「シリア」あるいは「イラク」さらには「トルコ」といった国の違いは何なのか?
 
実際には100年前までは全て、オスマン・トルコ帝国の一部だったエリアに、様々な理由で線が引かれ、現在の紛争に至っており、実は背景そのものは比較的シンプルな構造をしていますが、新聞紙面などではこうした背景を目にすることが少ない気がします。
 
そこでここではまず、指導者が「カリフ」を自称し、アッバース・イスラム帝国の復興を標榜する<イスラム国>の「第三帝国の野望」というアウトラインからお話してみたいと思います。
 
 

中東の第三帝国

 
一般に「第三帝国」とは、1933年以降ドイツで政権を取ったナチス党が建設を目指した<帝国>で、第三の意味するところは第一の帝国がカール大帝以来の西ローマ~神聖ローマ帝国、長年続いたこの帝国がナポレオン戦争後に崩壊すると、半世紀ほどを経てプロイセンを中心とするドイツ帝国の統一が成り、これを第二帝国と見るとき、第一次世界大戦でドイツがワイマール共和国の<民主的だけど動かない>体制・・・20-21世紀のどこかの国のようですが・・・を覆し、第三の帝国を建てようというスローガンになったわけです、
 
しかし「カール大帝の西ローマ」はフランス・ドイツ・イタリアを中心とする全西欧の原点、長年続いた「神聖ローマ帝国」は西はフランス東部からドイツ、オーストリア、チェコ、ポーランドの一部、北は北海南はイタリア半島というやはり広大な版図。「第三帝国」はナチスドイツの侵略を自己肯定するシナリオに使われる格好のキャッチフレーズになっていました。
 
現在のISのプロパガンダを見ていると、これとよく似た構図があるように思います。つまりISは「カリフ」を自称していますが、これは古く古代の「アッバース朝」のイスラム大帝国(750-1258)の巨大版図を念頭に置くものです。
 
つまり東はアフガニスタンや北インドから中東全域、東ヨーロッパ、地中海に面した北アフリカからヨーロッパ西端のイベリア半島まで、地中海を内海とする巨大帝国の復興をISは標榜するわけです。
 
これが西欧における<神聖ローマ帝国>に相当するとすれば、イスラムの「第二帝国」はオスマン・トルコ(1299-1922)ということができます。
 
オスマン・トルコは西欧にとっては20世紀初頭にいたるまでまさに脅威そのものの存在でした。東はカスピ海から西は現在のモロッコまで、南はアラビア湾を完全な内海とし、黒海も完全に手中に収め、ギリシャから旧ユーゴスラヴィア、つまりイタリア半島とアドリア海を挟んで対岸の全地域を支配する強大な帝国でした。
 
第一次世界大戦に敗れオスマン・トルコが解体、現在の中東問題の大半は、この「オスマン・トルコ分割」に関わるゴタゴタが、約100年続いているといって大きく外れません。
 
イスラム帝国であったオスマン・トルコが地上から消えて約100年、アッバース朝~オスマン・トルコに続く第三のイスラム帝国としてISは名乗りを挙げ、自らのリーダーをカリフ=ムハンマドの後継者と呼び、敵対するものを「十字軍」とレッテル張りして全西欧に戦いを挑んでいる面もあるのですが・・・実はそればかりではない、そこが問題を複雑にしています。
 
 

イスラム対イスラムの戦い

 
2014年1月3日「イラクの聖戦アルカイーダ」のメンバーと、旧サダム・フセイン政権の残党(バース党員など)が合流して<独立宣言>を発表して、現在のイスラム国の体制が拡張し始めたわけですが、彼らは決してイスラ-ムを代表する組織でもなければ、多くのイスラームから支持を集めている軍事勢力でもありません。
 
非常に解かりやすい例として、今回日本人人質とともに「人質交換」でやはり最悪の展開を見せたヨルダンを考えると物事がクリアに見えてきます。次回はそこからお話を始めたいと思います。 
 
(この項続く)
 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.2.18)
 
 
 

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