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健やかに/初春をお迎えのことと/お喜び申し上げます/昨年は映画公開もあり/充実した年でした/今年もまた新たな出会いが楽しみです/皆様のご多幸をお祈り致します
――第5章より 平成二十五年元旦の健さんの年賀状
 
 
 「遠くの人を愛するということがやっぱり大事」と言ったのは思想家の故・吉本隆明である。ニーチェの「遠人愛」をもじりながら、アジア的な感性の中で生きているとどうしても近隣・近親の親密性の世界で見失いそうになるが、思想の営みには遠い世界や遠い人を想うことがやはり必要なんだ、という意味だった。
 これは「思想の営みには」の部分を抜きにすれば、例えば評者の乏しい映画鑑賞歴からは、『マディソン郡の橋』でイーストウッド演じるロバートとメリル・ストリープ演じるフランチェスカが別れてからも互いを想い続け、その想いを一番のパートナーとしてそれぞれのその後の生涯を送ったようなことだ。あるいは、『幸福の黄色いハンカチ』で倍賞千恵子が演じる光枝が、高倉健演じる夫の意を受け入れて判をついた離婚届を獄中に送り、にも関わらず、夫が出所後に戻ってくるのを待って同じ家で一人暮らしていくようなことだ。
 
 
 昨2014年11月10日、俳優の高倉健さんが亡くなった。本書は毎日新聞編集委員で早稲田大学講師でもある近藤勝重氏が、1996年7月に記者としてインタビュー申し込みの手紙を書いてから健さんが亡くなるまで18年の間に交わした50通あまりの私信を読み返し、その行間から、健さんの演じた役柄、素顔の人柄、エピソードなどを想い起こし、哀悼した本である。
 手紙を読み返すことも、手紙に書かれた言葉からその人のことを想い起こすことも、その営みの間に流れる日々をひっくるめて哀悼になる。人は哀悼しながら飯を食い、仕事をし、眠り、生きることができる。「生きることができる」という残酷さと、「生きないと哀悼さえもできない」という切なさ。冒頭と末尾をふくむ全15章を書きながら、著者は両方を一緒に引き受けようとする。その姿に、健さんがよく言っていたという言葉――「生きるって、切ないですねぇ」――がそのまま重なっていく。
 
 また本書は、“思い”ではなく“想い”、“思う”ではなく“想う”にこだわっていた健さんを繰り返し描く。「人を想う気持ちが一番美しい」というのが健さんの口癖だったそうだ。どこか遠いところに置いてきたもの、自分から遠く離れてしまったものに心を向ける生き方は、健さんの場合、母親へのそれが原型だったようである。初のエッセイ集『あなたに褒められたくて』(1991年・集英社)には、「お母さんに褒められたくて、それだけで」雪の八甲田山にも行き、灼熱のサハラ砂漠では砂嵐に痛めつけられ、南極ではブリザードにテントごと飛ばされて死を意識しながらも、子どもの頃母親に教えられた“辛抱ばい”という言葉を頼りに俳優生活を続けてきたことが描かれている。
 また健さんは著者への手紙で、著者が贈った新著の中の、長年教誨師として死刑囚の最後に寄り添ってきた浄土真宗の老住職の体験談に、「俳優としての自分を大変刺激するものでした」と感想を書いた。それは、ある死刑囚の母親は面会室で金網ごしに自分の小指を差し入れて、「母ちゃんの手を握れ。わかってるな、この次も母ちゃんの子に生まれて来いよ」と叫んだという話である。
 
 もしかして健さんが言っていた「人を想う気持ち」とは、哀悼のそれだったのではないか。哀悼の本質は「時間が必要」ということだ。それが哀悼の中身であると言ってもいいほどに。そしてその時間とは、ひとつにはどちらかが生きていく限り続く時間であり、またひとつには、互いが死んだ後まで続く時間である。願わない離婚の果てに45歳で死に別れた妻の江利チエミさんの命日には毎年花と線香を持って墓前に参っていたとは、よく知られる健さんのエピソードだ。あるいは、子に来世を約束させる母の想いは、哀悼の時間すら超えて伸びる。著者は自分が惹かれ続けた健さんの「人を想う気持ち」を、本書を書くことで、以前よりも深く知ることができたのではないか。
 
「叶うなら、みなさんのこの本に対する感想をいただければと思っています。健さんへのご供養に何らかのかたちで役立てられればと願ってのことです。何とぞよろしくお願い申し上げます。」
 
 本書末尾の章――「おわりに」に代えて――の結びである。「おわりに」とは、著者はまだ書けないのだ。
 
 

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『健さんからの手紙』
著者 近藤勝重
株式会社幻冬舎
2015/2/5 第一刷発行
ISBN 9784344027251
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価格 本体1100円

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(2015.2.25)
 
 
 
 

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