そう信じて評するならば、本書は「卓越主義」をいっぽうの柱にした本です。「はじめに」にこうあります。
「「私はどういう人間になりたいのか」と自分に問いかけながらこの本を読んでほしい。一度問いかけてみるだけでは足りない。日に何度も問いかけるべきだろう。/そして、生活の中で何か困難に直面した時や何かに成功した時、驚くことがあった時、葛藤があった時には、その都度同じ問いかけをしてみてほしい。」(はじめに|礼節は最強の武器になる p11)
ちなみに評者の参照した「卓越主義」の解説は以下。出典は『現代倫理学辞典』(弘文堂・2006年)です。
「人間本性にかなった生が善き生であり、それを実現することが人間としての生に固有の目的(end, telos)ないしは機能(function, ergon)であるとして、各人はそのために必要な徳(virtue)を身につけ実行することで自己完成(self-perfection)に至らねばならないとする倫理学説。思慮(prudence,phronesis)もしくは実践知(practical wisdom)を通してそうした諸徳を獲得し、行使することのうちにその人の卓越性(excellence)が現れる。」
総論の項の冒頭のみですが、これだけでも本書の趣旨をかなりカバーしていると思います。この学説を、「この本は、あなた、そしてあなたが働く職場の礼節を高める方法を解説した、実用的なガイドブックだ。/仕事で成功したい人、自分の影響力を高めたい人に、ぜひ、この本を読んでもらいたい」という、「はじめに」にある目的意識で展開し、関連の調査研究やエピソードで肉付けをすれば本書になります。これがいっぽうの柱です。
そしてもういっぽうの柱は、第1章「無礼な人が増えた根本理由」7ページにそれを示唆する箇所がありました。著者の行った調査によれば、「自分は無礼な行動を取ることがある」と答えた人にその理由を尋ねたところ、「半数以上が、それは自分への負担があまりに重すぎるからだと答え、40パーセント以上が、人に対して礼儀正しくしているような暇はないと答えた。また、25パーセントは、上司が無礼なので、自分も無礼な行動を取るのだと答え」たそうです。
わかる人はピンとくるはず。そう、いずれの理由も背景に「労働強度の昂進」があります。あえて単純化すれば、本書のもういっぽうの柱は「ITその他で労働環境が変化し労働強度が高まるにつれ、そのままでいればどうやったって、働く人は余裕をなくし職場はギスギスしていく。各人がそのことを自覚し、意識的に互いを思いやる習慣を身につけることで、全員でこの傾向を打破しよう」というメッセージです。
つまり本書がいう「礼儀正しさ」や「礼節」は、礼儀作法という意味のそれではなく、「他者への想像力」とか「思いやる心」とかのニュアンスです。邦題が微妙に誤解を招きそうなタイトルなのでその点注意喚起しておきます。
「卓越主義をどうやって実践するか」、そして「労働強度の昂進にどう対処するか」。本書はこの2つに向けて、
◆職場における礼節のなさが企業にどれだけ損失をもたらすかを額面で示す
◆礼節のなさがいかに無意識のもので自分では気付けないかをわからせる
◆それらの裏付けとなる客観データを示す
といった類の記述を繰り返します。そしてこれらの裏返しで、
■職場で礼節が実践されると企業業績にどれだけ貢献するかを額面で示す
■無礼を改め礼節を身につけるための考え方や具体的なノウハウを解説する
■それらの効果を裏付ける客観データを示す
類の記述が展開されます。
整理すればわかるように、読み物的な体裁・文体をとってはいますが、メタのレベルではかなり構成的な書籍です。著者が「実用的なガイドブック」と紹介する通りで、内容としてはそれ以上でも以下でもありません。
――と、いうふうに紹介すると、「結局どうなの? いい本なの?」と思われると思います。それに対しては間違いなくいい本だと答えられます。何より著者の書きぶりが誠実です。日本の本づくりだとこれの三分の二ぐらい、200ページ足らずぐらいでもっとノウハウ本然としたつくりにするだろうに、300ぺージ以上も割いて、るる書き綴る著者の執念は、第2章最初の項で明かされる父親の受難に根差しているようです。
その受難とは、無礼な上司による会社への長年の悪影響を父親が上層部に上申したところ、上司はその年の優秀な管理職として表彰され、父親本人はストレスから体を壊して入院したというもの。著者の20年にわたる「良い職場づくり」の研究・啓蒙活動への情熱は、「情熱=情念」と「受難=受苦」を同一の語「passion」で表し得るときのそれなのでしょう。
率直に言って、本書を購入してちゃんと読んでみるような人は、それだけで礼節を身につける途に入っていると思います。第5章「あなたの礼節をチェックしよう」の93ページ末から94ページにかけての行動がとれれば、その人の問題は半分以上解決しています。その意味では、まったく新たな内容が見つかる本ではありません。実践的なノウハウという意味での礼儀も、日本人の多くは社会に出るときに普通に身につけるか、少なくとも習うことがあるものばかりだと思います。
ただ違うのは、大の大人が正面切ってこれらを定量的定性的に調査・研究するかどうか。この点では、欧米ってこうだよなぁ、やるときは真面目に徹底的にやるよなぁ、と素直に感心します。本書も、本当の眼目は「実用なガイドブック」というところにはなく、買って読んでくれるからにはその人の首根っこをつかまえてでも礼節を身につけてもらおうとする著者の“本気度”にあるのではないでしょうか。
こういう本気度、真面目さ、あるいは熱って、ちょっと懐かしい。書かれる礼節の具体例も含めて、日本の読者にはある種の昭和の感覚を思い出させる本になっていると思います。「“お天道様”に顔向けできるか」という古き良き道徳観念が薄れている今、一読の価値ありです。