B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

トピックスTOPICS

違法営業が大量出現?

 
glay-s1top.jpg
aindigo / PIXTA
住宅宿泊事業法(民泊新法)が、いよいよ6月15日に施行される。先々月3月15日からは、民泊ビジネスを行うにあたって新たに義務づけられた登録の受付が全国の自治体で始まったが、4月13日の時点で集まった届け出は仲介事業者が22件、物件管理者は284件にとどまった。いっぽうで大手仲介サイトに掲載されている物件数は6万件以上あるというから、単純に物件管理者の数で割っても登録率は0.4%。ほぼゼロだ。もしこのまま届け出が低調に終われば、知らないまま違法営業に突入する事業者が続出する。
 
ちなみに違反した場合、宿泊事業者、物件管理事業者、Airbnb(エアビーアンドビー)のような宿泊仲介事業者でそれぞれ規定が違うが、最大で6ヶ月から1年以下の懲役プラス100万円以下の罰金を科される点は共通である。事業者諸氏におかれてはゆめゆめ登録をお忘れなきよう・・・。
 
 

シェア経済の見地から

 
ともあれ、本稿は新法の施行に際し事業者に注意喚起をうながすことが趣旨ではない。むしろ一般の我々のほうの理解を深めてみたいのだ。民泊というこの新しい文化はどんな歴史的文脈の上に乗っているか、あるいは乗るべきか。既存の旅館やホテル業界はなぜ反対し、裏切られたのか。まずは昨年の法案成立前夜、閣議決定を受けてシェアリングエコノミー協会事務局長の佐別当隆志氏が答えたインタビュー記事から抜粋してみる。
 
日本は旅館業法で規制するが、海外は先進国でも基本的に自由。日本が業法で規制するのは消費者保護の観点から。ただそれも、戦後来日するアメリカ人の不都合をなくすためGHQ主導で旅館業法が制定されたと言われる。そんな法律を日本企業や国民が順守し、現在イノベーションの足かせになっていることに違和感を覚える。
 
旅館やホテル業界は旅館業法をきちんと守り、安全対策等々にかなり投資してきた。だから一般人がそれらを飛ばして365日間営業することに反発していた。そのうちに不動産業界が民泊ビジネスに注目し、マンションの空き室を一気に民泊化していった。空き家問題解決を謳ってロビー活動も積極展開した結果、不動産業界よりの民泊新法ができてしまった。
 
結局、毛色の違う家主居住型と家主不在型を“民泊”とひとくくりにして扱う点が問題。全員が一律で営利目的なら規制も設定しやすいが、そうではないのが(民泊の)良さであり難しさでもある。
(「民泊の現在(いま) ~民泊新法の何が問題なのか?」から関連箇所を再編)
 
これだけでも蒙を啓かれるが、特に「全員が一律で営利目的なら~」のくだりからは、はたして自分なら何を期待するかと想像してみればいい。例えば多くの家主居住型事業者において、営利と非営利の目的は打ち消し合わず併存している。このことは、一般の個人が未知の他人に広く宿を提供するという行為自体が、歴史的にも(六部殺しの民話を参照)、現象的にも(次節参照)、様々な文脈を内包していることの一端である。
 
「民泊って何なの?」という問いはここまで考えてはじめて、不動産業界の操作からも旅館・ホテル業界への忖度からも自由になれる。そしてそれは、旅におけるシェア経済が健全かつ本格的に育つための基本であるに違いない。
 
 

カウチサーフィンを参照する

 
まずは一口に民泊と言っているものを「民泊ビジネス」と「本来の民泊」に分けること。その意味と必然を理解すること。その際参照したいのがcouchsurfing(カウチサーフィン)だ。カウチサーフィンはcouch(寝椅子)をsurfingする(≒渡り歩く)というぐらいで、ホテルのベッドのような宿泊設備もアメニティも必要なしで、宿さえ提供できれば旅行者を迎えることができる、世界規模の宿泊仲介プラットフォームである。2004年にサービスが始まり、年あたり利用者数は泊める側(ホスト)が40万人、ゲスト(サーファーと呼ばれる)は400万人にのぼる。
 
エアビーアンドビーを「本来の民泊」の面で見たとき、カウチサーフィンとの最大の違いは、エアビーアンドビーは泊める側が宿泊料をとるのに比べ、カウチサーフィンはホストがゲストに宿泊料を要求してはならないとされていることだ。
 
では金銭の代わりに何がやり取りされるかといえば、善意。異文化交流や語学の上達が目的でホストをしているという話もあるが、それ以上に彼らは善意のやり取りを体験価値として楽しんでいるというのが筆者の理解である。より精密にいえば、善意があたかも貨幣のように作用して広義の経済行為を成り立たせていく様を、その過程もふくめて、稀有な体験として味わっているのだ。
 
岩井克人の貨幣論と中沢新一の贈与論が重なり合うこの世界を、具体的に見てみよう。カウチサーフィンがエアビーアンドビーともう一つ違うのは、カウチサーフィンのサーファーは自国に帰ればホストになることである。宿さえ提供できればいいカウチサーフィンは泊める側と泊まる側を画定する要素が少なく、また弱く、容易に立場を交代できる。そうすると、泊る立場で受け取った人の善意は、次の機会には泊める立場で返したくなるのである。
 
想像してみればいい。何も外国に限らず国内でも、例えば熊本のサーファーが地方の初めての土地で未知の日本人の家に無料で泊らせてもらい、楽しく交流し、土地の文物や生活を満喫して帰ったとして、相手が熊本に来る際にサーファーとして自分にホストのリクエストをしてきたら、迎え入れてお返しをしたい気持ちになるのではないか。
 
「二度目に会って幻滅したくない」とか「旅の交流は一回きりなのがいいのだ」とかいった文学趣味を除けば、ここにあるのは「返報」という古風な言葉が似合いそうな、一種ピュアな感覚である。そしてこの返報衝動は、先に味わった未知の文物・生活が自分に未知のものであればあるほど強くなる(体験価値が大きくなる)。その意味で、カウチサーフィンが異なる国の人どうしでより活発に行われているのは結果的にそうなるのであって、最初から異文化交流ありきでとらえると、私たちはカウチサーフィンすらも見誤ることになるだろう。
 
 

国によるフリーミアム戦略

 
最後に、「民泊ビジネス」について。国が民泊を法制化したのは、旅の二大コストである交通費・宿泊費のうち片方を劇的に下げることでインバウンド客をふくむ国内旅行者を増やし、まずは地域に呼び込んで宿泊に限らず全体で地域経済を活性化させようという、一種のフリーミアム戦略だとも理解できる。株式会社星野リゾートの星野佳路代表取締役が4月11日の定例プレス発表会で「民泊がない地域は価値を下げる」と指摘したのはこの文脈だろう。
 
いっぽうで、まさに同社が本社を置く長野県軽井沢町は県に対し通年での民泊全面規制を訴え(4月末に断念)、兵庫県では、観光庁の民泊新法ガイドラインを逸脱する通年禁止規制が県議会によって可決された。国がつくった潮目に乗れるかどうか。乗るかどうか。ビジネスの観点からは星野氏の指摘に尽きると思うが、いかに。
 
(ライター 筒井秀礼)
 
(2018.5.9)
 
 

関連記事

最新トピックス記事

カテゴリ

バックナンバー

コラムニスト一覧

最新記事

話題の記事