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経産省若手官僚レポート

 
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elise / PIXTA
昨年5月、経産省の若手官僚がまとめた「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という報告書(通称「経産省若手官僚レポート」)がネット上にアップされ話題になった。発案者は菅原郁郎経産事務次官。省内で20~30代の若手から有志を募り、一昨年の8月から、文献調査と、国内外有識者へのヒアリングと意見交換を定期的に続け、幹部会議に諮って仕上げたという。
 
次官は発案に留まらずほぼブレストの段階からメンバーと次官室で議論を重ね、幹部会議では「これが君らの本当に言いたいことか?(実行可能性とかそういうのはおいといて)もっと書けよ」とむしろ幹部のほうからけしかけられ、そうやって10人×3グループ30人が通常業務もこなしながら9ヶ月かけてつくった報告書は、発表されるや瞬く間に拡散。思い切った訴えが官僚のレポートとしては異例の注目を集めた。
 
ただ、これを「あくまで霞が関の出来事」として、自分たちと距離をおいて眺めた市民も多かったはずだ。しかしまた、仮にこれが市区町村レベルで起きていたらどうだったか。同じくらい別世界の感覚で眺めただろうか?
 
筆者は東京都杉並区の住人だが、杉並区役所の職員がこれをやったらかなり興奮する自信がある。そして考えてみれば、市民が意識していないだけで、今回の経産省若手官僚と同じことをむしろ普段の仕事にしている人たちは地域にもいる。いや、いて然るべきだ。それが「地域シンクタンク」である。
 
 

なぜいま「地域シンクタンク」なのか

 
似た呼び方で「地方シンクタンク」があるが、ここでは「地域」の語にこだわりたい。「地域」には「中央(=国)」との対でとらえられる「地方」と違い、良くも悪くも完結したニュアンスがある。すると「地域の」という帰属の意識も「地域で」という所在の意識も、ある種絶対的なものになる。「地域のために」と言えばそれを言う人は地域の人であるのが自然だが、「地方のために」だとそうでもないだろう。この絶対性は地域シンクタンクの存在意義を内から支える重要な要素だ。
 
なぜいま「地域シンクタンク」なのか。一般財団法人日本経済研究所発行『地域開発』2017年10・11月号の特集「地域シンクタンクの時代 ~地域人材が進める地方創生~」に、地域シンクタンクの老舗である九州経済調査協会(九経調)の髙木直人理事長のインタビューが掲載されている。その中のエピソードが印象的だ。
 
戦後、博多港は大陸からの引き揚げ者の玄関口になった。その中に日本初のシンクタンクとされる満州鉄道調査部の人たちがいて、彼らを中心に九経調が発足した。それから間もなく、当時九州に残っていた3つの火力発電所が占領軍に接収されそうになった際、九経調は3発電所がこれからの九州の産業復興に必要であることを理論武装するために専門委員会を設置して占領軍に対抗した、というものだ。
 
思い返せば2000年春に地方分権一括法が施行されたものの市民には地方分権の意義やメリットへの理解が広まらず、やがて「大きな政府か小さな政府か」の論議(行財政改革)に隠れる形でテーマそのものが忘れられ、2014年になってそれが「地方創生」にスライドされて再浮上してきたのが現在の状況だ。つまり地方創生の前段には分権と自治のテーマが未熟なまま残されている。
 
趨勢的に国が地方の面倒を見なくなる時代――経産省若手官僚レポートでも示唆されている――には、自治体はいざとなれば中央(国)に頼らず外の主体(例:占領軍)と対峙する必要に迫られる。その点で今後は地域シンクタンクにも、「地域で」という所在、「地域の」という帰属の意識に加えて、「地域として(どうするか)」という主体性にコミットする意識が、これまで以上に強くなるに違いない。地域シンクタンクへの期待が高まる理由がここにある。
 
 

そのやりがいにエールを!


現在、地域シンクタンクには
 
1. 自治体(都道府県や市町村)によるもの
2. 九経調のように地元の有志が出資する団体等によるもの
3. 地元のNPOや金融機関によるもの
 
以上3つがある(学術系や政党系は除く)。金融機関は営利組織だから省くべきかといえばそうでもなく、特に信用金庫系は以前から地域貢献を目的にシンクタンクとして機能してきた。この他、やや営利色が強まるが地元のコンサルティング会社の例もある。
 
それらのうち、以下は分権と自治のテーマも扱う自治体シンクタンクをめぐり、市民として彼らの存在をどうとらえるかについて、自戒をまじえて指摘したい。関東学院大学の牧瀬稔准教授は『地域開発』の特集で、民間シンクタンクにない自治体シンクタンクの特徴として下記5つを挙げている。
 
1. 現場を持っている強みがある
2. 意思決定に直接的に結びつく政策研究ができる
3. 法律、制度、予算といった既存の制約下での調査研究が求められる
4. 議会において手続きが必要(首長が議会にかける)
5. 責任論が発生する
 
注目したいのは1、2、5だ。確かに民間シンクタンクには現場がない。正確にはどの現場も自分たちのものではない。現場が自分たちのものだと実際の責任が生じる。それには2「意思決定に直接的に結びつく」という理由もある。自治体シンクタンクの場合、研究員は自身の提案について具体的に責任を取らされることが仮になくても、直接的に責任を感じざるを得ないだろう。そう考えると1、2、5は全てリンクしている。
 
厳しくもやりがいのある環境と言うべきだが、牧瀬氏が「このやりがいを研究員がどれだけ認識しているかは定かではない」と皮肉った一文からは、責任を恐れて、あるいは3、4の制約や議会の壁に辟易して、研究員がやりがいを見失いがちな状況が察せられる。経産省のレポートでは幹部が若手に「もっと書け」と発破をかけたが、私たちも「どうせお役所仕事」と見限ることなく、市民として「大丈夫だ、もっと書いてくれ!」と彼らにエールを送るべきなのだろう。
 
2014年末に「まち・ひと・しごと創生本部」から各地方自治体に「地方版総合戦略」を策定するよう指示が出され、2015、2016年は日本中のシンクタンクとコンサルタントが「地方創生特需」に沸いた。その際、地域シンクタンクに受注キャパシティがなかったこともあり、多くの自治体の発注が東京の大手民間シンクタンクに流れ、それらの営利系シンクタンクが策定パターンをパッケージ化して対応した結果、地域の実情を酌まない施策が全国にあふれたという。少子高齢化といい社会保障制度の破たんといい課題は山積なのに、もはや同じ轍を踏んではいられない。
 

(ライター 筒井秀礼)
 
(2018.2.9)
 

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