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旧経営陣の反対を押し切って、東京電力が事実上国有化される。国家が直接的にエネルギー産業の舵を握るわけだが、その歩みが直近の日本経済にとり吉凶どちらに作用するのか、一般からも注目が集まっている。
新たなスタートを切るにあたって、過去への反省は必須といえよう。東電が国家の管理下に入る原因となったのは、昨2011年に発生した福島第1原子力発電所の事故である。未曾有の大津波による電源喪失がメルトダウンを招いたといわれるが、天災ではなく人災とされる要素が大きい。津波によっても失われない 「電源装置」、爆発を未然に防ぐ 「ベント装置」、電源喪失下でも作動する 「中和装置」などが備えられていれば、メルトダウンや水素爆発を防げたはず、とする論調もある。
日本の技術力をもってすれば、こういった装置をあらかじめ設置することは容易だったはずだ。にもかかわらず、起こりえる災害規模を小さく見積もり、予防的措置をおこたった 「人災」 により放射性汚染物質が各地に飛散したことは、紛れもない事実である。
この事実が東電はもとより、日本各地の電力会社に対する 「信頼」 を地に落とし、現在の電力不安、ひいては経済の先行きに対する不安を招いている。国家出資のもと経営陣を刷新、新局面を迎えた東電と、事実上その経営を管理する国家は、こういった不安を払拭すべくいかなる選択をおこなうのか。そして市民は、それをどう受け入れるのだろうか。
経済的な不安払拭を最優先するなら、日本の電力事情を従前に戻すことが、もっとも容易で確実な方法だろう。すなわち、現在停止している原子炉の再稼働である。これを難しくしているのは、原子力発電所に対する信頼感の欠如と、それ以上に、原発の是非を問うようになった一般市民の側の変化だ。
国家の大方針は、しばしば 「理」 ではなく大衆の 「情」 をもとに大転換する。かつてない高まりを見せる反原発の声からは、日本のエネルギー計画を 「原発ありき」 から 「脱原発」 に舵を切らせるだけの 「熱情」 がある。
対する、政府や電力会社の声はか細い。福島第1原発事故の記憶が生々しい中、「経済的な必要性」 という総論のみを頼りに原発再開を訴える言葉は説得力を持たない。原発を止めることのリスクと対案との比較をつまびらかにおこない、結果的にどの道を選択するにしても、地道に 「理」 を説き続ける姿勢が足りないのだ。
とはいえ、原発反対を唱える人たちにも、それによる大停電や経済的ダメージへの十分な理解があるとは言えないようだ。
背景要因の一つとして、自然エネルギーなど、これまで本腰を入れた開発がなされてこなかった 「電源」 に、原発を補完する能力があるのでは、との期待が高まっていることがあげられるが、実際のところ、どうなのだろう。
期待を背負う太陽光発電や地熱発電、風力発電などが持つポテンシャルには、さまざまな数字が示されるが、国家の経済を担うに足る信頼性は検証されていないのが実情のようだ。もっとも有望とされてきた燃料電池も、メンテナンスの複雑さが足を引っ張り、普及計画が頓挫したままだ。お隣の韓国では、29ヶ所の水素燃料電池発電所と102ヶ所の建物用水素燃料電池を設置し、2014年には約40万世帯に電力を常時供給する計画が進んでいる。可能性を感じさせられる選択肢だが、依然不確実要素は大きい。いずれにしろ、原発の 「対案」 には、残念ながら原発が抱えるのとは別種の不安が厳然と存在するようである。
さらに忘れてはならないのが 「ピークオイル」 問題だ。世界の石油生産量がピークを迎え、その後減少、枯渇にいたるリスクである。
枯渇時期については諸説あり、一定しない。最近でも、ピークオイル・ガス研究協会がダブリン会議で 「石油市場の余剰生産能力は2015年までにつきる可能性がある」 との石油専門誌編集者の意見を公表した。日本の石油掘削企業団体、日本鉱業協会は2007年、「68年後に石油は枯渇する」 との予想を発表している。
時期がいつになるにせよ、ピークオイルで石油価格は高騰し、漫然と現状のままを維持するなら、「安い石油」 に頼ってきた日本経済は致命的な打撃を受けるだろう。原子炉の稼働停止で必然的に火力比率が高まっている 「電気」 も、安定供給はとても望めまい。
火力発電に対する依存は、京都議定書問題にもかかわる。旗振り役として活躍してきた日本には、1990年の排出量を基準に6%の削減が求められているが、火力発電への依存は大きな障害となる。電気事業連合会が作成した資料によると、1kWあたりの二酸化炭素排出量は、原子力発電の37倍にものぼるのだ。
もし削減目標を守れなかった場合には、3割増で次期削減義務値に上乗せされ、排出権取引において排出枠を売却することもできなくなる。目標達成期間は2008年~2012年と設定されており、タイムリミットが迫っている。
現在もっとも頼りとされている火力発電について、「頼り続けることのできない選択肢である」 という認識を、私たちは共有する必要がある。
八方ふさがりとも思える電力事情だが、東電に対する事実上の国有化がもたらすメリットにも期待したい。その最大のものが 「発送電分離」 だ。
現在、東電などの電力各社は発電部門と送配電部門をあわせもつ。これにより、中小発電業者の市場参入が難しくなっている。太陽光や風力、燃料電池、ガスタービンなどを用いて発電できたとしても、多額の投資が必要となる送配電システムを持たなければ、消費者にその電力を届けることができないためだ。
実はこれまでも、電力の自由化は何度も議論されてきた。東京電力などの一般電気事業者が独占してきた市場を開放し、市場競争による価格低下を目指したものだ。欧米ではほとんどの国で送配電を専門の企業が担い、発電については市場が開放されている。日本もこれにならって発送電部門を独立させ、多様な企業を電力市場に呼び込むべし、と考えるのは当然だが、国内の一般電気事業者はこれを拒否してきた。企業としてはライバルとなる企業の参入を阻止したかったからだ。
今回、政府が東電の経営権を握ったことで、発送電部門の独立など、電力自由化に向けた動きが一気に加速するかもしれない。そうなれば、諸外国と比べて高価に設定されてきた電力料金が下降傾向に向かい、経済活動を活性化させるとの期待がふくらむ。
エネルギー問題は国家の命運を決める一大問題である。東電の経営権を握ったことで、政府はこれまでより自由度の高い選択ができるようになった。またすべての原発が停止する中、今後の方針を速やかに決定しなければいけないタイミングにもある。
なにを選ぶにせよ、判断基準となるのは、選択肢がもたらす 「幸福」 と 「不幸」 の量的・質的比較だ。現在の状況のみでなく、将来を見据えた精緻な検討がなされるべきだろう。
不況が論じられて長いが、それでも我が国の経済は世界的に見れば驚くべき安定を保ってきた。それだけに、一般国民が経済インフラの重要性を意識する機会は少なく、科学者など専門家や政治家などを除けば、原発の持つメリットとデメリットを正確に認識する人は少数にとどまる。目下のところ、経済性と、将来にわたる経済的安心感が、原子力発電の持つ正の大きな特性である。 いっぽうで、経済的なメリットゆえに危険性という負の特性を軽視することは、巨大な 「不幸」 をもたらしかねない。
私たちはなにを望み、なにに耐えられ、なにを将来に残したいのか。東電国有化をきっかけにそう問うてみることは、エネルギーを、従来の 「政策」 一辺倒の発想から脱却して一般市民が 「産業」 の発想でとらえられるようになるための、自分たちの主導になる経済の問題としてとらえられるようになるための、はじめの一歩なのである。
(2012/6/1)