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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
 
打撃コーチや監督など、指導者としてさまざまなポジションを経験された平石さん。どのポジションでも心がけていたのは、愛情と情熱と責任を持って接することだという。さらに、自身の現役時代の経験を忘れないようにしているという平石さんに、指導者として学んだことをうかがった。
 

40年ぶりにユニフォームを脱いだ

 
指導者として気を付けていたことはいくつかあります。その中の一つが、“教え魔”にならないこと。大切なのは、口を出したくなるのを我慢して見守ることです。もちろん、選手から質問があったり、アドバイスを求められたりしたらすぐに答えられるように準備はしておきますよ。でも、選手たちも自分でいろいろ考えていますから。まずはその考えを大事にしたいんです。
 
僕は現役時代、いろんなコーチからさまざまな指示を受けて、どの指示を実行すれば良いのか混乱したことがあります。そういったことは今の選手たちに経験してほしくありません。自分が現役時代にありがたいと思ったことは参考にして、困ったことは反面教師にしていましたね。僕が現役の頃は、「こうじゃなきゃいけない」という伝え方をされることも多かったんです。でも、それは選手の選択肢を狭めてしまいますよね。選手自身がやりたいことを受け止めて、チャレンジできる環境をつくるように意識していました。
 
そのために大切なのは、選手のことをよく見ること。プレーしているときだけでなく、ウォームアップ中の様子や、普段のふとした仕草も見ていました。例えば、選手は不調を抱えていてもなかなか言い出せないことが多いんですよ。試合に出られなくなるかもしれないという不安もありますからね。そういった不調を見逃さず、選手に寄り添うことを心がけていました。指導者は、選手それぞれの人生を預かる身です。だから、最後まで愛情と情熱、そして責任を持って接しなければいけません。
 
そうした中で、昨年末に3年間コーチを務めた埼玉西武ライオンズを退団しました。僕は小学校に入学する前から野球クラブに所属していたので、ユニフォームを着ない生活はおよそ40年ぶりです。新しい道に進むことにワクワクする気持ちはあるものの、正直なところ不安のほうが大きいですね(笑)。
 
ユニフォームを脱いで、球場の最前線を離れて野球を見ることで、自分自身が野球に対してどのような思いを持つのか、今はそれが気になっています。自分探しの旅のような感覚ですね。違う視点から野球を見て、新たに学ぶこともあると思っています。
 
野球以外のことにもチャレンジしてみたいと思っているんですよ。野球以外の仕事はほとんど経験がありませんから、今は何事にも挑戦してみたいんです。実はこの取材のあとには講演会が控えています。これも初めての経験なので、今からすごく緊張しているんですよ。やってみて合っていると思うのか、一人で喋り続けるのは無理だと思うのか(笑)。今後は初めてのことだらけになるので、大変なことがたくさんあるでしょう。でも、その中には必ず喜びもあるはずです。それを楽しみに、自分探しの旅をしてみたいと思います。
 
 
(インタビュー・文 中野夢菜/写真 Nori)
 
 
 
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平石洋介(ひらいし ようすけ)
1980年生まれ 大分県出身
 
幼少期から野球を始め、高校はPL学園に入学し甲子園球場での全国大会に出場。同志社大学を経て、トヨタ自動車に入社し硬式野球部に所属した。2004年のNPBドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目指名を受け入団。2011年に引退し、翌年から同球団の育成コーチに就任した。その後、打撃コーチや監督を経験。2020年より福岡ソフトバンクホークス、2022年より埼玉西武ライオンズのコーチを務めた。2024年に埼玉西武ライオンズ退団し、今年からは野球評論家としての活動をスタートしている。
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(取材:2025年1月)