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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1953年、愛知県生まれ。愛知県立豊橋工業高等学校中退後、一度は寿司職人を目指すが、故・石原裕次郎に憧れて上京。1974年(昭和49年) に故・勝新太郎のプロダクションに入った。勝の付き人をしながら、1975年、勝主演 『座頭市物語』 でドラマデビュー。1978年にテレビ朝日 『暴れん坊将軍』 で徳川吉宗役に抜擢されると、それが当たり役に。『暴れん坊将軍』 は、以来2002年まで続く長寿番組となる。1980年に新歌舞伎座 『吉宗評判記 暴れん坊将軍』 で舞台初座長を務め、自身が手掛けるステージの中で 『マツケンサンバII 』 など大ヒット曲も生み出し、最新作 『マツケン・マハラジャ』 も順調なセールスを記録中。2012年7月からは、影響を受けた舞台作品 『王様と私』 に出演する。
 
 
 
 2012年の日本国内で、松平健という俳優を知らない人はいないだろう。『暴れん坊将軍』という、あまりにも有名なドラマシリーズの主役を張り続け、その他にも映画やドラマで常に大きな存在感を放ち続けている名優だ。また、歌の世界でも 「マツケンサンバ」 に代表されるアップテンポで小気味いい楽曲の歌い手として知られ、同曲は2000年代半ばに日本中を巻き込んで大ブームを起こした。
 こうした時代を牽引する人物に共通して言えることがある。それは、彼らには類まれな魅力があるということだ。もちろん俳優・スターという立場上、「魅力があって当たり前」 と思われるかもしれない。しかし、ここで言う魅力は、画面を通してでもにじみ出る 「人間力」 のことだ。人が人に惹かれるうえで、人間力のあるなしは重要な要素になる。俳優やスターだからということでなく、誰もが個性を求められるこの時代に、「真の人間力とは何か?」 というテーマを、松平健氏のコメントをたどりながら追いかけてみたい。
 
 
 

マツケンサンバ誕生秘話

 
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 華やかな舞台の上。きらびやかな衣装をまとい、松平健が登場する。流れる音楽はもちろん、あの曲――「マツケンサンバ II 」 だ。歓声が沸く。音が跳ね、人が舞う。そのステージの中心で踊る男の瞳は、今日も輝きを放っている――。
 芸能生活37年目を迎えた今年2012年、松平健氏はおのれを振り返った。故・石原裕次郎にあこがれて俳優を志し、故・勝新太郎の門下に入って鍛えられた日々。その一日一日が、一滴一滴のしずくとなって、今、大きな泉となっている。
 
 1974年当時、松平氏は勝新太郎の付き人をしていた。付き人になって半年後に勝主演の 『座頭市物語』 に出演してデビューを果たし、1976年にはドラマ 『人間の條件』(フジテレビ系) において初の主役を経験するのだが、さらにその約30年後には日本中を席巻するマツケンサンバブームの火付け役になるとは、思いもよらなかった。そんな彼は、かつて勝氏から言われた言葉を思い出す。「矢は放たれた。飛び続けていくのも、落ちてしまうのもお前次第。自分の力でやりぬけ」。その意味で、まさに 「マツケンサンバ」 という矢は大衆のど真ん中に突き刺さった。
 
「マツケンサンバは、最初、完全に和ものだったんです。歌あり踊りありの時代劇の舞台のフィナーレで、一つ試しにと、アップテンポの楽曲を取り込んでみたんです。すると、とても評判が良かったんですよ。もともとのアイデアは僕が出して、振りは日本舞踊の先生が担当した。その折に、アメリカ公演が決まって、ハワイの空気感に合わせて洋風のエッセンスを取り入れていきました」。 
 
 
 
 
 

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