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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 10代で金融業に関わり成功をおさめ、その後も企業家・経営コンサルタントとして活躍。98年にデビュー作 『血塗られた神話』 で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以降、金、女、権力といった欲望をとりまく裏社会を描いたノワール小説 「黒新堂」 と、「白新堂」 と呼ばれる静謐で切なさの強い純愛小説を描き分けるなど、独自の世界観を切り開き続けている。小説以外でも実用書 『黒新堂冬樹のブラック営業術』(宝島社) などを上梓。またTBS 「サンデー・ジャポン」 ほか各種情報系番組への出演など、文化人としても広く浸透している。一方、2007年2月に、芸能プロダクション 「新堂プロ」 を設立。ドラマ、映画で所属女優が、音楽シーンではAssassinが急成長を果たしている。
 
 
 
――小説家・新堂冬樹と言えば、文壇ではあまりに有名な存在だ。最新作である 『白と黒が出会うとき』(河出書房新社)、昨秋に映画公開された 『引き出しの中のラブレター』 の原作をはじめ、話題作を立て続けに上梓。さらには、TBS 「サンデー・ジャポン」 などへの出演で、その独特の存在感を世に知らしめている。
さらに、ここ数年の新堂氏は、経営者としての手腕も高く評価されつつある。小説デビューをする以前、10代のころに金融業界に飛び込み、若くしてサクセスストーリーを体現。その経験にもとづき、芸能プロダクション 「新堂プロ」 の社長として芸能界に旋風を巻き起こしているのだ。所属女優やアーティストを次々と成功路線に乗せていく、新堂流の経営・育成手法。その神髄が明らかになる。
 
 

自分の武器を生かして芸能プロを運営

 
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 小説家である私が芸能プロダクションを経営するというと不思議がる人も多いのですが、実は10代のころからやりたかったことなんですよ。私が最初にかかわったのは金融業界。ですが、そのほかにも実は様々な仕事をしてきましてね。その中で、とある芸能プロのマネージャーのお手伝いのようなことをやっていた時期もあるんです。芸能界をのぞき見る中で、「いずれ、自分も芸能プロをやっていきたい」 という夢が芽生え、「必ずかなえたい」 という気持ちが強まった。つまり 「新堂プロ」 は小説家になる以前からの構想だったんですよ。
 ただ、芸能プロを立ち上げる前に作家デビューを果たしましたので、「名前が一般の人よりも広まっている」 という既成事実ができた。私は作家ですから、いつも自分の作品の映像化が究極的な延長線上にある。ですので、女優を育てていくとうまく自分の作品にも絡めることができるようになったわけです。そのような作家としての武器が生かせるのは、芸能プロの経営をしていくうえで、まず大きなことでしたね。
 でも、そこからプロダクションとして仕事がとれるかどうかは別の話。自らテレビ局回りをして、プロデューサーさんたちとお会いして売り込んでいかなくてはいけません。現在もその過程にあるのは間違いなく、3年目の今、ようやく芽が出てきたという状態でしょうか。
 
 
――文芸の世界では 「人気作家」 である新堂氏も、プロダクションを立ち上げてから3年間は、執筆活動をしながら所属女優を連れて各地を駆けずり回る日々を送っていたという。その中で新堂氏が最も大事にしてきたのは成功ヴィジョンだった。
 
 6‐7人乗りのミニバンに女優たちを乗せて、本来なら 「先生」 と言ってくださるような方々に、「うちの子をお願いします」 と売り込んで回るわけです。地道な営業の連続でしたが、常に自分が設定した目標を達成するという信念を持って行動していました。
 その目標とは3年以内にヒロインクラスを輩出するというもの。おかげさまで、まだヒロインとは言えなくも、それに近いポジションを獲得する女優たちが出てきています。自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、芸能界でいえば、このスピードは画期的な早さなんですよ。
 芸能界というのは、割と関係各所の横のつながりが強いのが特徴です。たとえば、独立国家のようなもので、さらに言い方を変えると村社会のような側面があるんです。華やかでなんでもアリの世界に見えながら、芸能界ならではの慣習だったり制約があったりと、業界のルールが強いところがある。だから、新参者がすぐに成功できるかというとその可能性は限りなく低い業界なんですね。しかし、私は常に目標を高く掲げるポリシーなので、「必ずこの目標を達成する」 というつもりでやってきた。どの業界であろうと、負けたくはありませんから、自分が勝っているイメージしか持たないようにしてきたんです。
 
 

 

 
 
 
 

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