こんにちは、建山義紀です。
すっかり久しぶりの更新になってしまいましたが、ニューヨーク・ヤンキースを離れ、阪神タイガースに入団してはや2ヶ月半。あっという間の日々でした。ここだけの話やけど、2ヶ月前までは、年齢的なものや編成上の問題もあり、アメリカで新しい球団を探すのは難しい状況でした。でも阪神が必要としてくれて、まだまだ野球ができる。今、そんな喜びをかみしめています。
やはりアメリカは広かった!
アメリカから日本へ戻ってきて、まず慣れないといけないのは朝の早さでしたね。アメリカではマイナーでもナイターが多かったので、帰国後は、デーゲームのリズムを作るのが大変でした。ホームでも試合があるときは朝6時には起きなくてはいけないし、日中の暑い中で試合をするのは、なかなか酷なものでした。日差しの強さはテキサスでやっているときに慣れていたのでいいんですけど、湿度を感じると「日本に帰ってきたんやな」と実感せずにはいられません。
でも生活そのものは、かなり楽になった気がしますね。日本食を食べられることもそうですが、何より移動が楽。アメリカの場合、移動の待ち時間だけで2時間半なんてザラですけど、日本は2時間半あれば結構な距離を移動できるので、「やっぱりアメリカは広かったんやな」としみじみ思いますわ。タフな移動が多ければ、どうしても疲れは溜まりやすいものです。日本でもパ・リーグの移動はしんどいと思いますが、それでもアメリカに比べたらまだ楽なほうなんじゃないかな。移動に左右されずコンディションを整えやすいのは日本ならではだと思いますね。
ピッチングで違う2つのこと
さて、そんな中でも早く水に馴染まないといけないのはプレーにまつわること。日米でのボールの違いはおそらく野球が好きな人ならばご存じでしょう。皮の素材の違い、縫い糸の太さの違い、滑りやすさの違いなどがありますよね。まずこれに慣れなくてはいけないわけですが、投手にとってもう一つ悩ましい違いがあるんですよ。
それはマウンドの固さの違い。アメリカのマウンドに比べて日本のマウンドは柔らかいんですね。固いマウンドで起こり得なかったことが、柔らかいマウンドでは起こる。さていったい何が起こるのでしょう。わかりますかね?
答えは、「足が滑りやすくなる」ということなんです。振りかぶって足を踏み出し、ふんばりを利かせないといけないのですが、踏み出した軸足が何センチかズズッと滑ってしまう感覚があるんです。アメリカのマウンドは固いので滑らない。実はこの違い、投球フォームそのものへも影響するので、かなり大きな違いなんですよね。
渡米前に日本でやってきたフォームをアメリカ仕様に変えてそれに慣れ、今度は日本仕様に戻さなくてはいけない。もっとも2ヶ月半経ってだいぶ慣れてきましたので、今ではほぼ問題なくなっていますし、滑りもいい感じでフォームに取り入れられていますけどね。
日本は練習しやすい環境
そんなこんなで、日本仕様の建山義紀にモデルチェンジしつつ、入団1ヶ月目で登板。アメリカで実践から遠ざかっていたので、少し早い気もしないでもなかったのですが、そもそも必要とされて戻ってきているのに「もうちょっと待ってください」なんて言ってられません。
連投が続いても、それは向こうでも経験していることだし、年齢的な疲れの溜まり方も昨日今日始まったわけではないので、そこは経験値でしっかりカバーして。投げ終わってからは入念にストレッチやアイシングを繰り返し、次の登板に備えるようにしています。
今現在の新たな課題もあります。ボールやマウンドに再適応しつつあるのは確かですが、投球が少し乱れがちで、まだ制球が定まっていないところがある。たとえばボールの曲がりが甘くなってしまったりね。キレという点ではどうしても年齢が関係してくるので仕方がないのですが、思ったところにきっちりと投げられるコントロールを大事にしていかないといけないなと感じていますね。それができれば、キレがなくても勝負はできる。
ちなみに練習についても日米の違いは、やはりあります。日本はチーム中心のやり方。アメリカは、もちろんチームプレーの練習もありますが、個々が個々の課題を克服するだけの練習をそれぞれでやっているイメージが強い。
それとアメリカでのシーズン中は、コンディショニング重視なんです。試合の日程がきついので、いい意味で練習をしない。阪神では、移動での負担が少ないので、若い選手が休日でも自主的に練習をしている。その違いは日米の大きな違いでしょう。
馴染みの関西弁に交じって
まあ、いずれにせよ阪神というチームで野球ができることは、とてもありがたいことです。伝統があるチームですし、85年優勝メンバーもコーチ陣にいますから、自分の憧れの人たちと野球ができる。こんなありがたい話はないですよね、ホンマ。ぼくが大阪出身ですから、関西弁が飛び交う雰囲気は安心しますし(笑)。「帰ってきたなあ」という感じです。
ぼくね、こう見えて、けっこう人見知りなんですわ。だから最初からチームのいろんな情報を詰め込みすぎたり、「早く溶け込まなきゃいけない」と肩に力が入ると、ストレスに感じてしまうんです。特にシーズン途中で入ってきているので、すぐに慣れなくてはいけない難しい状況です。方言や人の雰囲気に馴染みがあるこのチームでは、まず自分のことに集中しやすい。その環境に背中を押されて、しっかりペースを上げられるようにやらせてもらっています。
そうやって前向きに動いていくと、人間なんとでもなるものです。悪いことを考えていると悪い流れが生まれる。どんなに調子が悪くても、打開策を見つけるために、一つ一つを丁寧にやっていく。そして諦めない。それがすごく大事なんですよね。
逆に調子がいいときは落とし穴があるものです。ぼくも散々そういう経験をしてきました。いいときほど周囲の声は耳に入ってきませんから、いつも以上に注意しなくてはいけない。ピッチャーの調子なんてすぐに崩れるものですからね。だからこそ微細な違和感に気付かないといけないのですが、ピッチングフォームひとつとっても好調時はチェックポイントを忘れてしまいがちなんです。怪我だって、だいたいが調子のいいときにしがちです。
でも、それが人間。「悪いときほど開き直って大胆に、いいときほど天狗にならずに慎重に」。ぼくの場合はそうですね。
しっかり自分の投球を取り戻して、とにかく早く一軍に戻れるようにがんばります。皆さん、応援してくださいね!
執筆者プロフィール
建山義紀 Yoshinori Tateyama
プロ野球選手
経 歴
1975年、大阪府出身。中学時代からボーイズリーグにて野球を始め、現在のピッチングを支えるサイドスローを確立。東海大仰星高校ではエースとして君臨。1998年にドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団すると、ルーキーイヤーの1999年にいきなり先発ローテーションへ定着。2002年から2004年にかけてセットアッパーとしての才覚を表すと、リーグ最多の13ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手を獲得。その後、先発・リリーフともに計算できる投手としてチームに貢献した。2010年に海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明し、テキサス・レンジャーズに入団。2013年のシーズン途中、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2014年6月に阪神タイガースに入団し、日本球界に復帰した。サイドスローから繰り出す角度のある速球と、ダルビッシュ有選手をして 「球界最上」 と言わしめたスライダーが武器。
ツイッター
http://twitter.com/tatetatetateyan
(2014.9.10)