映画は喧嘩や。ビジネスもそうやないんかい ―― 映画監督・井筒和幸が私的映画論にからめて、毎回一つのキーワードを投げかける。第14回はイーストウッドのウエスタン作品の集大成 『許されざる者』(1992年・アメリカ) から、“許せない”。
誰でも、原題どおり “UNFORGIVEN” なことは、日々の仕事の中でもよくある。でも、人はそのうち、まあいいか仕方ないかと諦めて、許してしまうことが多い。許してしまわないと自分も前に進みようがないと思ってしまうからだ。
大人になってから映画を観て、涙ぐむことなど滅多になかったのに、どうしても目が潤んでしまった、そんな感動の一篇があるんだわ。改めて紹介したい。公開当時、期間中最終回の映画館はガラガラだった。1000席もあるのにわずか50人ぐらいの客しかいなかった。そして、上映の途中でサラリーマン客が一人消え、OLの二人連れが消えと、次から次に客が立ち去ったのも覚えている。“ええ? どうして帰るんだ? ハリウッドの西部劇の画面があまりに暗くて汚らしいからか? 話がすさんでいてずっと憂うつで派手な撃ち合いシーンもなくてスカッとしそうにないからか? 確かにそうかもな、だったら、とっとと失せろ、判らないなら消えろ、消えてくれ、一緒にいるのも目障りだ、さっさと温かい我が家に帰って温かいご飯でも食べてくれ” と、一人密かに願っていたのも覚えている。そして、2時間たって観終わってからだが、どうして 「最後まで観てくれ!」 とお客に声をかけて引き止められなかったのかと、当の製作者のイーストウッドでもないのに後悔したことまで覚えている。ボクまで、お客の中途退場を “許してしまった” のかと。
『許されざる者 』 1992年・アメリカ
ブルーレイ ¥2,500 (税込)
DVD ¥1,500 (税込)
一体全体、何が本当の悪で、何がそうでないのか、この映画はそれを突き詰めてくれる。舞台は19世紀末のワイオミングの荒野、法の支配が行き届いていない時代だ。若い時には殺人やら強盗やらで悪名を売った主人公のマニーも、今では銃など使うこともなく、豚を飼って二人の幼い娘息子と倹しく静かに暮らしている。愛妻にも先立たれていて、それはそれは貧しい限りの生活だ。見渡しても隣りの家もない。(この頃のアメリカの荒野が、何かしら、今の日本中の田舎、いや、東京の都内にさえ見えてくるのはボクだけかな?)
そこへ、若造のガンマン (まあ今で言うフリーター、非正規雇用にもありつけない文無しの青年) が訪ねてくる。野宿で一泊したら辿りつける近くの (この頃なら遠くでもないわけ) 町の売春宿の娼婦を傷つけて逃げた牛泥棒どもがいる、奴らを討ち獲ったら賞金を貰えるので一緒に組まないかと、マニーは誘われてしまう。ギリギリの生活だったところにギリギリの儲け話だ。(今の東京でも大阪でもそんなことを企む人間はいるし、一世紀前のことにも思えなかった。) そして、マニ―は久しぶりに銃を手に取り、昔の相棒 (これがモーガン・フリーマン) も誘って、3人で町へ向かう。掘っ立て小屋のような家に、子供二人を残して。マニ―が息子のほうに言い聞かせる、「豚を死なせないように世話するんだぞ、父さんが2週間たっても戻らなかったら、姉さんを守って二人でしっかり生きろ」 と。こんな荒野の真ん中で、こんな親子の別れを見るのは切な過ぎたけど、一世紀前なら世界中がこうだったに違いない。幼い息子がコクリとだけ頷く。(父親の養育放棄だと考える人間もいるかも知れないが、これこそ、理想の自分の子の躾方かとも思った。) いやー、まさしく荒野だわ。
いっぽう、頑強な保安官 (これがジーン・ハックマン) が、力ずくでその町を独裁支配している。伝説の殺し屋ボブが旅の途中、ふらりと流れこんで来ても、「わが町に銃の持ち込みは一切禁止」 という法律まで作っていて、逆らうボブを殺さんばかりに殴り蹴り、町から追放する。マニーらはそんなことも知らずに町に着いてしまう。酒場で、マニーもすぐさま保安官から銃を取り上げられ殴られて重症を負う。そのうち、若造のガンマン (フリーター) が牛泥棒どもを見つけ、(何人も殺したと偉そうなことばかり口にしていたが実は生まれて初めて) 人殺しをするのだが、保安官に睨まれていた3人は無法者には違いなく、もう町に近づけるはずもない。相棒のほうはもう人殺しは止めたとマニーらに別れを告げて家に戻ろうとしたものの、すぐに追跡されて、3人を代表して殺人罪で捕まってしまう。万事休すだ。保安官から町の規律の見せしめに、“テメエのような黒人の一人ぐらい” と、なぶり殺しにされて磔にされる。娼婦から賞金を受け取ることができたついでにそのことを聞いたマニーは、フリーターに、自分の子供と相棒の妻と4人で賞金を分けるように言い残し、戻ってはならないその町へ向かって行く。酒場の前に相棒の遺体が晒されている。マニーが、どうしても “許せない” 人間がこの町で一人威張っている。激情が走る。保安官バッジをつけて飼われていた手下たちが反撃してくる。でも、マニ―の銃は保安官に迫る。“許せないのはお前だ!” と。
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何が本当の悪で、何がそうでないのか、徹底的に見極めようとしたテーマに、ついてこれない人がどれだけいたにしろ、この映画は、平易な勧善懲悪を越えて、人間の悪を見逃さない。(ラストは書かないが) ボクは、マニ―のあの子供たちがどうしているのか、彼の生死より、そっちのほうが最後まで気が気でならなかった。この名作を、日々の仕事に役立ててほしい。何が一番許せないことかを。(確かにこの頃から、観客たちは、画面が明るくて、スターたちが綺麗で、お話が自分の現実とは別世界で、楽しくて、ちょっと可哀相なところもあるがハッピーエンドが必ず待っている、おめでたく平凡なモノしか見ないようになったのも、覚えている。)
執筆者プロフィール
井筒和幸 (Kazuyuki Izutsu)
映画監督
経 歴
1952年、奈良県生まれ。県立奈良高校在学中から映画制作を始め、1975年、高校時代の仲間とピンク映画『行く行くマイトガイ・性春の悶々』を製作、監督デビュー。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降『みゆき』(83年)『晴れ、ときどき殺人』(84年)『二代目はクリスチャン』(85年) 『犬死にせしもの』(86年)『宇宙の法則』(90年)『突然炎のごとく』(94年)『岸和田少年愚連隊』(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 『のど自慢』(98年) 『ビッグ・ショー!ハワイに唄えば』(99年) 『ゲロッパ!』(03年) 『パッチギ!』(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得。『パッチギ!LOVE&PEACE』(07年) 『TO THE FUTURE』(08年) 『ヒーローショー』(10年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。最新作『黄金を抱いて翔べ』のDVDは2013年4月2日より発売予定。