映画は喧嘩や。ビジネスもそうやないんかい ―― 映画監督・井筒和幸が私的映画論にからめて、毎回一つのキーワードを投げかける。第12回は『レイジング・ブル』(1980年・アメリカ)から、“奮い立つ”
あらかじめ言っとくけれど、RAGING(レイジング)は、荒れ狂う、猛威をふるう、激怒する、激情する、憤怒ということで、ちょっとしたことでキレたり、かんしゃくを起こすということじゃないから。ブルは雄牛だ。ずばり、“怒れる闘牛”、この傑作のことをいつか取りあげようと思っていた。
初めて見たのはもう30年以上も前か。そう思い返しただけでも、あらためて、心が奮い立つね。主演のロバート・デ・ニーロが何十キロも身体を激太りさせて役に挑み、見る者を圧倒させた。それだけでも凄いこと。顔と体を少しシェイプさせて演じる俳優はその辺にいるけど、元の顔形まで忘れてしまうほど太って登場した役者は、後にも先にもいなかった。彼の努力には当時のアカデミー賞協会も感嘆した。比べて、今のアカデミー賞で騒がれるモノなどゾクゾクしないし、そんなに感動もない。パキスタンの隠れ家に潜むビンラディンを暗殺しに行く 『ゼロ・ダーク・サーティ』 もニュースで知っていたことぐらいでゾクゾクしなかったし、ベンガル虎と小舟に乗り合わせた少年が漂流する 『ライフ・オブ・パイ』 も、CGで描かれたベンガル虎や嵐の海から恐怖は伝わらなかった。作り手の都合で仕上がったCG画面ばかりに慣らされてしまうと、そのうち、人は (モノが嘘か本物かを見抜く) 審美眼を失ってしまうだろうなと痛感した。そんなことにゾッとしたくもないんだけど。
“怒れる闘牛” に出会った当時、ボクはかなり落ち込んでいた。自分の作った映画の中身の粗雑さやギャグ台詞の空回りが目立って、ああもう駄目だ、もう何も作れない、と呑み屋でクダを巻く日々が続き、ヤケになっていた時分だ。
ニューヨークのブロンクスに住む若いボクサーが、チャンピオンを夢見てファイトを燃やし連勝を重ねていく。でも、それだけの熱血根性モノなら誰が見たことだろう、デ・ニーロも騒がれなかっただろうと思う。この物語は、『ロッキー』 のようにアメリカンドリームを勝ち取って、誇らしげに愛妻を抱きしめて栄光を喜び合う、単純な成り上がりの “イタリアの種馬” の浪花節とはワケが違う。種馬じゃなくて、こっちは暴れる牛。荒れ狂う牛とは、実在した世界ミドル級の元王者ジェイク・ラモッタの渾名で、その人の自伝が基になった映画だった。
町のしがないワル上がりの青年ボクサー、ラモッタはまだ駆け出し。その夫婦生活は荒れていた。(――映画を見た頃のボクはまだ独身だったが、付き合ってた女といつも喧嘩ばかりで同じように荒れていた)。やがて、ラモッタは歳の離れた白人娘を見染めて再婚する。(――ボクも歳の離れた新しい女と巡り合って結婚したかったが、人間、そうは巧い具合にいかないもので・・・)、ラモッタのほうは心機一転、家族円満、ボクシング試合に打ちこみ、ファイトマネーも稼いで上りつめていく。そこまでは種馬ロッキーとも変わらないのだが、人が闘牛になればなるほど、人生の奈落も待ち構えているというワケだ。(――ボクにも底の浅い奈落が待っていて、映画会社と言い争いをして酔っぱらい交通標識を倒して警察のブタ箱に入れられたが)、ラモッタはマフィアの強引な誘いで八百長試合に手を出してしまい、セコンドマネージャーの弟の忠告も聞かずに、女房と弟の仲まで疑り始めて、二人共叩き伸してしまって絶交されて、一度は手にしたチャンプの座を黒人の挑戦者に奪われて、とどのつまり、ボクシングから身を引く。(ボクはチャンピオンベルトこそ知らないが、なんとか生き凌いでいた・・・)。デ・ニーロが体重を増やして巨漢になって現れるのはここから。ラモッタはナイトクラブの経営を始める。でもそこで、お客に14才の小娘とも知らずに売春まで斡旋して、検察側に裏金1万ドルさえ用意できないまま、刑務所にぶち込まれてしまう。3人の愛しい子供たちと女房にも愛想を尽かされ、いよいよ、文無しになった彼が独りでニューヨークに戻ってきたのは、町の安酒場のショータイムに出演するためだった。
波乱万丈の末、ブタ顔になるまで太って漫談芸人となり果てたラモッタが、ステージの出番が来たので、楽屋の鏡の自分に “ウオゥ、ウオゥ、ウォ” と己を奮い立たせるように吠えて、ボクサーのように両腕を振るうラストシーンに、ボクは泣かされ、励まされた。(それまで映画館で泣くことなど一つもなかったのに・・・)。ゼロから始まって、またゼロに戻った闘牛の生きざまに文句をつける人はいないだろう。弟役を演じたジョー・ペシという今や怪優にして名優の彼が、友人のデ・ニーロから “諦めずにもう一度、この作品で俳優をやってみろ” と推挙され、奮い立って出演したとも聞いた。兄貴を支える荒くれ者役にも圧倒感が溢れていた。――励まし、励まされる、人たちの映画。今からでもいい、ゾクゾクとさせられ、奮い立たせてくれる人間に出逢いたいね。
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この頂上あり谷底ありの人生譚、今、流行りの魔法のナントカノミクスで景気が良くなれば、給料も上がるしボーナスも出るし、自分も何か一発やれるかもって、そんな調子のいい期待を抱かせる話じゃないからね。志は、お金では買えないし、地を這って見つけてほしい。
執筆者プロフィール
井筒和幸 (Kazuyuki Izutsu)
映画監督
経 歴
1952年、奈良県生まれ。県立奈良高校在学中から映画制作を始め、1975年、高校時代の仲間とピンク映画『行く行くマイトガイ・性春の悶々』を製作、監督デビュー。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降『みゆき』(83年)『晴れ、ときどき殺人』(84年)『二代目はクリスチャン』(85年) 『犬死にせしもの』(86年)『宇宙の法則』(90年)『突然炎のごとく』(94年)『岸和田少年愚連隊』(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 『のど自慢』(98年) 『ビッグ・ショー!ハワイに唄えば』(99年) 『ゲロッパ!』(03年) 『パッチギ!』(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得。『パッチギ!LOVE&PEACE』(07年) 『TO THE FUTURE』(08年) 『ヒーローショー』(10年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。最新作『黄金を抱いて翔べ』のDVDは2013年4月2日より発売予定。