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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.24(最終回) 野蛮を卒業し再出発せよ 品格をもたらすもの(後編) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 

元来解りきったことであるはずなのに

 
日本の国際的な信用は2015年に入ってさまざまな意味で低下している感があります。この信用というのは、気分的なものだけでなく、有価証券や為替など、資産経済を含めた意味で、大きな地盤沈下が指摘できる可能性を含めて考えています。
 
この原稿はベルリンで打っていますが、ドイツでは労働者階層向けのタブロイド紙などでは「働かない国に貢ぐのはたまったものではない!」式のギリシャ叩き、ガス抜き記事も目にします。
 
でも、そんな低見識で決定される行政施策は、少なくとも欧州委員会レベルでは絶対にありえないわけです。ギリシャ問題もある収束を見せ、円価の対ユーロ為替は依然として弱いままです。
 
さて、日本で言えばスポーツ新聞とか夕刊紙のタブロイドがこれに相当しますが、そうした報道と、オピニオン紙と言われる新聞の記事や社説とは、おのずから信頼水準=品格が全く違う、そんなことは元来解りきったことであるはずです。
 
 

むしろ政府が戒めるべきだったもの

 
さてしかし、今般の「安保法案」で見られた現象は何だったのでしょうか?
 
まともな憲法学者なら100人中100人が「違憲」と言うのが間違いない「解釈改憲」で、ごくごく普通の見解を述べた専門家を「専門能力に欠ける」とか「人選ミス」などと口走れてしまう下品さ。
 
立憲支配、法治主義という国の根幹のプロセスが問題になっているのに「それではイザというとき間に合わない」うんぬんという素っ頓狂な間抜けた議論と、それに気付かない蒙昧さ加減。
 
間に合うか、間に合わないかというのは「そういう事」が起きたときにも必ず真剣に検討される問題です。翻って「有事立法」を巡る平時の議論は、一般に仮想敵を前提に組み立てられ、少なからざる予算が動きます。
 
その見境も無く、さらにはそうした利権構造の中にもいない(というよりは、有事になれば一番に直接影響を受けるであろう層が)右派大衆として危機感をあおるような風潮は、冷静で知的に品格ある政府であるなら戒めなければならないはずです。
 
少なくともそうした国のリーダー層でなければ、国連などで交わされる集団安全保障の議論でリーダーシップなど執れる訳がありません。
 
 

「品格以前」からやり直す覚悟を

 
今回の法案を巡っては、おかしな模型を使った説明が世論の不興を買いました。また「小国民は三連休で忘れる」といった信じ難い発言も耳にしました。
 
こうしたやり取りを通じて国民の少なからざる層が
 
「まともな説明をしていない」
 
という印象を受けたように思います。つまり、何か子ども向けの喩え話のようなもので、問題の本質を何も語っていない。「わかりやすい説明」ではなく「バカりやすい」もとい「人を小バカにした比喩」が、著しく悪い印象を拡げたように思います。
 
さらに言うなら、その比喩を、ことによると政治家自身は本気で信じているのではないか?もっと言えば、そういうレクチャーを受けてそのレベルで本人が納得してしまい、それをそのまま無防備に不特定多数に晒してしまったのではないか、というケースも懸念されます。
 
残念な事実ですが、日本では政治家はレクチャーを受けて答弁するケースが大半で、それをコントロールするのは優秀なブレインや副官という構造が定着しきっています。「担ぐなら軽い神輿」という言葉もありますが、一国の大事を、ごくごく普通の意味で「知的にまともに」扱うということが2015年の日本ではできていない。
 
「憲法学者」を面罵するような品位のまつりごとが、如実に見せてしまった現実、残念なことですが、これが日本のいまの過不足ない姿に他なりません。
 
「知の品格」とは、いきあたりばったりの無節操ではなく、原則の上に立って気品ある知性を発揮することに他なりません。現状の日本の課題は「品格」以前に、まず最低限の「品位」を持つところ、つまり営利なり権力の自己保全なりという「まるだしの欲望」でうろつき回る原始人レベルの「知の野蛮」を卒業するところから始まるように思います。
 
だれか、パンツを履かせてやらねばなりません。水遊びをする幼児は、すっぽんぽんのまんま喜んで走り回り、それが恥ずかしいことであるという意識を持つ能力がありません。その結果、一挙手一頭足が確実に国際的な信用を落としてゆきます。
 
タブロイド紙の見出し以下の政策の体制が、長く安定して保つことはないでしょう。必要なのは何? ・・・「品格」に他なりません。
 
 
<連載了>
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.24 野蛮を卒業し再出発せよ 品格をもたらすもの(後編) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.8.5)
 
 
 

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