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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.9 学位の品位はどこに(7) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 
私は仕事柄、欧州での移動が多いのですが、荷物が嵩むときなど、自分で運転してベルリン~ミュンヘン間など、長距離のハンドルを握ることもあります。
 
ここで「国際免許」というものを考えてみましょう。私の場合、都内の指定機関に5センチ×4センチの写真、免許、パスポートと手数料2400円也を持参すれば、有効期限1年の「国際運転免許証」を「東京都公安委員会」名義で発行して貰えます。フランスやドイツ、チェコやハンガリー、オーストリアの運転免許を私は持っていませんが、このライセンスのお陰でこうした国でレンタカーを借りることもでき、列車やバスの通じてない所にも出向くことができます。
 
国際免許の表紙には「1949年9月19日の道路交通に関する条約」に基づくものである、と明記され、フランス語、英語、スペイン語、ロシア語、中国語そして日本語で「この運転免許証で運転することができる車両」その他の情報が詳細に記されています。
 
厳密には各国の道路交通法規はもろもろ異なり、中には正反対のものなどもあると思います。わかりやすいはなし、右側通行と左側通行とは「真逆」ということができるかもしれない。
 
が、そうした詳細は別に置くとして、まずもって社会経済を回して行く上で必要とされる「国際免許」の資格を、個別には各国の専門機関・・・日本で言えば「東京都公安委員会」が担当窓口として、日本の運転免許証(とパスポート)を根拠として保証し、そうした各国の全体を、国際条約が枠組みづけて保証している。
 
例えば「運転免許」については、このような形で「ライセンス」の質が担保されているわけです。
 
さて、ここで「知」のライセンスはどのようになっているか、考えてみたいのです。例えば「医師の免許」はどのようになっているか? あるいは弁護士の免許はどうか?
 
 
二つの解決シナリオ:国際化とローカル化
 
結論を先に言ってしまえば、医師や弁護士の免許は、その行く先々で改めて発行していて「国際医師免許」というような形にはなっていないし「国際弁護士」がライセンス一枚で開業可能な具合にもなっていない。
 
海外の医師が国際免許一枚で、日本国内でバンバン開業し始めたら日本の保険行政は大混乱してしまうでしょう。法曹にいたっては、米国で考えれば州毎にライセンスを出すなど、より脇の締まった管理を徹底しているように思います。
 
無論、そうした話が通用しないケースもあるでしょう。例えば国際赤十字や「国境なき医師団」などが、紛争地域や紛争後地域で野戦病院を開設するというような場合、その地域での医師免許というものが確定していませんから、なんであれ、どこかの国で免許を持ったお医者さんであれば、つまり医療行為が実践可能な人であれば、誰であれ(人手は不足しているに違いありませんから)大歓迎というようなことになるのかもしれません。
 
この状況、先ほどのケースで考えれば「運転免許」の状況にも似ていると思います。
 
弁護士や検事、裁判官についても「国際法廷」のような場所では一国の国内法は通用しません。端的には東京裁判やナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク国際軍事法廷などが解りやすいでしょう。こうした例を挙げると過去の話のように思うかも知れませんが、国際係争案件は常に存在しており、多くの国連機関がその解決、調停に奔走しています。そうしたところでは、必ずしも「ライセンスがあるから仕事ができる」というシステムになっておらず、その都度人を選ぶ土台から作って行かねばならないことも少なくありません。
 
もっとも典型的なのはルワンダ・ジェノサイド(1994)の実行犯裁判でしょう。3ヶ月で80万人とも120万人とも言われる人が犠牲になったとされます。正確な総数すら10万の単位で誤差がある、その大虐殺に関わった重要容疑者だけでも12万人以上が身柄を拘束されており、通常の裁判を開くなら300年以上の年月が必要になる計算になってしまいました。
 
そこでルワンダでは、国民の投票、選挙で地域地域に「民選裁判員」による法廷(伝統的な民族法廷のスタイルを踏襲して「ガチャチャ」と呼ばれます。ガチャチャとは「草の上の談義」の意)が設置され、終身禁固を最高刑とする刑事法廷が開設されました。
 
この場合は、終身禁固という重い判決を下す「判事」に相当する役割も、特段の資格を持たない一般市民が選挙で選ばれ、研修を受けルールに従って行うとはいえ、いわばアマチュアが判決を下しています。
 
2007年、ルワンダ大統領府の招聘で同国に滞在したとき、私は2回「ガチャチャ」を傍聴しましたが、一回は原因不明の流会、もう一回は5人いるはずの判事が一人無断欠席して4人となり、偶数出席の場合は決を採らないことになっているとのことで、よくいえばおおらか、何にせよアフリカ的な民族法廷のあり方に驚かされました。
 
いま医療と裁判という二つの解りやすい例から話を始めましたが、何であれ「知」のライセンスを考える上ではローカルな資格の水準を確立する方法と<国際化>によって水準を作り出す方法、大別して二つの可能性があると言えそうです。
 
さて、では多額の研究費に責任を持つことがあり得る「学位」、修士、博士といったアカデミアのライセンスについて、私たちはどのように考えることができるのでしょうか?
 
(この項つづく) 
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.9 学位の品位はどこに(7) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.9.3)
 
 
 

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