「思いやりの原理」
どんな問題でも、対岸の火事と思って見ている間は本当に親身な検討などできません。バイオテクノロジーや基礎医学、臨床医療の問題を考える時は、常に「もし自分がその当事者だったら」と立場を置き換えて考える必要があります。
ES細胞は典型的でしょう。「ヒトの臨床医学でES細胞を応用する」ことがあれば、それは必ず「誰か」の精子と「誰か」の卵が結合してできたものに間違いありません。「胎児性万能細胞」と書くほうが、問題がうやむやにならないように思います。
仮に「胎児性万能細胞」を使うことで、従来なら救うことができなかった病気の人の命を救うことができたら・・・その面だけ見れば、すばらしいことのようにも見えます。しかし、その胎児の親の立場に立てばどうでしょう? つまり「あなたの子供」として本来生まれてくるはずの受精卵が命を奪われ、医療材料として使われることになったら?
「自分の子供の胎児細胞でもOK?」と問われれば、少なくない数の人が微妙な反応を示すでしょう。では「自分の子供」ではなく、どこか知らない人、知らない国の、たとえば発展途上国の貧しい家庭から売られてきた「胎児性細胞」だったら、何の問題も感じないでしょうか?
そういう、自分だけ良ければOKで、人のことは考えないという独善的な考え方は、仮に少しばかり小知恵が働いたとしても、およそ品格ある知性の思考とは呼ぶことができません。弱い相手の立場に自分の身を置いて考える「思いやりの原理」(実際には対称性法則などと呼ばれることがあるもの)が重要です。
実のところ、現在の移植治療では、特定の国にゆけばお金の多寡によって肝臓や腎臓の移植治療が早く受けられたりすることもあるわけで、現実世界には矛盾、非人道的なシステムが多数存在しています。
新たな先端科学が人類の医療や健康の可能性を開くとしても、その実現のために途上国の人々が新たな苦しみを背負い込むような学術に、果たして「品格」があると言えるでしょうか・・・? 私はそうは思わないのです。
現在のように、誰かの臓器をもらってきて移植するのではなく、新たに万能細胞から臓器を作りだすとしても、やはり貧困層の犠牲の上に成り立つような基礎医学であれば、モラルの問題を避けて通ることができません。
そして、この問題にキッパリと解決をつけたのが山中伸弥さんたちのグループが開発したiPS細胞だったわけです。
「品格ある知」の目標設定
iPS細胞は、受精卵を前提としない万能細胞です。誰の「子供」も傷つけません。一つ胎児の命を奪うこともなく、人間の臓器を作り出すことができる可能性をもつ「万能細胞」の技術です。
2006年に開発されてからまだ日は浅く、難治性疾患など、人間の病気を治す臨床医療への応用にはしばらく時間がかかりそうです。しかし、人類史上初めて、生殖というオーソドックスな方法ではない、別の迂回路を通って、あらゆる臓器を作り出す可能性を開いた画期的な技術だと言うことができます。
「iPS細胞開発」という研究目標には、もちろん様々な応用範囲がありますが、同時に人類のモラルとしてとても大切な生命の倫理問題をクリアする、大きな意味があった。それが日本で確立されたことに、日本人はもっと誇りを持って良いと思います。
しかもこの技術は、名前も顔も知らない誰かの胎児ではなく、自分自身や親族の細胞を使って万能細胞を作る可能性を開いています。拒否反応などが出ない夢の移植臓器が作れるということでしょう。
こんなiPSの技術は、いわば職人技の細かやな手仕事で、胎児を経由しない万能細胞を作り出したわけです。が、それと同じことを、細胞を酸に浸すとか、チューブを通すとか、比較的単純な方法で実現できる、と発表したのがSTAP細胞の技術発表でした。
世界は大きく反応した。なぜか?
胎児を使わない万能細胞ができたから? そうではないですね。すでにiPS細胞で実現されているのだから。
酸に浸すなどのシンプルな工程は、非常に容易に機械化、つまりオートメーション化することが可能です。万が一移植手術に失敗した時のために、全く同じ肝臓を2つも3つも、同時並行して作ることだって、自動化されれば遙かに容易でしょう。まさに「臓器工場」を作り出せる決定的な技術革新、イノベーションに成功したというのが「STAP細胞技術確立」というニュースでした。
ところが、実際に追試してみると、論文に記された方法では「臓器工場」の鍵となる技術は全く再現することができない。おかしいじゃないか・・・というのが、現時点での全世界の反応なのですが・・・。
どうでしょう? そんなふうに理解しておられましたでしょうか? STAP細胞をめぐる問題は、今回の騒動のように研究倫理を問われるのみならず、研究そのものが生命の倫理を深く問う性質のものでもあります。今夜あたり、ご家族で、あるいはお子さんと、そういったお話をしてごらんになってはいかがでしょうか?
伊東乾の「知の品格」
vol.2 STAP騒動と大人の知性(その2)
執筆者プロフィール
伊東乾 Ken Ito
作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
経 歴
1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒
業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後
進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア
ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの
課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ
た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな
ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経
BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。
(2014.5.21)