日本とドイツを拠点に活動する作曲家・指揮者の伊東乾氏。音楽家をはじめとする欧米の一流文化人と深く親交し、一般向けにも多数の著作を持つ同氏が、日本の「知」の閉塞状況に警鐘を鳴らす連載コラム。私たちの「知」がいま取り戻すべきものは何か? 身近の様々な現象から読み解き、「経世済民」の語に恥じない社会経済のあり方を読者とともに考えます。
専門的な話をさも難しそうに話すのは・・・
理化学研究所の女性若手研究者が発表して大きな反響があった「STAP細胞」。しかし、発表された論文の手順に従って世界各国の大学が追試してみても、ちっともそんなものは再現できません。そこで、この研究はおかしいのではないか・・・?という疑念が取りざたされはじめました。
そこで実際に調べ始めてみると、出るわ出るわ、この論文や研究に関連しては不祥事のオンパレードのような状態で、毎日テレビや新聞を賑わせるようになったのでした。
さて、社会的反響が大きい「STAP細胞」ですが、実際に「STAP」の意味するところを正確に理解している人はどれくらいいるでしょうか? 正直なところ、私には、かなり怪しいような気がするのです。
たとえば、少し前にノーベル医学・生理学賞を得た京都大学のグループによる「iPS細胞」というのがあります。このiPS細胞とSTAP細胞、何が違うのでしょう?
少し前に、とある大手新聞からこの問題についてインタビューを受けました。そのとき、逆に記者さんに私から尋ねてみたのです。
「STAP細胞と、iPS細胞、それからES細胞というのもありますよね? いったいこの三つ、何が違うか、この場で説明してみて貰えますか?」
少なくともその記者さんは答えることができなかった。ちなみに東大理系出身の優秀な人です。そんな人でも意外なほど、不意を突かれると基礎的なことが判っていないことが少なくない。皆さんはどうでしょう? STAPとiPS、 ES細胞の違い、明快に説明できる自信があるでしょうか?
ここで、専門的な話をさも難しそうに話すのは「知の品格」の点から見て一番低いレベルなのです。上品な知性は、高度な内容を、その本質を損ねることなく、でも子供にも判るように平易に説明することができる。そういう知性をこそ、多くの大人が目指すべきだと思うのです。
では改めて、STAP細胞って何なのでしょう? あるいは山中伸弥さんのiPS細胞、さらに大本にあるES細胞って何なのでしょう?
万能細胞あれこれ
私たちの身体は細胞でできています。そしてすべての細胞は一つ一つ、全く同じ設計図を中に持っています。お父さんお母さんからもらってきた「遺伝情報」ゲノムと呼ばれるものが、その設計図の実体です。心臓の細胞は心臓になるし、肝臓の細胞は肝臓を作る。健康な状態でいる限り、決して心臓の一部に腎臓が生えてきたりはしません。
そんな私たち自身の体も、おおもとを辿ればお父さんとお母さんから遺伝情報を半分ずつもらった「受精卵」でした。貴方も私も、何十年か前は一個の受精卵、つまり単細胞生物として生命活動をスタートさせています。それがお母さんのおなかの中で育ててもらったおかげで、人間の形をとってこの世に生まれてくることができました。
この受精直後の胎児、つまり「胚(embryo)」の細胞は、この先さまざまな臓器に分かれてゆくことができます。同じ細胞から肺もできれば目玉もできる、脳もできるし足の爪だって生えてくる。そんな何にでもなれる「万能細胞」を、もし自由に扱うことができるようになれば、医療は革命的な進歩を遂げるに違いありません。これがES細胞つまり「胎児性万能細胞」に他なりません。
たとえば現在行われている「腎臓移植」「生体肝移植」などの移植治療は、臓器提供者の善意によって支えられています。でももし「万能細胞」を使って肝臓でも腎臓でも、お好みの臓器を研究室で作ることができるようになったら、少ない提供臓器を巡って移植手術を長蛇の列で待つ必要はなくなるでしょう。こういった先端高度医療の分野を「再生工学」と呼んでいます。
しかし、ちょっと考えるとES細胞には大きな倫理的問題があることが判ります。たとえば貴方(が男性だとして)の精子とパートナーの卵、あるいは貴方(が女性だとして)の卵とパートナーの精子が結合した「胎児」を使って、どこかで苦しんでいるかもしれない見知らぬ人の肝臓や腎臓が作られるとしたら? きちんと育てれば、胎児つまり胚はこの世の中に誕生し、人格をもった一人の人間として生涯を全うすることもできるのです。そしてiPS細胞以降のバイオ・テクノロジーは、この大きな問題を克服することに成功した。その肝心なポイントが判らなければ、STAP細胞の意義を考えることなど実は不可能です。
さて、いまSTAP細胞騒ぎの報道を目にするとき、こういう背景、つまり「いのち」に関する大切な倫理の大問題がすぐ側にある、とどれほど多くの人が意識しているでしょうか?
(この項つづく)
執筆者プロフィール
伊東乾 Ken Ito
作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
経 歴
1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒
業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後
進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア
ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの
課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ
た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな
ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経
BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。
(2014.5.7)