マンデラが死んだ。
音楽が消えた。
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昨年末、僕の本の準備の最終段階が着々と進んでいた頃、僕はメキシコとキューバにいた。
キューバと言えば映画『ブエナビスタソシアルクラブ』だ。『ベルリン天使の詩』で有名なヴィム・ベンダースが監督で、プロデューサーと出演がライ・クーダーだ。キューバの伝説的な老ミュージシャンたちを探し訪ねて彼らのバックボーンまでも描くドキュメントの映画だった。ラテンの呑気なじいさんたちが子供のようにはしゃぎながら楽器と遊び悪ガキのように語る。それが、美しい廃墟のようなキューバの街並みと海と人々とファッションで、
もうね、ほんとかっこいいな、と、
世界が、日本が、僕も、感動した映画だった。
登場した主役級のピアノ弾きコンパイ・セグンドが葉巻を咥えながら「まだ子供を作る」みたいなことを言ったりしてね、たぶん80歳とかこえてたんじゃないかな、すんげーかっこいいよね。
とにかくキューバは街中に音楽が溢れ、楽しい、そんな話を聞いていて、キューバに入った。空港から市街のホテルに向かう途中、タクシーの運転手が前を向きながらつぶやいた。
「No music …」
……… え? い、い、いま、なんつった …
「No music unlucky …」
はぁ? 今日から数日間、キューバは音楽が禁止だ、と。音楽も踊りも禁止だ、と。なんでよ? 南アフリカのマンデラが死んだ。マンデラとキューバは仲良しだ、だから、喪に服すと国が決めた、だった。
マ・ン・デ・ラ~~~~ 死ぬの早いよ! あるいはもしくは遅いよ!!(不謹慎ですみません) マンデラの死がこれほどまでにショックだった日本人の最高峰ではないか、と思うほどガッカリだった。
そもそもキューバは社会主義の国だ。アメリカとの国交もなく、アメリカ経由では入国できない。経済的には貧しく、つまり、夜ともなるとレストランがちょっと営業していても基本、真っ暗だ。ホテルで本を読んだ、日本でも読める本を読んだ。そして日本に帰る最後の夜、やっと喪が明けた。待望だ。
ご覧の写真は、キャバレートロピカーナだ。それまでの鬱憤をはらすような弾けっぷりで、無数の観光客も大喜びだった。
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それにしても思うのだ。日本にいたら、たぶん「そうなんだ、マンデラ亡くなったんだね、そうかぁ」ぐらいの感想だったけど、生まれて初めてたまたまキューバにいたもんで、こんなのキューバ人も初めてだという音楽壊滅環境につながった。
たまたま、は、たまたま、だけど、何かのアクションもなければそのたまたまもない。ひょんなことで「つながり」はできていく、自分の知らないとこでも「つながり」はできていく。
たとえば、いまの広告業界にはこんな話がある。いまはネットの時代でテレビCMなどとの相関関係は判断しにくい。クロスメディアとかでいろんなメディアを駆使するとそれぞれがどの程度の貢献度か、実は、わかりにくい。ネットのバナー広告の数字がいいから、他のメディアの効果はダメだ、みたいな話も出がちだけど、でも、実際はそれぞれの相互のつながりで効いてたりもするからね、いろんな手を尽くしてがんばったら、全体で効果的だったぐらいのゆるさが賢いような気もする。
僕の本も、たまたま書いたブログを読んで、日本のどっかで知らない人が買いました、って話も聞こえてきた。
たまたま、を狙ってもたまたまではないけど、何もしなければたまたまも、ない。
たまたまマンデラが死んでキューバが無音でその鬱憤でトロピカーナへ出かけ原色の豪華絢爛に目をみはる、
ぜんぶ、たまたまのたまものだ。
▼今回のキーワード
たまたま、を、
たまたまのたまものへ
つなげていく。