抗がん剤や手術に加え、最新のがん治療として認知されつつある新しい放射線治療――「粒子線治療」。その第一人者である菱川良夫医師が、医師と患者の“共闘”の中からポジティブなドラマを語る連載、第二回。
選んだ治療で「治る」と信じること
今回は、医療と向き合う時に大切な「治る」という気持ちと、粒子線治療に欠かせないチームワークについてです。
仕事柄、がん治療をテーマにした講演に招かれることが多いのですが、受講者の方から、こんな質問をよく受けます。
「手術をして治らなかったら、それからでも粒子線治療はできますか?」
この質問そのものには、ケースバイケースでしかお答えできません。ただ、気になるのは「治らなかったら」の部分です。病気を治すための手術を前に、なぜうまくいかなかった場合のことを考えてしまうのでしょう?
がんに罹って、不安になるのは当然です。どんな治療もリスクを伴うので、よくない結果を想像するのも心の働きとしては自然なことだと思います。けれど、それでも私は、患者さんに申し上げたいのです。医師と話し合って一つの治療法──たとえば手術──を選択した以上は、「これで治るんだ」という決然たる態度で臨んでいただきたい、と。
どうせ手術をしたって駄目だ、などと思い込むのは禁物。がん治療は根気が要りますから、結果を恐れて消極的になるより、医師と「共に闘う」覚悟で前向きに取り組んだほうが、すべてがプラスに働くのは間違いありません。
もちろん、熟慮して選んだ治療法であっても、どれほど「治る」と信じても、成功に届かないことはあります。しかし、その時はまた、信頼できる医師と一緒に次の方法を考えればいいのです。どうか、自分の選択にもっと自信を持ってください。そうすることが、あなた自身を元気づけ、よりよい未来を引き寄せる力になるはずです。
粒子線治療の決め手はチームワーク
「治る」と確信するのと同じように、「できる」と強く思うこと──この大切さを、私は日々の治療現場で実感してきました。
鹿児島県指宿市に「がん粒子線治療研究センター」が完成したのは2010年4月、ここで最初に粒子線治療を行ったのは翌11年1月のことです。以来3年余りの月日は、大掛かりな装置を巧みに操作しなければならないこの治療において、常時20人超のチームワークを熟成させるために、どうしても必要な時間だったと感じています。
熟成に3年かかったといっても、決して開始当初の粒子線治療が危なっかしいものだったわけではありません。巨費を投じたこの最先端の装置は、縦・横の2方向から粒子線を照射するだけで済む、前立腺がんや小さな肺がんなどに対しては、初めから十分な効果を上げていました。
しかし、私たちが掲げる目標は、もっと高いところにあります。すなわち、より複雑に照射の角度を調整しないとがん細胞が殺傷できない、膵臓がんなどの治療にも使えるようにすること。そのために、チームの連携を一歩ずつ着実に向上させてきました。そして、センター長である私から見て、まだ100点満点ではないまでも、まずまずのレベルに達したなと評価している──これが現時点の状況なのです。
仮に今、ほかの施設が指宿のセンターとまったく同じ装置を導入したとしても、すぐに私たちと同じ治療を行うことは不可能でしょう。それくらい、粒子線治療ではチームワークの比重が大きいと思います。とは言え、ここまで来るのは容易ではありませんでした。私が指宿に赴任して、まず何をしたか。それこそが、チームのみんなに「自分たちはできる」と思ってもらうことだったのです。
成長の起爆剤は理屈より「明るさ」
2010年当時のセンターを今と比較すると、「あの頃は雰囲気が暗かったな」という印象が真っ先に浮かびます。たとえば、毎朝の朝礼。まだ診療は始まっていませんでしたが、始業とともにチームを構成する医師(私もこの中の1人)と放射線技師、医学物理士、看護師らが顔を揃え、連絡事項の確認などを行うのです。しかし、特に初めの半年くらいは皆一様に表情が硬く、言葉少なに指示を待つ感じでした。
なぜそんな様子だったのかというと、粒子線治療の装置をうまく使いこなすことが「できない」と思い込んでいたから。要は「臆病風に吹かれた」状態だったのです。彼らは指宿に来る前、兵庫県の県立粒子線医療センターで研修を受けていました。ここでは2001年から粒子線治療を行っていて、すでに10年を超える実績があります。指宿の面々は、いわば恰好のお手本であるこの施設で、装置の根幹である回転ガントリーを初めとして粒子線治療の実際について学びました。この研修が、臆病風の原因でした。10年で数千件の治療を行ってきた兵庫チームの技術に気後れし、「とても無理だ」と半ば諦めてしまったのです。
このままでは装置の運用が上達しないばかりでなく、患者さんの雰囲気まで損ないかねません。まずいと思った私は、いつしか朝礼があるたびに仲間を励ますようになりました。「楽しくやろう」「幸せになろう」「兵庫だって最初はここと一緒だった。きっとできるさ」──こんな言葉をかけ、施設内が明るくなるように努めました。
その甲斐あってか、俯きがちだったチームの中にも段々と笑顔が目立つようになり、それとともに粒子線治療への自信も少しずつふくらんでいったように思います。
やってみる前に自らを決して疑わず、必ず「できる」と思うこと。どんな仕事にも、そして病気の治療にも共通する極意ではないでしょうか。
ドクターの手帖から
vol.2 自分を信じることから成功が始まる
(2014.6.11)