あなたがこれからピザ屋を始めるのに、日本一の販売量を誇る大手チェーンのピザ屋のピザのつくり方やノウハウを学びますか? これからラーメン屋を始めるのに、大手チェーンのラーメンを学んだところで、そこに何がありますか? そういう間抜けな学び方を私たちはズーッとやってきたのです。
――あとがきより
日本文学の傑作『雨月物語』の作者として知られる江戸時代後期の作家上田秋成は、大阪の富裕な商人の子でありながら家業と反りが合わなかった。当時の社会における商業蔑視は幕府の正学だった朱子学に由来するが、秋成も「商は詐なり」と言ったとか言わなかったとか、大学時代に秋成研究が専門の教授から習った覚えがある。現代においてこの言葉はどれほどの意味を持つだろう。「産業構造における農・工業と商業の割合は戦後の高度成長期を通じて逆転しうんぬん」のような大上段の講釈を待たずとも、卸・小売業つまり商業と各種サービス業からなる第三次産業は、現代の社会経済の主役だ。商売は200年前の偏屈な文人がこだわった虚業の影をもうはらんでいない。「生活を豊かにする良い文物を見つけてきて、まだその恩恵に浴していない人に提供」する、クリエイティブな経済行為である。
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本書は栃木県でカメラ販売専業会社「サトーカメラ」を展開し、経営コンサルタントとしても活躍する佐藤勝人氏による、地域の小売店に向けた“商人虎の巻”。小売業指南の最新刊である。その実力は、カメラ販売では栃木県の世帯あたりカメラ保有台数を他県平均の2倍にさせ、コンサルティングのほうでは、キヤノングループ世界総売上の25%、1兆円を占める中国市場において、キヤノン中国から大陸3000店舗の販促戦略および人材育成を託されたと聞けば推して知るべし。そして本書の内容も、あくまで実践的である。域内人口からの商圏分析、アイテムの売れ個数と価格帯からボリュームゾーンをハンドリングする統計的思考とノウハウ、顧客の購買行動と心理を現場で見極めた具体的な販促戦略、そして、地域の生活者=人間の心の豊かさに資する商業者としての志。本書を読めば、商売がいかに楽しい生業であるか、何がその楽しさの本質であるかがよくわかる。いくつか抄出・要約しつつ例挙しよう。
「サトーカメラは栃木県内でデジタル一眼レフカメラの50%のマーケットシェアを獲っている。それは従来のマーケット7%(カメラ販売台数/国内人口)だけでなく、93%のノンカスタマーを取り込んだから獲れた異常値つまりシェア50%だ。異常値をつくるとは新たなマーケットに売っていくことだ。それはその地域に新しい文化をつくることだ。」(p69、70)
「たった一つの商品を、自店の商圏エリアで根こそぎ広めていくことで、地域のお客様のライフスタイルを変えていくのが地域一番化戦略なのである。サトーカメラが“思い出をキレイに一生残すために”を企業理念に掲げたのは、『既存顧客以外の人たちの思い出は残さなくていいのか?』と思ったからだ。」(p164)
「メーカーは高価格の商品を開発したくても、卸先は現状の卸価格より高いと売ってくれない。だからメーカーは今売れている商品をデータ分析して、似たような商品の同じ価格帯しか開発しない。しかし、売り場を持つ小売業は、たとえ失敗しても売り切る力がある。なぜ失敗したかをお客様に聞き、売場で検証できる強みがある。我々こそ、大手チェーンのおこぼれを待っているのではなく、新たなマーケットをつくるのに適した存在である。」(p164)
「戦略的値上げとは、世間相場が100円のものを150円で売ることではない。世間相場が200円のものを150円で売ることだ。方法はこうだ。今のボリュームゾーン『下グレード』のアイテムAが100円とする。そこで、同じアイテムでも上位のアイテムBとして200円相当の高付加価値商品を探し出してきて、Aの1.3倍から1.5倍くらいの130円から150円で、チラシ、POP、(チェーンストアはやらない)丁寧な接客によって売る。やがて認知されてBの販売個数が全体の40%を超えたら、店頭から『下グレード』のアイテムA100円の商品を撤廃する。ボリュームゾーンは130円から150円に上がるが、かといってお客様は離れない。今まで知らなかった200円の高付加価値商品を安く手に入れられるからだ。むしろ『こっちのほうがいいね』『ありがとう』と言ってくれるケースが大半だ」(p199、200)
共通するのは“工夫”だ。自分で工夫して成果を上げ、それが報酬になって返ってくるおもしろさにあえて抗う神経を、およそ人間は持っていないのではないか。いま現在商業に携わっていない人、例えば工場の生産ラインで働く労働者でも、本書を読んで自分なりの規模、自分なりの工夫で商売を始めたい気にさせられる人は、少なくない気がする。何も来月からネット通販の副業を始めなくたっていい。次の査定が近ければいかに担当作業の評価が上がるか工夫してみるのも商売だし、規格による大量生産と効率化の世界では工夫が求められていないとやがて気付き、自分をもっと高く売るため外に出て、トライ&エラーの積み重ねで自らの商品価値を上げていくことも商売である。仮に結局工場に残って昨日と同じ作業に昨日と同じように従事していくとしても、気付きと欲に目覚めた労働者は、別の場面で必ず、潜在的付加価値を秘めた存在になるはずだ。
チラシやDMなど販促ツールの目的別活用法、商品・品揃セルフチェック10項目etc・・・。戦略の具体的な詳細についてはぜひ本書の中身に当たられたい。チラシの表裏両面にどの割合でどんな商品を置くかといったところまで知ることができる。そしてそれらがやっぱり、端的に、おもしろい。誰もが工夫欲に“ムズムズ”してくること請け合いの1冊である。