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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
 
「最初は思い出づくりのような感じ」で番組に出演した小堺さんが、芸能界で働くことを続けたのには、どのような思いがあったのだろうか。
 

やると決めたらきちんとやり切る!

 
実は僕、少年時代にNHKの歌番組『歌はともだち』という番組に出ていたことがあるんです。だけどある日、その番組を降板することになってしまった(笑)。「卒業です」と言われて、他の子どもたちも出演していないだろうと思って数週間後に番組を見てみたら、僕と一緒に参加していた子たちが歌っている。そのときに自分だけが卒業したことを知りました(笑)。両親からは軽い口調で「中途半端にやっているとこういうことになっちゃうんだぞ。やるときはきちんとやらなきゃね」と言われました。
 
大学生になって『ぎんざNOW!』に出たとき、そのことを思い出しました。それで、「ちゃんとやってみようかな」と思ったんです。両親には「芸能界で3年間、挑戦させてください」と言いました。3年も続くかはわからないけど、やるだけやれば諦めもつくだろうし、ともかくやり切ってみようと思ったんです。大学を卒業してからは、俳優の勝新太郎さんが若手を育成する「勝アカデミー」という学校の試験を受けて、大学卒業後に第1期生として入校しました。そちらを卒業後、現在も所属する浅井企画に入り、結果として今も、ズルズルこの世界で仕事をしてます(笑)。
 
 
浅井企画には、欽ちゃん、大将の愛称で広く知られ、大人気を博していた萩本欽一さんが所属していた。
 

萩本氏の教えはマスターキーだった

 
実際に接する萩本さんはいい意味でテレビと違う男っぽくリーダーシップがあって、僕が知り合った頃はたくさんの番組を持って大活躍していたのに、いつお会いしても、全然疲れを見せないんです。
 
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萩本さんは、自分の番組に出演しているメンバーがどんなタイプの人間だったのかを見抜いていて、その人に合ったアドバイスをくれました。例えば『欽ちゃんのどこまでやるの!』で僕と関根勤さんが「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」というコーナーを持たせていただくことになるまでの間、「お前らはいろいろ言うと、意識してダメになるから放っておく」と言うんです。僕らは本番で緊張してしまうタイプだったので、普通なら出演なんかさせてもらなかったかもしれない。でも萩本さんは番組に残して役まで与えてくれました。
 
萩本さんの家の玄関に座り込んで弟子入りを志願したわけでもなく、偶然事務所に大将が所属していたのは、運が良かったからだと思います。皆さんは萩本さんのことをお笑いの人だと思うかもしれません。でも、あの人は浅草の舞台から始まった、舞台の人なんです。そこで学んだことをテレビの世界に活用したという意味では、テレビ業界を変えた人でもあります。
 
当時の萩本さんのマネージャーさんからは「お前らはこの世界でやっていくための帝王学を学んでいるんだと思え」と言われていましたね。コメディでないドラマや舞台の仕事でも、教わったことは何にでも応用できるんです。だから僕にとって萩本さんからの教えは、どんな仕事の鍵でも開けてしまう、マスターキーのようなものでしたね。