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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

陽の当たる道に至る成長秘話
おのれを育て上げる葛藤と素養とは

 
 
 
まさに電光石火の決断をした寺脇氏。今振り返っても、あの衝撃は忘れられないという。しかし、ロジカルに計算したわけではなく、直感的に、本能的に俳優を志したため、どういう思考フローでの決断か、説明は難しいのだとか。ただ、「自分の好きなことならば、とことん頑張れる」 という自信があったそうだ。
 
 

三宅裕司と劇団SETとの出会い

 
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 俳優になる前までは、アルバイトで様々な仕事を経験しましたが、正直言って、何をやっても楽しいとは思えなかったんです。今だから振り返られますが、劇団の中で必死に稽古したり、舞台に立ったりするのが本当に楽しくて。自分が一番楽しめる仕事こそが、自分に一番合った仕事になるんだろうなと、最近特によく思います。
 「俳優になる」 と決めたからには、どこかに所属しないことには始まりません。でもどうすればいいのか、その手段がまったくわからなかった。
 東京に出てきて、最初は四ツ谷にある大手芸能プロダクションの近辺をうろうろと歩いてみることにしました。何回も何回も往復しているんですけど、一度もスカウトされない(笑)。 「よし、四谷でダメならば次は原宿だ」 と、原宿の竹下通りを歩き回りますが、誰も声をかけてこない(笑)。 「どうしたんだ、みんな! スカウトしていいんだよ!」 と心の中で叫んでも、一向にスカウトは声をかけてくれません。
 しかし、いたずらに時間を浪費するわけにもいかないので、今度はどこかの劇団に所属しようと考えました。情報誌を見て、いろんな劇団の公演を見て回りました。その中で、劇団 「スーパー・エキセントリック・シアター」 (以降SET) に出逢いましてね。ここでまたしても体を電流が駆け抜けるわけです。三宅裕司さんと小倉久寛さんのやりとりを見て、声を出して大笑いしたんです。「俺、こんなに大笑いしているなんて、初めてだ。SETならば、本当に楽しい時間をお客さんに提供できるんだ」 と思って、すぐにオーディションを受けることにしました。
 
 
 
当時のSETは、主宰の三宅裕司氏の人気もあいまって、演劇界の中でもとりわけ人気が高い劇団。オーディションは40倍近い競争率だった。にも関わらず、寺脇氏は合格。劇団での日々は、思いがけぬ挫折を味わってしまうことになるが、めくるめく夢のような時間でもあった。
 
 

「えー、寺脇、熱気がない」

 
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 思い返すと、とても楽しい時間でしたよ。自分たちの中では下積みという感覚はなくて、貧乏でお金はなかったけれども、得体のしれない自信と夢を持っていた。未来は360度開けていて、その楽しい時間が永遠に続くと思い込んでいました。芝居の稽古もアクロバットの練習も、みんなでお酒を飲みながら演劇のことを語ったりするのも‥‥本当に楽しかった。
 そのぶん挫折に似たようなこともありましたね。当たり前と言えば当たり前なんですが、「俺は芝居が下手なんだな」 ということを思い知らされました(笑)。 忘れられないのが最初にもらった役です。仲間の兵士が倒れていて、その近くに棒が落ちているんです。状況証拠からすると、普通はその棒で仲間が殴られたと予測しますよね。でも、そこはコメディが売りのSET。必ず笑いが一つ入るんです。そこで僕のセリフ。「こいつは、この棒に躓いて転んだんだな」。もちろん、そんなことはないんですが、そのセリフを真面目な顔して熱気をもって言うからこそ、その間違いが面白く見えるというギャップの笑いです。
 今だから言えますが、当時はそのたった一言でずいぶん苦労させられました。三宅さんが、あの口調で言うわけです。「えー、寺脇、熱気がない」。僕としては、「ああ、熱気がなかったのか、わかったわかった」 と次の日、熱気を出したつもりでやってみる。でも、ダメ出しの際には 「えー、寺脇、熱気がない」。それが実に1週間続きましてね。さすがに同じことを言われ続けるのは落ち込むじゃないですか。
 考えてみると、自分の今までの人生の中で大声を出して叫んだりすることがなかったのに気付いた。「そうか、自分の中にないものだから出てなかったのかな」 と思い直してからは、必死に、声が枯れてもいいというぐらいに練習したんです。すると、やっと 「熱気がない」 とは言われなくなったんです。
 そこで気付きました。「あ、そうか。今まで低いところで満足していたんだ」。なんだかどこかでカッコつけている自分がいたんです。三宅さんはダイレクトに 「どうしたらいい」 とは言いませんでしたが、すごく大事なことを教えてもらったように思います。
 
 
 
寺脇氏は、劇団を通じて三宅氏から様々なことを教わった。その中でも、スタッフへの感謝と尊敬の気持ちについては、とりわけ熱心に教えられた。しかし、そんな中、寺脇氏の胸の中では、SETが人気劇団であるがゆえのひとつの葛藤が巡るようになっていく。
 
 

葛藤と「地球ゴージャス」の誕生

 
 劇団が大きくなり、人気が高まるにつれて、やむを得ない制約も出てきます。ファンがいるから年に何回の公演をこなさなくてはいけないとか、劇団員が30人いるから30人を出す芝居を作らなくてはいけないとかね。三宅さんは本当にやさしい方なので、劇団や劇団員のためを思って、そのような制約に挑んでくださっていたんです。
 でも、役者として僕の本音の奥底にはひとつの疑問がわいていました。舞台を作り上げてお客さんに見ていただくには、100%自分たちの思いや実力を出し切っていくべきだと考えていました。出し切った後に、拍手や感動があるべきで、それがすべてなのだと。だから、制約と演出がせめぎ合っている中で、本当におこがましいんですけども、演出に対して 「ん?」 という疑問が出てきたりもしていました。
 
 
 
 
 

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