テニスの女王がたどりついた境地
視野を広く持てば、遊戯三昧
日頃からチームスタッフやパートナーとの関係作りを大事にしている杉山氏。ダブルスの試合では、調子が悪くなると二人ともマイナスのスパイラルに落ち込んでしまうケースがありがちだが、彼女の場合はその関係作りが上手くいっていたせいか、そのようなケースがまずなかったという。これは稀有なことだ。
負けの法則から見る勝ちの法則
ペアが調子を下げていくとき、必ずといっていいほど陥る罠があるんです。声がなくなるんですよ。だんだんお互いに声のかけあいがなくなって、喋らなくなるんです。そうなると、ペアで試合しているというよりコートの中に二人の選手がいるというだけの状態になってしまうんですね。でも、私はポイントが終わったら必ずパートナーとハイタッチして声を掛け合っていくように意識していましたから、どちらかが少々調子がよくなくても、すぐに軌道修正することができました。1+1が2以上になるペアでいられたんですね。それだけでなく、ペアがまとまっていると、相手に緊張感を感じさせるプレーを楽に続けられるんです。そうすると、相手を飲み込む雰囲気も出てくる。
もちろんシングルスのときも、チームスタッフが声をかけてくれたりはしましたけど、同じコートに立つパートナーとのコミュニケーションの深さとか密度は、試合のレベルが高くなって気を遣う局面が多くなればなるほど、大きな心の支えになっていくのを感じました。だから今でも、人と関わる場にいるときは、まず空気感を大事にしようとしています。
もちろんシングルスのときも、チームスタッフが声をかけてくれたりはしましたけど、同じコートに立つパートナーとのコミュニケーションの深さとか密度は、試合のレベルが高くなって気を遣う局面が多くなればなるほど、大きな心の支えになっていくのを感じました。だから今でも、人と関わる場にいるときは、まず空気感を大事にしようとしています。
杉山氏は、25歳になったとき、思いがけないスランプに陥った。自分のテニスを完全に見失ってしまい、練習を重ねても自信を取り戻せない。勝利から遠ざかっている自分を省みて、引退を考えたほどだったという。そこで彼女を復活へと導いたのは、杉山愛を最もよく理解し、支えられる、ある人物だった。
どん底のスランプを経験して
当時、日本の女子テニスのトップだった伊達公子さんが引退されたんです。伊達さんが牽引してくれたおかげで、世界のトップ100の中に日本人の女子選手が10人くらいはいたんですよ。私もその中の一人でした。だけど、伊達さんが引退されてから、プレッシャーがのしかかってきたんです。「今、日本の女子テニスはとても盛り上がっている。この火を自分たちが消してはいけない」 と、そう思っちゃったんですね。変な背負い方をしてしまって、自分にできること以上のことをしようとしてしまったのだろうと思います。それが大スランプの始まりでした。
今から思うと、スランプ時代は悲惨でした。シングルスとダブルスはプレースタイルが違って、ダブルスのサーブアンドボレーというスタイルは、サーブを打ってすぐネットのほうに出ます。シングルスはサーブを打ってから、私の場合、基本的にはベースライン付近でストロークを重ねながら組み立てていくんですよ。だけど、すっかり自分を見失っていた私は 「あれ? ストロークってどうやるんだっけ?」 「フォアってどう打つんだっけ?」 と、本当に初歩的なイメージすら持てなくなってしまっていたんです。
今から思うと、スランプ時代は悲惨でした。シングルスとダブルスはプレースタイルが違って、ダブルスのサーブアンドボレーというスタイルは、サーブを打ってすぐネットのほうに出ます。シングルスはサーブを打ってから、私の場合、基本的にはベースライン付近でストロークを重ねながら組み立てていくんですよ。だけど、すっかり自分を見失っていた私は 「あれ? ストロークってどうやるんだっけ?」 「フォアってどう打つんだっけ?」 と、本当に初歩的なイメージすら持てなくなってしまっていたんです。
そんな状態でテニスを続ける意味があるのかと迷い続けていました。そのときに相談した相手が、当時コーディネーターをしていた母でした。「誰にも勝てる気がしないし、上手くなる気もしない。テニスを辞めたい」。すると母は開口一番、「ここで辞めたら、今後何をやっても上手くいかないわね」 と。要は中途半端なままで、まだやりきっていないじゃないかと。私に喝を入れてくれたんですね。
25歳にして母をコーチに迎え、新生・杉山愛が生まれた。杉山氏は、芙沙子氏のことを、母親ではなく一人のコーチとしてリスペクトしていたという。この二人三脚で、本当の意味でのプロプレーヤーになった気がすると杉山氏は振り返る。
辿りついた境地――遊戯三昧
それまでの私は結果重視で、結果が出ないと嘆き悲しんで空回りしている部分もあったんです。私が100%実力を出しても、相手が私の100%を上回ると結果は出ません。実力を出せた充実感なんて何の慰めにもならなくて、「勝ちたい」 と思って届かなかった歯がゆさだけを感じていました。
だけど、母とともに歩むことで、徐々に変化を感じていきました。自分の力を出し切れれば、負けることで、自分に何が足りなかったのかが見えてくると知ったんです。逆に言うと、「やりきった!」 と思えたとしても、そのときの自分が完ぺきだと思ってはいけない。母のコーチングは、そういった点で私に新しい視点を与えてくれました。
ピンチをピンチと感じられるからこそ、上がっていくためのチャンスを見つける嗅覚が身に付きます。ずっと調子がいいままだったり、勝ってばかりだと、チャンスをチャンスととらえられないままなんじゃないかって、私はそう思うんですね。
ビジネスも同じじゃないでしょうか。成績も気持ちも、落ち込むときがあっていい。だけど、そこで大事なのは周囲の支えに気付けるかどうか。いろんなアドバイスをもらっても、手を差し伸べてもらっても、自分がチャンスに気付かないと、活かせないでしょう。
私が好きな言葉に 「遊戯三昧」 という言葉があります。どんなことでも楽しむ気持ちを持つことが大事であるという、仏教の言葉ですね。好きなことの中にだって、楽しいこともあれば辛いこともある。辛いほうを避けて楽しいほうばかりに行くのはとても楽ですよね。だけど、「好きなことは丸ごと楽しもう!」 と視点を変えると、辛くて苦しいことが紛れ込んでも、「こうしたらもっと楽しめるんじゃないか?」 と発想の転換ができるようになるんです。
避けていたことを避けなくなれば、そのぶん視野が広がりますよね。視野が広がると、本当は何がもっと大事なのかが見えてきます。挑戦欲や負けず嫌いな気持ちもプレーヤーにとって大事な要素ですが、それ以上に、視野を広く持って自分をどんな人が支えてくれているのかをきちんと知ることが重要だと思います。振り返ると、私にとって 「乗り越える力」 というのは、私を支えてくれた周囲と、それに気付いて認めることができた心の在り方だったと思います。
(インタビュー・文 新田哲嗣 / 写真 Nori)