挑戦するから仕事はおもしろい
世界が驚嘆した金型技術の秘密
岡野氏の自信は、かつて若いころに作った小さな鈴に裏打ちされていた。一枚の金板をプレスで切り抜き、慎重に曲げて鈴にする。溶接は一切使わない。失敗に失敗を重ねて金型を完成させるだけで1年かかった。いまだに岡野氏の他にできる人が誰もいない技術である。
この経験が記憶から掘り起こされ、「この針も同じ要領で作れるんじゃないか?」 と考えたのだ。それからは研究に継ぐ研究を経て、ついに2005年の7月、テルモが 「ナノパス33」 を販売開始するにいたった。先に出た大学病院と町医者の喩えのとおり、町医者ならぬ “町工場” が、多くの糖尿病患者の人々を痛みから解放したのである。現在、「ナノパス33」 の生産累計はなんと5億本以上。さらに重要度が高まっている。
「だから、できないってハナから決めつけちゃダメなんだよ。挑戦しなくちゃな」。
義理と人情が商売を支える
「でも仕事をする上で、挑戦だけを大事にするんじゃない。他にも大事なものがいっぱいある。それは義理と人情ってやつだよ。いいかい、あんたらもよく覚えておいてほしいんだが、義理ってのは大事にしなくちゃいけないよ」
岡野氏が義理の重要さを説くには理由があった。「ナノパス33」 を開発する以前の話だ。
1981年に登場したソニー製ウォークマン。そのガム型電池の製造を、あるバッテリー会社が請け負っていた。しかし、その会社はことケースの製造に関しては技術が十分ではなく、1000個に1つの割合で液漏れが起きるのが問題になっていた。何とかならないか・・・ 悩むバッテリー会社に、岡野氏の実力を知っていたソニーの担当者が岡野工業を紹介した。ケースの製造を任せてはどうかというのである。こうして、発注主が請け負い主に孫請け先を紹介するという珍しい関係が成立した。
岡野工業は、町工場にしては破格ともいえる大口仕事を手掛けることになった。ここで専門の会社を立てて本格的に下請け事業を始めようと考えるのが、世の多くの経営者の発想だろう。だが、岡野氏の発想は違った。――ウォークマンが市場に広がっていく間は注文が安定するだろう。しかし、製品が市場に出回りきったら、注文は下降線をたどるいっぽうになる。もちろん同種の製品も次々と開発されるはずだ。さて、どうするか――。
岡野氏は、一定の時間が過ぎた頃、友人の工場に下請けを依頼した。岡野氏がその業者にいくらで受けるか聞くと、友人は 「20円で受ける」 と言う。岡野氏は 「それじゃうちが儲けすぎになっちゃうから、22円は出すよ」 と上乗せをした。当然、その人情に感謝した業者は 「寝ずに頑張ります」 と意気込んだ。
「こんな会社、ないと思わないか? あっちが20円でやるって言うのに、わざわざ一割も上乗せして自分のところの利益を薄くしなくたって良さそうなもんだ。だけど、商売って、そうじゃないだろ? 売上があがりゃいいってもんじゃないんだ。義理とか人情とか、そういうもんを忘れちゃいけないんだよな」
だが、人間は変わっていくもので、岡野氏とその業者のつながりを引き裂こうとする動きが現れ始めた。業者はその動きに乗ってしまい、バッテリー会社と直接取引を始めた。しかも、受注を失いたくないがために22円より安く見積もりを出し、岡野工業を通していたときよりも少ない実入りで手掛けることになってしまった。
「損して得とれじゃないけどさ、そこで俺を通せば安くはならずに済んだんだよ。俺はさ、今までこっちからいくらでやれなんて言ったことは一度もないんだ。相手がやれる値段を言ってきて、高かったら他へ回すけど、そうじゃなけりゃそこへ出す。でも、どっちにしたって俺を間に入れておけば、うちから出していたころの金額より下がるなんてことはなかったはずだ。義理より欲に走っちまった結果ってやつだね」
ブランド力を磨け
岡野氏の考え方としては、そこにブランドというものが大きく関わっている。
「お歳暮だってそうだろ? 三越だ高島屋だというような、老舗の百貨店の包みで来たら 『おっ、そんだけうちを大事に思ってくれてるんだな』 って思うだろうよ。だけど、そこらの安売りの店の包装紙だったらどう思うよ? ブランドってのはさ、それがあるとないのとじゃ大違いで、技術力でつかんだブランド力があるから、電池ケースだってうちに話が回ってきたんだ。それがなかったり、あると勘違いして直接やったってダメだよ。相手だって海千山千なんだから」
岡野氏が言うには、誰しもにキーマンが必ずおり、そのキーマンを通して商売をしたほうが成功しやすい。大きな取引先と組むには自分のブランド力への自負を持っていなければ対等な仕事はできず、それを持つ人を飛ばすことは得てして損をしやすいという。