アルミに宿る職人の誇り
世界が注目するフルハンドメイド
売り方をわからないままスタート
そもそもエアロコンセプトが誕生したのは、ビジネスありきの話ではない。菅野自身が 「使いたいもの」 として形になって生まれたものだ。
菅野が最初に作った製品は図面入れだった。下請けで手掛けていた航空機の構造体をヒントに、より軽くより丈夫な図面入れがほしいと思っていた菅野が、構造体に使われるジュラルミンの素材感や質感をそのまま生かして作ったのが始まりだった。当然、結果としては斬新なフォルムに落ち着いたのだが、「デザインなんて僕にはわからないんですよ。だから、狙ったわけじゃないんだ」 とアッサリ。
だが、狙っていようといまいと、市場がそこに新鮮さを感じたのは事実だ。当然だろう。「穴があいているカバン」 なんて普通の概念では作れない。だが、菅野は、軽量化を促進するために穴だらけの部品を毎日作っており、単純にそれを使ったら穴だらけの図面入れができるのは当然だと、形にしてしまったわけだ。それが口コミに乗って、「航空機の技術を使ったカバンがある?」 などと話題になった。
この航空機の構造体の下請けが、後にエアロコンセプト誕生につながるとは、このときの菅野は思ってもみなかった。
渓水は、菅野社長で三代目となる、いわば板金屋である。祖父の代に立ち上げ、二代目で法人化し、大手の顧客先の仕事をするなど、小さいながらも職人たちの集う城を築き上げてきた。だが、当代になってからバブル崩壊に直面し会社は倒産。
「あのときは死のうと思ってました。かなりの借金あったからね」
菅野社長にとって借金の額は関係がなかった。取引先に迷惑をかけ、古い付き合いの職人の食い扶持をなくしてしまう・・・・・・。そこを救ったのが、航空機部品の発注元だった。
航空機の技術を使ったモノづくりが基本
渓水が航空機関連の仕事で得ていた売上は、バブル崩壊前は全体の売上のうち、ごく少数の比率しか占めていなかった。だが、この航空機関連の取引先が、菅野に蜘蛛の糸を垂らすことになる。
「僕が、『倒産したから取引を辞める』 と伝えると、『なんとかして続けていけ』 って必死で止めてくれたんですよ」
渓水は、アルミの加工に関しては高い技術を持っていた。その技術をなくすにはもったいないと考えてくれ、 「今までよりも、お前のところにどんどん発注を出すから」 と支えてくれたという。初代、二代目時代に世話になったという取引先からも会社継続を嘆願され、むしろ倒産前よりも多くの仕事が舞い込んできた。カンダタと違って、菅野に垂らされた蜘蛛の糸は、太く、頼もしい限りの強さを持っていた。
菅野は決意する。「ずっと下請けで板金やってきたんだけど、会社なんていつどうなるかわからない。だったら、死ぬまでに自分が作ってみたいと思うものを作ってやろう」。
中小企業が独自に商品を開発したところで、大手の資本力に飲み込まれ、類似商品に追撃されるのは目に見えている。「勝てば官軍」 が当たり前のようになっている市場原理では、単にユーザーニーズを見つめるだけでは、何を開発しようとも夢幻で終わってしまう。
だから自分たちがやりたいことをやった。菅野のこだわりはそこにあった。カバンでもいいし、メガネケースでもいい。 “航空機の概念” を活かして好きなモノを作りたい。こうしてエアロコンセプトが誕生したのだ。