現代を生き抜くための
ワンポイント社会学
・・・・・・それは男女の関係でも、学生の就活でも同じですか?
娯楽性と表現性がなければ、パートナーをゲットすることも難しいし、会社をゲットすることも難しい。多くの人は、一生懸命「自分はこういう人間だ」と主張するんですが、僕は「その前に楽しませろよ」と思うんですよ。
いまは流動性の高い時代です。会社にせよ異性にせよ、いろんな相手を見てきているので、凡庸な人にはうんざりしています。楽しいだけの人もどこにだっているし、言いたいことは分かるけどつまらない人もどこにだっています。
社会学では、異質な相手の目線からどう見えるかを理解できることを「他者性がある」と言いますが、どうも最近の若い人は「他者性の不在」という問題を抱えているようです。つまり、異質な他者の視線に敏感じゃないんです。
学生のインターンシップの受け入れ先の企業でも、同じことを言われます。「性格は悪くないんだけれど、職場で互いが何を期待しながら動いているのかが察知できず突っ立ったままという学生が増えている」と言うんです。
例えば、学生は自分目線で適職幻想にかまけていますが、企業目線が求めるのは「何でもできる人」なんです。例えば、今日は自動車会社でも明日は金融会社になっているかもしれないほど未来が不透明なのが、昨今なんですよ。
だから、「今の会社にはぴったりの人材」というだけじゃダメで、「何にでも適応して力を発揮できる人材」こそが重要です。「適応という事実」よりも「将来への適応力」が求められているんです。
その意味で「自分はこんな仕事だけが向いています」とほざくのは問題です。現に「希望は一応ありますが、それはそれとして自分は何でもやるし、その実績もあります」という具合に活動する学生は、10数社も内定をとっています。
面接官が何を言うかに関係なく、こういう時代には一般に企業目線から何がどう見えているのかを想像できるという「他者性」の問題こそが重要なんです。そのあたりの感性が乏しくなっています。
・・・・・・では、どういったことに目を向けていけばいいんですか?
「おかしい奴がいるな」とか「これはおかしい現象だな」と思うことがあったら、原理や摂理といった「そう簡単に変わらない抽象的なもの」を参照しながら、それに照らし合わせて、「変わりやすい現実」を評価していくことです。
「〈世界〉はそもそもデタラメ」なんですから、ベタな現実に右往左往するのも仕方ないとは思いますが、動くものよりは動かないもの、変わるものよりは変わらないものに、目を向けなければなりません。
僕たちは豊かな社会を生きてきたので、チャラチャラしたものには心を動かされなくなってくる一方、目に見えるものへの恐怖よりも目に見えないものへの不安が増してきたので、右往左往しないことの価値が上がってきました。
そこで推奨される生き方について、僕は「クリント・イーストウッドの『許されざる者』以降の作品を観ろ」と学生に言っています。何もかも経験したうえで「所詮世の中そんなもの」と言いつつ、「どんどん前に進む」生き方です。
・・・・・・何か具体的な訓練の方法ってありますか?
僕は気に入った学生がいると、ナンパを仕込むようにしています。僕はこれを「ナンパ修行」と呼んでいます(笑)。ナンパの方法は、自分自身のタイプによって取るべき選択肢が違いますが、本質的なポイントは二つだけです。
相手にとっての日常の延長線上に自分をなだらかに位置づけるという「無害さを装う力」と、ある時点からこの人は(いい意味で)普通の人とはちょっと違うと思わせる「違いを印象づける力」です。必ず両方が必要になります。
「無害さを装う」やり方も「違いを印象づける」やり方も人それぞれですが、この二つを時間的に組み合わせる必要があることは誰にでもあてはまります。それには相手から自分がどう見えているのかという「他者性」が重要です。
二枚目には二枚目のやり方があり、二枚目じゃない人には二枚目じゃない人のやり方があります。二枚目じゃないことは少しもハンディキャップになりません。アイドルの「出待ち」で行列ができるかどうかとは、関係ないんですね。
加えて、「違いを印象づけるやり方」には小手先のものと本質的なものとがあります。小手先のものは単なる「ナンパ術」ですが、本質的なものは真に「ひとかどの人」になること。そうすれば技術に関係なく、歩留まりが上がります。
それなりに「ひとかどの人」になれれば、そのあとは単に相手の日常の延長線上に自然に位置づくように配慮すればいいだけ。こうしたことが分かるようになるだけで、ナンパ術は、営業術にも外交術にも応用できるようになります。
そこには「自分自身を分かってもらおう」とせせこましく振る舞う余地などありません。「ひとかどの人」が「自然に見えるように」振る舞えばいいだけです。これを古くから「能ある鷹は爪を隠す」と言います。
僕自身について言うと、僕は仕事上のイメージが極めてアグレッシブなので、逆にプライベートでは完全にアグレッシブさを控えます。そうすると、さきほどの二つの要素「無害さ」と「違い」とを同時に印象づけられるわけですね。
アメリカで開発されたアウェアネス・トレーニング(自己啓発)のいろんな手法が、会社の研修などに応用されていますが、僕はほとんど全ての手法の訓練を受けてきています。僕から見ると、その本質はたった二つです。
一つは、自分自身を規定している文脈(心理的枠組や社会的枠組)を、自ら停止したり変えたりできるようにすること。わかりやすく言えば、自分自身の潜在意識の観察と操縦です。
もう一つは、他者の言うことにベタに反応せず、他者の行為を規定している文脈(心理的枠組や社会的枠組)だけに反応してこの文脈の操縦に力を集中できるようにすること。いわば、他者の側の潜在意識の観察と操縦です。
この二つを実行するのに有効な実践法は、自己防衛の前線をできるだけ手前側に引くこと。最低限の防衛線が侵されない限りは、余計な防衛をせずに全て譲るようにするのです。そうすれば、自己観察と他者観察の余裕が得られます。
(インタビュー・文 樋田篤子 / 写真 大木真明)
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