(プロフィール) 1959年3月3日、宮城県仙台市生まれ。私立の名門、麻布中・高校卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。大学院在学中からサブカルライターとして活躍し、女子高生のブルセラや援助交際の実態を取り上げ、90年代に入るとメディアにもたびたび登場、行動する論客として脚光を浴びた。その後は国内の新聞雑誌やテレビに接触せず、インターネット動画番組「マル激トーク・オン・デマンド」や個人ブログ「ミヤダイ・ドットコム」など自らの媒体を通じて社会に発信を続ける。著書は『日本の難点』(幻冬舎新書)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『〈世界〉はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)など多数ある。
――現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学者としての鋭い視点で切り取る連続インタビュー「今“カッコイイ”ビジネスパーソンとは」を、9月からB-plus誌上でスタートさせる宮台真司さん。その連載を前に、宮台真司とは何者なのか?〈ソーシャルデザイナー ミヤダイ〉の考え方を理解するためのファンダメンタルの知識はどのようなものか? というテーマで聞いた。
「社会学」とは何だろう?
・・・・・・社会学とは、どんな学問でしょう。
社会学の対象になる概念は日常語で表せます。社会、男女、国家などです。その限りであらゆるものが対象です。「国家とはどんなものか」「『皆』とはどういう概念か」「皆で決めたことは正しいか」といった疑問を追究します。
疑問自体は普段から多くの人が感じるもので、そんなに難しくはありません。でも、「入口」が簡単なのに比べ、「出口」はかなり複雑です。社会学を学んだことのない人が初めて触れれば、難しいと感じる学問かもしれません。
例えば「皆で決めたことは本当に正しいのか」「皆で決めたことが必ずしも正しくないとすればなぜ従うのか」という疑問を論じて、自分で納得できる答えを導き出すだけでも、かなりの知識と思考の力が必要です。
僕は『14歳からの社会学』や『日本の難点』で、「できるだけ平明に書くことで最後に残る難しさを示す方法」を使っています。難しさを失わないまま易しくしようとしたんです。難しいところこそが、実は問題の本質なんですね。
読んでもらった人に「すごく分かりやすかった」と言われると心外な気持ちになるし、「すごく難しかった」と言われても心外な気持ちになります。「難しかったけど、なんとか分かりました」と言われると、僕としては嬉しいです。
僕の話を横に置くと、大学の一般教養で習うような社会学は、何度も使い古した紋切り型の議論を教えるので、どんなに噛み砕いても残る知的な難しさが失われ、興味が起きないか、難しいだけで退屈だと感じさせてしまいがちです。
でも、適切な先生から社会学を教わってから自分であれこれ考えてみると、まったく違いますよ。実は皆さんが普段から感じている疑問の解明に通じるものなので、とてもおもしろい学問だと思うようになるでしょう。
・・・・・・最初から社会学を専攻して学者になりたかった?
いえいえ、まったく偶発的です。僕は映像作家になりたくて、70年代の半ばに大学に入学するとき、高名な映像作家やプロデューサーはどこの出身が多いのかを調べたんです。そうしたら東大の社会学科の出身が多かったんですね。
「それだったら、東大の社会学に行くか」といった動機だったので、社会学という学問に対する興味はほとんどなかったと言ってもいい。ただし、僕は中学高校の時分から、哲学や思想の本を読むのが好きだったというのがあります。
それもあって、実際に学ぶといろんな疑問がふつふつ湧いてきました。挙げ句は「それなら自分でやったほうが早いな」という気持ちになりました。たまたま諸事情で就職活動ができなかったのもあって、結局は大学院にいきました。
60年代は映像表現の主役が映画からテレビへと転換し、70年代は完全にテレビの時代になります。作り手の関心も記録映画やドキュメンタリーからテレビドラマへと移行し、ドキュメンタリーは時代おくれという風潮になりました。
僕は中高時代から、アントニオ・グラムシという思想家の「ヘゲモニー論」と呼ばれる議論に感染して、「メディアを通じて世直しをしたい」と考えてきました。だから、「僕は初心を捨てることになるのかな」と躊躇はしました。
でも、中・高校時代にグラムシを含めたマルクス主義の文献を読んで、世直しに関連する思想に興味を持ってきたことがありますので、社会学をそうした方向から考え直せば、初心を貫徹できるかもしれないと思い直しました。
いまの若者には想像もつかないでしょうが、僕らの同世代は、大学紛争や中学高校紛争の直後に中学に進学して、社会について概念的に考える訓練をしていたんですね。その意味で、僕のコースも結局は自然な流れだったのでしょう。