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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

スポーツ事業を通じて さまざまな喜びを提供
Rita Lycka株式会社 代表取締役 阿部光平

※営業目的のお電話は固くお断りいたします。
 
プロフィール 埼玉県出身。アスリートの多い家系に生まれ、幼少期からスポーツに親しむ。学生時代にはスポーツでの成功を期待されるプレッシャーと闘いながら挫折も成功も経験。仲間と切磋琢磨を重ねて成長することの大切さなどを学ぶ。大学卒業後、独立を目指してスポーツクラブに入社し、責任者になるなどの成果をあげた後、営業職へ転職。さまざまな経験を経て、2021年にRita Lycka(株)を創業した。
 
 
 
スポーツイベント関連事業や、スポーツを通じてさまざまな人へ成長の機会を提供しているRita Lycka(リタリュッカ)株式会社。代表取締役の阿部光平氏はアスリートの多い家系に生まれ、自身もスポーツに取り組みながら育った。その中で、目標達成のプレッシャーに向き合いながらも努力し成長を続けてきた人物だ。一時はスポーツと距離を置き、自分自身を見つめ直す時間を必要としたが、後に原点回帰。スポーツを人生の一部として関わり続けてきた阿部社長の苦悩や葛藤、創業の経緯、事業に対する思いなどをうかがった。
 
 
 

サッカーに打ち込みプロを夢見た幼少期

 
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インタビュアー 水野裕子(タレント)
水野 東京都墨田区にあるRita Lycka株式会社さんにお邪魔しています。阿部社長は、アスリート家系のご出身だそうですね。
 
阿部 はい。実業団に所属する選手を何人も輩出した家系に生まれたので、当たり前のように私も幼少期からスポーツを始めたんです。小学生の頃はサッカーに打ち込んで地域の大会で優勝したり、プロを夢見てクラブチームに入ったりしました。しかし、自分よりもうまい子がたくさんいるという現実を知り、中学でサッカーの道を諦めることになったんです。
 
水野 中学生でそういう体験をするのは辛かったと思います。でも、それだけ一生懸命やったからこそ気付けた現実だったんでしょうね。
 
阿部 そうかもしれませんね。それで中学からは、卓球に競技を変えて頑張りました。中学時代は県大会に出場するレベルで終わってしまったので、高校では関東大会出場を果たすべく強豪校に入学しました。そして3年生で部長となり、チームをまとめて関東大会出場の目標を達成できたんです。あのときの達成感や喜びは非常に大きなものでした。でも、そこで燃え尽きてしまったんですよ。