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大病や両親の介護で続いた波乱万丈の人生
草野 芦屋市で生まれ育った私は、学生時代はテニスに打ち込んできましてね。テニスの強豪でもある関西学院高等部に進学し、練習に明け暮れていました。ところが、高校1年の夏休みが終わる頃、B型肝炎に感染してしまったんです。練習ができなくなった私は、テニス部を辞めることになりました。
濱中 そうだったのですね・・・。学業や日常生活にも支障をきたすほどの病状だったのでしょうか。
草野 ええ。体育の授業に出ることができなくなり、普段の生活も思うようにいかない日々が続きました。一時は「将来、仕事に就くのも難しい」と言われたんですよ。それでも、高校2年生になると症状が落ち着くようになりましてね。担任の先生も親身に相談に乗ってくださりました。数字が好きだったこともあって、その強みを生かした技能を身に付けようと決意したんです。そして、関西学院大学社会学部に進み、テニス同好会・テニススクールのコーチや学習塾の講師をしながら簿記学校に通いました。