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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

食品輸送界の風雲児が トラック一台で夢を掴む
川島運送株式会社 代表取締役 川島寛也

 
プロフィール 京都府出身。やりたいことを模索しながら、土木工事などの現場で日雇いとして働く。24歳のときに運送業界に入る。働いた分だけ報酬があることにやりがいを感じ、2年の経験を経て独立を決意し、勤めていた会社からトラックを購入。川島運送を創業した。2019年にさらなる飛躍を目指し法人化。社員が働きやすい環境づくりに力を入れている。【ホームページ
 
 
 
食品輸送を中心に破竹の勢いで事業を拡大する運送会社。それが京都府京田辺市の川島運送株式会社だ。川島寛也代表取締役は、土木工事の日雇い労働から運送業界に飛び込み、2年後には200万円の資金を元手に独立。瞬く間に大手企業との取り引きを成功させ、業界の風雲児として驚異的な躍進を続けている。誰よりも腰を低くしてスタッフの和を大事にする、川島社長の成長物語と経営哲学をじっくりとお聞きした。
 
 
 

日雇い労働者からトラックドライバーに転身

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 京都府京田辺市に本社を構え、木津川市、綴喜郡井手町にも営業所を開設し、ますます躍進する川島運送株式会社さんにお邪魔しています。川島社長は、本日の対談をとても楽しみにしてくださっていたとお聞きしました。
 
川島 私はボクシングの経験者でして・・・というのは冗談ですが(笑)、もともとボクシングが大好きで、畑山さんの大ファンなのは本当です! なので今日は、畑山さんにお会いできて本当に嬉しいです! 私にとっては絶対に忘れられない、今年最大のものすごい一日になりました!
 
畑山 それは嬉しいなぁ! 私のほうこそ、日の出の勢いの川島社長にお目にかかれて光栄ですよ。さっそく、川島社長の歩みをお聞かせいただけますか。
 
川島 はい。私は、24歳まで土木工事の日雇い労働で生計を立てていました。自分が何をしたいのかわからず、やりたいことも見つからず、フラフラした生き方をしていたんです。それでも一念発起してハローワークへ行きまして。もともと人に指図されるのが大嫌いな性格だった私は、トラックの運転手なら一人で気楽に仕事ができると考えて運送会社に入社しました。この世界を選んだきっかけは、そういう安易なものだったんですよ。
 
畑山 でも、そうして入った業界で自分の城を構えるまでに成長するのだから人生はわかりませんね。ぜひ、川島社長の変貌ぶりをお聞かせください。
 
川島 その会社で、私は1日20時間近くトラックに乗って走り回りました。すると最初の月の給料がいきなり40万円を超えたんですよ。当時、すでに私は結婚し妻と3人の子どもを養う立場でして。仕事は大変だったものの、何よりもお金が必要でしたし、想像以上の給料を手にすることができて大きなやりがいを感じました。