僕がセコンドとして「スパゴ」本店に入ったのは2005年頃。ヨーロッパと日本のレストランでしか働いたことがなかった僕は、アメリカで働く感覚の違いにかなり戸惑いました。というのも、当時はヨーロッパも日本も、料理の世界は職人的な縦社会で、サービス残業、手当てのつかない低賃金も当たり前という風潮でした。いっぽうのアメリカは時間や賃金など労働に関する法律も厳しく、働いている人たちはハラスメントや差別などにもすごく敏感。でもそれは、多様な人材がいる環境で秩序を保つために、みんなが意識しているからこそなんですよね。
そんな中で、僕は当初、スタッフの失敗ばかりポイントアウトしていたし、声のかけ方も厳しかったから、離れていったスタッフもいました。ただ、この苦い経験は「スタッフたちに100%以上の仕事をしてもらうには、このやり方じゃダメだ」と、考え方などを調整する機会にもなったんです。スタッフとコミュニケーションをとっていくうちに、宗教の軋轢や民族の歴史、文化など、彼らのバックグラウンドを肌で感じるようになり、自分が無知だったと気付かされました。例えば、店ではトルコ人もアルメニア人も一緒に働いているけど、トルコとアルメニアの民族浄化の歴史も知らなかった。今考えると、みんなを引っ張っていく責任者として、何も知らないのは怖いことでした。
アメリカは移民の国だから、「隣人同士、それぞれのおじいちゃんが実は民族浄化の加害者と被害者だった」なんてこともあり得るわけです。だから、みんな本当は腹の中にいろいろ抱えていて、根本的にわかりあえない部分もあるはず。でも、それを理解したうえで、うまくやっていくことを考える土壌がある。これって、異なる価値観や文化などを持つ人たちが一緒に働くうえで、すごく大切ですよね。特に、チームを束ねるリーダーは、スタッフそれぞれに違ったバックグラウンドがあり、様々な思いを抱えているんだと理解しているだけでも、スタッフとの信頼関係は全く違うんじゃないかな。単純に、上司が自分に興味を持ってくれることも、嬉しいでしょうし。
幸い、僕たちはお客様へのホスピタリティや料理技術の向上といった、分かち合えるものも多い。そこでさらに、より強いチームになるために、みんなで一緒に頑張らないと越えられないような壁や目標をつくって、スタッフのモチベーションを上げるのが、今の僕の大事な仕事の1つです。もちろん、そのためには、僕が、料理の腕をはじめ日本人ならではのアイデアで、みんなをリードし続けることが大前提ですけどね。
vol.2 多様なバックグラウンドを理解する重要性
著者プロフィール
矢作 哲郎 Tetsu Yahagi
「スパゴ」ビバリーヒルズ本店総料理長
経 歴
父の仕事の関係から中学・高校時代をアメリカで過ごす。書店で偶然手にした、カリフォルニア料理の草分けであるシェフ、ウルフギャング・パック氏の料理本に魅せられた。高校卒業後、帰国前にパック氏のレストラン「スパゴ」に足を運び、料理の道へ進むことを決意。辻調理士専門学校でフレンチを学び、フランス、日本で経験を積む。その後、日本にオープンしたパック氏の系列店で腕を振るった後、「スパゴ」本店へ。現在、総料理長として店を切り盛りしている。
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