大黒将志選手の通訳に
前回はイタリアのスポーツマネジメント会社compactに入社して、商談通訳の仕事など後に役立つようになる様々な経験を積んだお話をしました。
その後も僕は、2006年のドイツワールドカップから2010年の南アフリカワールドカップまでの間、輸出の仕事の他、サッカー関係の業務などをこなしていました。2006年にセリエAのトリノFCに移籍してきた大黒将志選手の通訳の仕事も、その一つです。
大黒選手の通訳として憧れだったセリエAの舞台を経験
大黒選手と僕は歳が同じなので、初対面からすぐに仲良くなりました。また、彼が移籍してきて一週間くらいで、クラブ事情によりザッケローニさんが監督に就任することになったのです。それが僕の、ザッケローニさんとの初めての出会いでした。
ザッケローニさんの第一印象は「誰に対しても配慮を欠かさない、とても紳士的な方」というものでした。大黒選手との接し方を見てもそれはよくわかりました。全体練習の時は僕が監督の言葉を大黒選手に伝えます。説明に時間をかけすぎると練習の流れから取り残されてしまう恐れがある。とは言え、短い時間で全てを伝えきるのはなかなか難しいものでした。
するとザッケローニさんは練習後に大黒選手を呼んで、ホワイトボードを使ってきちんと練習内容を説明し直してくれるのです。どこまでも目の行き届いた、配慮あるチームマネジメントをする方だと思いました。
大黒選手の通訳を務めたのは半年くらいです。ただ、生活面の支援はその後もしましたし、かなり打ち解けた関係になれたこともあって、彼とは今でも付き合いがあります。だから、彼が試合でゴールを決めると自分のことのように嬉しいです。
日本人指導者らの通訳を務める
その後も、いろいろなサッカー関連の業務に携わりました。例えば、JリーグのOBの方がセリエAを視察に来た時は、僕が通訳兼案内人として同行させていただきました。日本サッカー協会のS級監督ライセンスを取るには、海外クラブを視察してレポートを提出する必要があります。そのためにイタリアに来るOBの方々がいるのです。
他にも、すでにS級ライセンスを持っている方のお供をすることもありました。現在、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督である関塚隆さんや四国サッカーリーグ・FC今治のオーナーで元日本代表監督の岡田武史さんを案内したこともあります。
岡田さんを案内したのは2010年の4月、南アフリカワールドカップの開幕前でした。当時代表監督だった岡田さんは情報交換のために各国の有名な監督さんに会うことを兼ねたヨーロッパ視察をしていて、イタリア滞在中の案内役を僕が務めたのです。その仕事には後につながるちょっとしたエピソードがあるのですが、その話題は少し後にします。
当時の僕はすでに結婚もしていて子どもがいましたし、仕事にも慣れてきていたので、イタリアで今の仕事をずっと続けるのだろうと漠然と思っていました。ただ、2006年のワールドカップはドイツで日本代表の試合を観戦していましたし、どこかで「代表チームの仕事に関わりたいな」という思いは、心のどこかに持ち続けていたのです。
ザッケローニさんは常に紳士的で配慮のある人
いっぽうのザッケローニさんは、トリノFCの監督を務めた3年後の2009年~2010年のシーズン途中から、ユベントスの監督に就任します。僕も仕事の関係でユベントスのクラブハウスに出入りすることがありましたので、様々なクラブ関係者の方々とお話をする機会がありました。その時に印象に残ったのは、ザッケローニさんに対して悪く言う方が一人もいなかったことです。
「本当にすごい人」だと思います。お付き合いが深まった今では気心が知れているので冗談を言い合うこともありますが、僕のザッケローニさんに対する印象は初めて出会った当時から全く変わることがありません。常に紳士的で、細かい配慮のある方です。
本人から直接、通訳の打診が!
その後、2010年の南アフリカワールドカップが終了し、ザッケローニさんが日本代表監督に就任することになります。最初、会社の上司から「ザッケローニ氏の就任が決まり、通訳を探している」という話を聞かされました。その時は反射的に、「僕がやりたいです!」と声に出していました。そしてその後、なんとザッケローニさん本人から直接僕に意志確認の連絡があり、通訳を務めることが決まるのです。
候補は他にもいたのに、どうしてザッケローニさんは僕を選んでくれたのでしょうか。直接確かめたことはないのですが、僕なりに思うところがあります。大黒選手の通訳を務めた後も、ザッケローニさんとはユベントスのクラブハウスで顔を会わせる機会が何度かあったのです。すれ違う程度の時間ではありましたけど、そういう時は「トリノではお世話になりました」などと、欠かさず挨拶をしていたのです。
そこで先ほどの、岡田さんを案内した話に戻ります。岡田さんがイタリア滞在中、たまたまオフができた日がありました。それで、「もしよろしければ、ザッケローニさんをご紹介できるかもしれないので、ユベントスに行きませんか」とお誘いしたのです。確認のためにユベントスに連絡すると、ザッケローニさんは快く面会の時間をつくってくださいました。
ザッケローニさんは、トリノ時代に大黒選手の通訳で、ユベントスに移った後も挨拶程度は交わしていた僕のことを、きちんと覚えていてくれたのだと思います。そして、決して多くはなかったその関わりを通じて、僕の性格やどんな仕事をする人間なのかを観察していた。それを踏まえて評価したうえで、僕を選んでくれたのではないかと思います。
チームのためなら何でもしてみせる!
それにしても人の縁というのは本当に不思議で、おもしろいです。なぜなら、当初予定になかったその会談の3ヶ月後、岡田さんの後を継いでザッケローニさんが代表監督となり、岡田さんから日本代表のチーム事情をヒアリングすることになるのですから。
僕自身もイタリアに渡って以来、様々な人とのご縁が積み重なった結果、代表スタッフになれた。子どもの頃から夢見ていた代表チームの一員として仕事ができる――。僕にとってその先の出来事は、これまでの人生の中で最も重大な経験になるであろうことは間違いありませんでした。あの時は本当に嬉しかったですし、武者震いをしながらも、「チームのためだったら、なんでもやってみせる!」と決意していました。
いよいよ次回から、代表通訳時代のお話です!
矢野大輔の 夢と情熱!~ il sogno e la passione! ~
vol.3 様々な縁が重なり、代表通訳に!
著者プロフィール
矢野 大輔 Daisuke Yano
元サッカー日本代表通訳/compact 所属(イタリアのスポーツマネジメント会社)
経 歴
1980年7月19日東京都生まれ。イタリアのサッカーリーグ、セリエAでプロサッカー選手になるという夢を抱き、15歳でイタリ
アに渡る。異国の地で様々な苦難を乗り越えながら、サッカー漬けの青春を送った。22歳でプロサッカー選手の夢は断念したが、知人の勧めで
トリノのスポーツマネジメント会社compactに就職。日本とイタリアの企業を仲介する商談通訳などに従事する。2006年にトリノに移籍してきた
大黒将志選手の専属通訳に。そして2010年、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏が日本代表監督に就任したことに伴い、チームの通訳に
抜擢される。ブラジルワールドカップまでの4年間、監督と選手が意思疎通を円滑に進めるための重要な役割を担い、監督のみならず選手からも
信頼を得る。2014年、ザッケローニ監督の退任と同時にチームを離れ、現在は執筆、講演、メディア出演などを通じて、日本代表時代の経験や
自身の思いを伝える活動に取り組んでいる。著書に『通訳日記』(文芸春秋)、『部下にはレアルに行けると説け!!』(双葉社)がある。
オフィシ
ャルホームページ
http://daisukeyano.com
ブログ
http://ameblo.jp/daisuke-yanoblog
(2015.3.11)