compactに入社
こんにちは! 前回は「イタリアでプロサッカー選手になるのは難しいかもしれない」と感じ始めた、21歳くらいの頃までのお話をしました。
当時の僕は、宮川善次郎さんという方に将来についていろいろと相談をしていました。宮川さんは、僕が現在所属しているイタリアのスポーツマネジメント会社compactの役員で、アレッサンドロ・デルピエロのマネージャーを務めていた他、僕が留学した時は現地で日本人の受け入れ業務も担当されていました。そんな縁もあって、宮川さんには僕がイタリアに渡ってからずっとお世話になっていて、身の回りのことなど様々な相談をしていました。
その宮川さんが、プロを目指し続けるか迷っていた僕に、「日韓ワールドカップにデルピエロが参加している間、彼の家族をアテンドしてやってくれないか」と声をかけてくれたのです。大会中、選手はずっとチームと一緒に動きますから、家族は暇を持て余してしまう。それで、デルピエロの家族が日本に滞在している間、観光地の案内や身の回りのお世話をする仕事を勧めてくれました。
その時は僕が所属するクラブもシーズンオフに入っていて練習がなかったので、二つ返事で引き受けました。大好きなサッカーに関われる仕事なうえ、憧れていたデルピエロと対面で挨拶をするチャンスが得られるわけですから、お断りする理由がありませんでした。仕事はミスもなく無難にこなすことができたし、楽しかったです。しかも、僕の仕事ぶりがある程度評価してもらえたようで、「compactに入社しないか」と宮川さんからお誘いをいただいたのです。そんな経緯があって、22歳になっていた僕はプロの道を断念し、イタリアの地で社会人としてのスタートを切ることに決めました。
言葉を運ぶだけでは通訳にならない
入社後は主に、日本への商品輸出業務などに関わっていました。あとは、デルピエロのマネジメント業務です。デルピエロのスポンサーをしている日本企業とのやりとり、デルピエロの出場試合を観戦に来る、日本人観光客向けの企画づくりなどを経験しました。
その他、日本とイタリア企業の間に入って両社のプロジェクトが円滑に進むように通訳をする仕事もありました。例えば、イタリアで製造したストッキングを日本に輸出するプロジェクト、日本のメーカーとイタリアのデザイン会社が合同で進める車やデジタルカメラをはじめとする様々な工業製品の製造プロジェクトなど。こうした商談通訳の仕事はとても難しかったです。
どこが難しいかと言うと、例えば車やカメラをつくるプロジェクトの場合、僕自身がその製品の構造や部品の名称などの専門知識をある程度は知っておかないと、通訳にならないのです。日本の担当者さんの喋っていることをそのままイタリア人に話しても、うまく通じません。双方の間に入って、ただ言葉を運んでいるだけでは伝わらないのです。
振り返ると、当時の僕に足りなかったのは事前の準備です。聞き手に理解してもらうためには行き当たりばったりではなく下調べをきちんとして、あらかじめ商品の特性を把握していなければなりません。最初はそういう当たり前のことができていませんでした。当然うまくいかなかったこともあります。そういう時は、とても気持ちが落ち込みました。
積み上げた経験は、後の仕事に役立つ
でも、商談通訳の仕事を通じて日本人とイタリア人の気質や仕事の仕方の違いを体感できたことは、後の日本代表の仕事で大いに役立つことになります。双方の違いはどんなところにあるかを説明すると、日本人は事前に計画を立ててその通りに事を進めるのが一般的です。いっぽう、イタリア人も計画は大事にしますが、その場の閃きから得たアイデアを反映しようとすることが多い。
例えば、ある工業製品を作成するプロジェクトのコーディネートをした時のことです。「こういうデザインの製品にしよう」と双方が確認しあった後に、イタリア人が全く別のデザインを出してきたことがありました。すると日本のメーカーの方々は「話し合って決めたことと違う!」と怒り出してしまいました。日本人の感覚からすると、怒って当然です。しかし、僕自身の立場は難しくなってしまいました。なぜなら、「通訳の訳がよくないから、全然違うデザインがあがってくるんじゃないか」と日本人の方々に思われてしまっているかもしれないからです。直接そういう指摘を受けたことはなかったものの、「そう思われているかもしれない」と肌で感じることはありました。仕事への取り組み方の違いによる双方のギャップを埋めるのは、非常に難しかったです。
その件の場合は最終的に、日本企業の役員の方がイタリア人のデザインを見て、「これのほうが最初よりいいじゃない」と気に入って、変更後のデザインが採用になりました。その結果、イタリア人のアイデアを残しつつ日本のメーカーがブラッシュアップして、当初のイメージとは異なるものの、双方のよさがミックスされた素晴らしい製品が完成しました。
このような感じで、商談通訳の仕事は本当に学ぶことが多く、経験しておいてよかったと思います。こうしたキャリアを積んでいく中で僕は、2006年にセリエAのトリノに移籍してきた大黒将志選手(現、京都サンガFC所属)の専属通訳の仕事をすることになり、ついにザッケローニさんと出会うことになるのです。
続きは次回ご紹介しますので、ぜひお楽しみに!
矢野大輔の 夢と情熱!~ il sogno e la passione! ~
vol.2 イタリアで社会人になる
著者プロフィール
矢野 大輔 Daisuke Yano
元サッカー日本代表通訳/compact 所属(イタリアのスポーツマネジメント会社)
経 歴
1980年7月19日東京都生まれ。イタリアのサッカーリーグ、セリエAでプロサッカー選手になるという夢を抱き、15歳でイタリ
アに渡る。異国の地で様々な苦難を乗り越えながら、サッカー漬けの青春を送った。22歳でプロサッカー選手の夢は断念したが、知人の勧めで
トリノのスポーツマネジメント会社compactに就職。日本とイタリアの企業を仲介する商談通訳などに従事する。2006年にトリノに移籍してきた
大黒将志選手の専属通訳に。そして2010年、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏が日本代表監督に就任したことに伴い、チームの通訳に
抜擢される。ブラジルワールドカップまでの4年間、監督と選手が意思疎通を円滑に進めるための重要な役割を担い、監督のみならず選手からも
信頼を得る。2014年、ザッケローニ監督の退任と同時にチームを離れ、現在は執筆、講演、メディア出演などを通じて、日本代表時代の経験や
自身の思いを伝える活動に取り組んでいる。著書に『通訳日記』(文芸春秋)、『部下にはレアルに行けると説け!!』(双葉社)がある。
オフィシ
ャルホームページ
http://daisukeyano.com
ブログ
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(2015.2.11)