実際、すらすら読めます。どんどんページが進みます。そして3章あたりまで来て「あれ?」と思い、4章に入って自分の勘違いに気付きました。この本は「働き方改革」の文脈における生産性革命の本ではない。もっと広い意味の、日本の「社会」の生産性を改革しよう、という趣旨の本です。「最強の」と「革命」の間にバズワードをはさんだタイトルにやられました。
となると、内容はおのずと見えてくる。率直にいうと、「時代遅れ」と指摘される問題も、それに示される解決案も、アッと驚くほど新しいことが書かれているわけではありません。普段から社会の問題に興味があってその方面のコラムを読んでいる読者なら、大半は大枠では聞いたことのある内容だと思います。
ただ、だからダメかというとそうではない。大枠では本書にあるようなことは一定の層はすでに知っているはず。なのになぜ変わらないのか? どこでひっかかって変えられないのか? 知っている人には「なのになぜ!?」という一段深い問いが、初めて知る人たちには「なんとかしなきゃ!」という問題意識が、それぞれ喚起される。「やっぱりそうか」と確証して次の行動を自分なりに始める人にも役立つ。対談本らしいノリの良さも含めて、幅広い層をアジテートする1冊だと思いました。
そのうえで気になった点を挙げるなら、あまりにすらすら進むので、本書にある言葉を文面のまま受け取るだけではかえって危ない。同じ事柄についての違う見方も思い出しながら読むべきだということです。当たり前の戒めですが、ノリが良いぶん受け身のままでもおもしろく読めてしまうので、ここはあえて指摘したいところ。評者の場合、例えば1章冒頭『「好きなことをやる」のが一番生産的な人生』のくだりがそうでした。
キム 今、政府は「働き方改革」の議論をしていますが、私にはどうもピンと来ません。結局、自分がおもしろいからやろうと決めたことじゃないとがんばれない。それに尽きると思うんです。
竹中 そのとおり。‥中略‥(フォーチュン100企業のCEOに「どうしてCEOになれたと思うか」と聞いた調査を受けて)圧倒的に多かった答えは「自分が好きなことをやったから」でした。(p30)
「何々に尽きる」「そのとおり」――このセットがいかに効果的かつ危険なアジテーションの論法であるかは著者たちは重々わかっているでしょうが、だからこそ半畳を入れたくなる。評者なら次の一節をぶつけます。
ひところ「やりたいことをやりなさい」とよくいわれました。あれはウソです。ウソはいいすぎにしても、本当にやりたいことをやれる人間なんてめったにいません。/そもそも、やりたいことがわからない。やりたいことがわからないのに、「やりたいことをやりなさい」といわれるものだから、やりたいことを探さなければならなくなります。やりたいことではないことをしていると、なんだか悪いことをしているような、時間をむだにしているような気がしてきます。‥中略‥じゃあ、いやいややっているのかというと、そんなことはない。「やりたいことではないこと」と「やりたくないこと」は違います。‥中略‥むしろ、やれることをやれている楽しさ、快感があります。それが働く喜びかもしれない。(永江朗著『書いて稼ぐ技術』平凡社新書p27~30)
この2つの引用の対照から「希望格差」を連想する読者もいるでしょう。あるいは「こういう層がいるから亡国が進むのだ」と憤慨する人もいるかもしれない。しかし、それに対しては、「やりたいことがわからない」人たちも普通に暮らせる社会をつくるためにこそこれまでの人類史の全てがあったんじゃないか、とも言い返せるわけです。それくらい屈折して読むぐらいでちょうどいい。その意味では、出てくるトピックに対してある程度の知識見識がある人向けの1冊かもしれません。
そして最後に思うのは、タイトルはひっかけではなかった、ということです。第4、5、6章と読み進めるうちにわかるのは、働き方改革も社会の改革も、進まない時は何で進まないのかがまったく共通で、最終責任者がはっきりしないこと。むしろ最終責任者をはっきりさせないことで民間企業も行政の各省庁もリスク分散を図っている。これを変えないとどうにもならない。それに尽きると思うんです。そのとおり! ――と、ここはアジテーションの論法で〆ておきます。