B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

トピックスTOPICS

社会 伊東乾の「知の品格」 vol.14 背景の必然への眼差しを 「ヘイト」を笑う知の品格(3) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 
あるところで、こんな放送を聴きました。
 
「戦争で国と国がいがみ合うと、その遺恨は200年残るという。つまり戦後70年経ったとしたら、あと130年は恨みが続くということで、日本に遺恨を持つ人たちは、私たちが生きている限り、ずっと恨み言を言い続けるに違いない・・・」
 
ああ、放送というのはいろいろな自由があるかわりに、こんなレベルの雑音も流すのか、と残念に思わずには居られませんでした。
 
 

ひとのうわさ と 放射能

 
例えばこれが、放射性物質の残留放射能であれば、こうした議論はまだわからない話ではありません。
 
つまり、半減期50年の放射性物質があるとすれば50年後は半分、100年後は4分の1、150年後は8分の1で200年後は16分の1。それでも16分の1は残っていて、それが人間にどれくらい有害な影響があるか、は定かなことではありません。
 
さて、逆に「国と国のいがみ合い」が終わったあと50年、100年経ったら、ぴたっとそこで『遺恨はおしまい』なんてケリがつくものでしょうか?
 
バルカン状況という言葉があります。これは、オスマントルコと西欧がさんざん戦い、キリスト教諸派とイスラム教徒が入り乱れたバルカン半島、ユーゴスラヴィアなどの地域で、幾世代にもわたって血で血を洗う紛争が続く様子をさすものです。
 
1914年、第一次世界大戦が勃発したきっかけも、オーストリア皇太子がセルビアで暗殺された「サライェヴォ事件」がきっかけでした。この地域が「欧州の火薬庫」と呼ばれるゆえんで、冷戦崩壊後もボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソヴォなどで凄惨な紛争に発展したのはまだたかだか15~20年前のこと。記憶に新しいと思われる方も多いのではないでしょうか?
 
では、そういった「国と国の対立」は、常にそんなに長く残るものなのか?
 
例えば武田信玄と上杉謙信が戦った「信濃の国と甲斐の国の対立」は、何百年遺恨が残ったのでしょうか?
 
 

経済単位が実質的に解消する対立

 
なにを、戦国時代の昔話をと思われるかもしれません。では幕末維新ではどうでしょう? 戊辰戦争で、例えば会津藩と官軍の戦いは有名です。福島の地元に行けば、明治時代であれば「薩長ゆるすまじ」という人がまだ多数残っていた可能性が高いと思います。また明治維新以降の近代化では、佐幕派の国、藩、地域の工業化は大きく遅らされ、西欧の外交官の目には「一世紀以上の文化の隔たりがある」と映った報告も遺されています。
 
では、いま会津に長州出身の政治家が講演に行って、暗殺の可能性があるか? と問われれば、どうでしょう?
 
安倍首相はあきらかに長州ルーツの3世4世5世ですが、彼の福島県での支持率はどんな数字になっているか? あるいは、やはり閥族の末裔である麻生氏の支持はどうでしょうか?
 
仮に「私は白虎隊の生き残りの子孫だ、覚悟」などといって、これらの代議士に斬りつける人がいても、それは社会的な現象というより、その人個人の問題として、精神が鑑定されることになるのではないでしょうか?
 
実際、会津のみならず福島の近代化は1945年まで著しく遅れ、その揺り戻しのようにして高度成長期以降、一方で中通りには東北新幹線、他方浜通りには原子力発電所が誘致され、一世代を終えたはずの2011年以降、現在の問題に直結しているわけです。
 
だからといって、福島の人々が「戊辰戦争・薩長憎し」というヘイトを主張はしない。それは、江戸時代であればはっきり「違う国」であった薩摩や長州と、会津や相馬のあいだに、もはや「国の違い」という意識は存在しないことが大きいでしょう。
 
それにはさまざまな要因があるとおもいますが、一つには「ヒト・モノ・カネ」の交流・共通化、もっといえば経世済民の一体化があると思います。バルカン半島であれば、言葉、文字、宗教習俗からありとあらゆる生活に隔たりがあり、冷戦終了に伴うユーゴの分裂は避けがたかった。でも21世紀の日本で甲斐と信濃と下野と上野が独立をあらそって住民投票、なんて話には絶対にならない。
 
先日スコットランドの独立住民投票が世界の注目を集めました。イギリスでさえ、そうした対立を内側に孕んでいるのに、日本の中には、よくも悪しくもそうした分断が、ごく一部を除いてほとんど存在していない。それがいつ、どのように解消したか、を考えるのは、ヘイト・スピーチなどの短慮を考えるうえで、重要なポイントではないかと思うのです。
 

(この項続く)

 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.14 背景の必然への眼差しを 「ヘイト」を笑う知の品格(3) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.11.19)
 
 
 

最新トピックス記事

カテゴリ

バックナンバー

コラムニスト一覧

最新記事

話題の記事